【映画】「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」感想・レビュー・解説


いやー、面白かった!こんな話が美術界で起こってたことなんてまったく知らなかったし、誰かが展開を考えてるんじゃないかって思うくらい、次々に起こる展開がフィクションっぽい。登場人物の1人が美術界を「いかがわしい闇の王国」と語っていたが、まさにその通りだろう。

内容に触れていく前にまず、この映画は構成が良かったという話しをしようと思う。冒頭で、この映画のポイントとなる要素をそれとなく一気に提示し、観客の興味を駆り立てるのだ。

私は普段、映画の内容をほぼ知らないままで映画館に行くので、基本的にはその映画の設定や展開などほぼ知らないままで観る。映画館で観る場合、そもそも「最後まで観る」というつもりで行っているのでどんな構成でも別に良いと言えるが、そういう何も分からない状態で、先の展開を見通させずに、時系列に沿って話を進めていく作品もある。

そういう作品だと、例えば配信で観るような場合には、途中で諦めてしまうかもしれない。

この映画は、冒頭の2~3分の映像で、この映画が描く情報に関して一切何も知らない人物でも「お、なんか面白そうな話が展開されるのだ」と分かるように作られている。まず、この点がとても良かった。その後は時系列順に展開していくのだが、この冒頭の数分の映像があるだけでかなり作品の印象が変わるのではないかと思う。

さてでは、この映画で何が描かれるのか、ざっと追っていくことにしよう。

この映画の基本的な展開はこうだ。

<レオナルド・ダ・ヴィンチ作と思われる絵が個人宅から発見された。当初は本物だと思われていなかったが、その絵を約1200ドル(13万円)で購入した人物がレオナルドの手によるものかもしれないと発見、やがてその絵は約4億5000万ドル(約510億円)で落札されたが、本当にレオナルドが描いたものなのだろうか?>

さてこの展開を踏まえた上で、理解しておくべき点が2つある。「この絵は何故『失われた絵』と呼ばれていたのか」、そして「レオナルドの作品であるという真正性」だ。

まずは前者から。この映画で主役となる絵は「サルバドール・ムンディ(世界の救世主)」と名付けられている。後に「男性版モナ・リザ」という通称がつくが、この映画では大体「救世主」と呼ばれている。

この「救世主」、実は発見される以前からその存在が噂されていた。つまり、「存在するはずなのに見つかっていない」という意味で「失われた絵」と呼ばれていたわけだ。

では何故存在すると考えられていたのか。その理由は「ホラーの銅版画」と呼ばれる作品にある。

ホラーという銅版画家がある銅版画を作成し、その説明に「レオナルド・ダ・ヴィンチ、これを描く」と記載した。これが、「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を写したものだ」と解釈され、その存在が「失われた絵」として噂されていたのだ。

そして、ホラーの銅版画によく似た絵が小さなオークション会社のHPで出品されていたことで物語が始まっていく、というわけである。

さてでは後者の「真正性」について。この映画では、絵画作品を扱っているので当然だが、「この絵はレオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いた絵なのか?」という問題に焦点が当てられる。美術の世界では「帰属問題」と呼ぶようだ。この点に注目が集まるのは当然と言える。

さてこの「真正性」について考える場合、重要なポイントがある。それは、「レオナルド・ダ・ヴィンチ作」なのか「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」なのかである。「工房作」というのは、イメージとしては、マンガ連載のようなイメージをすればいいだろう。具体的にマンガ連載の実情を知っているわけではないが、作者がストーリーやキャラクターを描き、背景などをアシスタントが描く、という感じだろう。

この映画では、レオナルド・ダ・ヴィンチの工房の役割分担の具体的な説明はなかったのであくまで想像だが、概ねマンガ連載のような分業が行われていたと考えればいいだろうと思う。

映画の中では、「少なくともレオナルド・ダ・ヴィンチの工房で作られたことは間違いない」という見解は統一されていたように思う。誰も、その点に疑問を呈さなかった。つまりこの「救世主」における「帰属問題」とは、「レオナルド作」か「レオナルドの工房作」かという点にある、というわけである。

これで、作品について説明する準備が整った。それでは、時系列に沿って、ネタバレしすぎない程度に内容に触れていこう。

最初のきっかけは、ロバート・サイモンという美術商が作った。彼は、「誤解されたり誤認されたりしている絵画を探すこと」が主な仕事だと語る。そんな彼が、2005年4月9日に、ルイジアナの小さなオークション会社のカタログに、その絵を見つけたのだ。カタログの説明では、「複製か、あるいは後世に描かれたものだ」と記されていたそうだ。

これが、ホラーの銅版画と同じ構図であり、即ち「失われた絵」なのではないかとロバートは考え、約1200ドルで落札した。それから2年もの歳月を掛け修復を行ったのだが、その過程である発見をすることとなる。

親指が2本あることに気付いたのだ。

考えられる可能性はいくつかあるが、最終的に彼はこう判断した。親指が2本描かれているのは、その内の一方が下描きだからだ、と。下描きが残っているということは、これはレオナルド本人が描いたものに違いない。ロバートはそう考えるようになった。

さて、先程触れた「帰属問題」の話を思い出せば、彼のこの判断はいささか先走りすぎていると感じる。というのも、「下描きを描いたのはレオナルドかもしれないが、絵全体を描いたのは工房の弟子」という可能性は残るからだ。しかし、映画の冒頭の時点では「レオナルド作」か「工房作か」という、「帰属問題」の本質については触れられなかったので、僕は特に疑問に思わず、なるほど下描きが残っているならレオナルド本人が描いたという推定は真っ当だろう、と考えた。

さてそうなると次は、専門家に鑑定してもらおう、という話になるだろう。そこでロバートは、ロンドンのナショナル・ギャラリーに連絡を取った。2008年のことだ。折しもこの時ナショナル・ギャラリーは、2012年の「ダ・ヴィンチ展」に向けての準備の真っ最中だった。その企画を主導した学芸員が3ヶ国から計5人の専門家を呼び、絵の鑑定をしてもらった。

そこでははっきりとした決断は出なかった。5人の内、1人はレオナルド作と確証を持っていると話、1人は難色を示し、残り3人は保留という立場を取った。この結果だけを見れば、「レオナルド本人の作品かどうかは分からない」という結論になるだろう。

しかし事態は動く。なんとナショナル・ギャラリーの「ダ・ヴィンチ展」に、レオナルドの作としてこの「救世主」を展示する、というのだ。ここにはいくつか要因がある。レオナルド作だと支持した専門家・ケンプが高名だったこと、また、「ダ・ヴィンチ展」を企画した学芸員が出世を目論む野心的な人物だったことなどだ。

この学芸員は、5人の専門家による会合によって「レオナルド作であると確信が持てた」と話していた。さらに、「展示し来館者に見てもらうことで、本物かどうか確かめてもらいましょう」と、あたかも一般の観客の判断で真正性が決するかのような発言をしていた。全体的に僕は、この学芸員の主張は胡散臭いなぁ、と感じた。

さて、「ダ・ヴィンチ展」も終わり、絵はロバートの元へと戻ってきた。その後彼は、この絵を売ろうと試み、有名な美術商に協力を依頼した。その美術商は、世界中の美術館や「大富豪に1億8000万ドルの売値を提示するのだが、芳しい返事は得られない。バチカンに売る計画も上手くいかず、絵は一向に売れないままだった。

しかしそんな中、この絵を買いたいというロシア人が現れる。美術の売買では「売り主・買い主の匿名性」が重要視されるようで、大富豪であるロシア人の美術管理一切を任されていたイヴという男が中心となって、「救世主」の購入の話を進める。

この「右腕と呼ばれた男」と呼ばれるイブの物語は大変面白いので、あまり詳細には触れずにおこう。映画を見ながら、「えっ!そんな展開になるの?」と驚かされた。まさに「いかがわしい闇の王国」を体現する人物の1人と言っていいだろう。

さて、本当であればこの「ロシア人による購入」で、「救世主」の物語は閉じていたかもしれない。しかし、イヴのせいで(お陰で?)そうはならなかった。この絵が再び美術市場に出てくることとなったのだ。

ここで登場するのが、「マーケティングの天才」と表記されるロイクという人物だ。結果的には、彼が様々なことを行ったことで、510億円という、美術作品史上最高額での落札に繋がっていくことになるわけだ。

その仕掛けの1つは、非常にシンプルだ。「救世主」を「古典絵画」のオークションではなく「現代アート」のオークションに出品したのだ。古典絵画部門では、作品の「帰属問題」や修復のやり方などに知識を持つ者が多いが、現代アート部門ではその辺りの知識が薄い顧客が多く、作家名だけで買うからだ。もし「救世主」が古典絵画のオークションに出されていたら、510億円などという値段がつくことはなかっただろう。

そして話はまだまだ終わらない。それから、今度はフランスのルーヴル美術館で「ダ・ヴィンチ展」が開催される運びとなり、当然、この「救世主」の展示に注目が集まることになる。さらにそこには、国家間の思惑も絡み……。

というような展開になる。めちゃくちゃスリリングで、先の展開が読めない現実に驚かされる。

やはり映画の焦点は「帰属問題」に当てられる。この記事では、この映画でどんな結論が出されるのかには触れないが、美術作品の帰属については、専門家でも難しいのだと感じさせられた。

またこの映画では「ルーヴル美術館が科学的な調査を詳細に行った」としているのだが、ルーヴル美術館はそんな事実があったことを明らかにしていないそうだ。その理由は、「国家の収蔵ではない作品の鑑定は許されていないから」だそうだ。それが方便なのかどうかなんとも分からないが、ルーヴル美術館が難しい問題に直面したということは理解できた。

また、美術界の内情みたいなものも非常に面白い。ある人物が「救世主」の展開について、

【これは儲かる作り話だ。肩書きを利用して大金を生み出した】

と語っていた。ここで言う「作り話」というのは、「工房作」の可能性もあることを示唆せずに、「レオナルド本人が描いたもの」であることに間違いないかのような表現をしていることについて言っている。別の人物も、「これは”表現”の問題なんだ」と言っていた。

よくある美術ミステリーと違うのは「真贋問題」ではない、ということだ。少なくともこの作品については「贋作」、つまり「レオナルドの工房で作られたものではない」という可能性については否定されているようだ。レオナルド本人のものかどうかはともかく、少なくともレオナルドの工房で作られたことは間違いない、という共通理解がなされているようだ。

つまり「贋作」ではない。だからこそ「表現」の問題なのである。

「贋作」を売りつけたということになると話の次元はまったく変わってくるが、「帰属問題」ということになると、「レオナルド作」か「レオナルド工房作」かは確かにさじ加減一つだという気がする。少なくとも、「レオナルド工房作」という選択肢を知らない場合(僕もこの映画を観るまで、その可能性は知らなかった)、「レオナルド作」と書かれていれば「レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた」と考えるだろう。しかし、魑魅魍魎うごめく美術界では、そんな「表現」を上手くちょろまかして大金を稼ぐ者がいるというわけである。

映画は、顔を出さずにカメラの前で語る者や、カメラの前には出てこずFacebookなどの映像で登場する人物も出てくるが、基本的には主要な関係者がこの映画撮影のためのカメラの前に出てきて当時の状況を語る。非常に生々しい感じがあって、リアルタイムで追いかけているわけではないのに(いつからカメラが入ったかは不明だが)、非常にスリリングな作品だと感じさせられた。

この映画で描かれていた事実を自分がまったく知らなかったことにも驚かされたり、こんな現実が本当に実際にあったことにも驚嘆させられた。

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