見出し画像

Z世代Ryuseiから見た『人新世の「資本論」』

"人新世(Antropocene)"という新たな時代の定義が広がりつつある。
人新世とは人類の経済活動が地球に与えた影響があまりにも大きく、地質学的に地球は新たな年代に突入したとしてノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェン氏が名付けた地質年代のことであり、斎藤幸平氏は「人類が地球を破壊しつくす時代」とまとめている。

18世紀の産業革命以降、人類は化石燃料を大量に使用し膨大な二酸化炭素を排出するようになった。
これにより技術は発展し、今日の我々の生活から不便が取り除かれつつあるが、地球という有限の資源は環境危機に陥っている。
この気候危機の時代に、マルクスの『資本論』を参照しながら資本、社会、自然の絡み合いを分析したのが、今やベストセラーとなり全国の書店で見られる斎藤幸平氏の著作『人新世の「資本論」』である。

今回の記事は先日21歳になったBUNKER TOKYOの研究員Ryuseiがこの本を読み、思ったことを綴る回です。
若者が今の社会に何を思うか、代表してというわけではないですが、BUNKER TOKYOでは人新世をテーマとしたコレクションを長く取り扱っていることもあり、私Ryuseiもこの本を紹介しないわけにはいきません。

画像7

一個人の意見として議論や意識の変化のきっかけになればと思い筆を執らせていただきました。どうぞお付き合いください。よろしければTwitterもフォローお願い致します!

まずは『人新世の「資本論」』をお読みください!と言いたいところですが、読んでない人にも分かりやすいよう努めます。本書の内容にも触れますが、本記事はあくまで僕なりのまとめや意見ですので、興味を持たれた方はぜひ『人新世の「資本論」』をご一読ください!

画像1

①SDGsは「大衆のアヘン」である!

『人新世の「資本論」』はこの力強い序文から始まります。
温暖化対策であなたがしていることを問い、今一度そのアクションの有効性を問う斎藤幸平氏。
というのも、SDGsと銘打って様々な企業が行なっているキャンペーンー例えばレジ袋削減のためにエコバッグを使うこと、温室効果ガスの排出を減らすためにハイブリットカーに乗り換えること、ペットボトルの消費を減らすべくマイボトルを持ち歩くことーこれらの善意だけでは温暖化を止めるには不十分であり、むしろ「私は環境問題の対策に貢献している」という欺瞞さえ与え、真に必要な大きなアクションを起こさなくさせる現実逃避のアリバイ作りにすぎないとのこと。
かつてマルクスが資本論において、辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」となぞらえました。であるならば、SDGsは現代版「大衆のアヘン」であるというのが筆者の意見です。
最近では「エコバッグよりもレジ袋を買って複数回使用の方がエコ」というニュースもありましたね。

画像2

②グリーン・ニューディール

環境問題に向き合いつつも豊かな生活を目指していくために期待されている政策プランに「グリーン・ニューディール」があります。
再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるために大型財政出動や公共投資を行うことで環境問題と同時に経済成長も目指していく…一見非の打ち所がないように聞こえるグリーン・ニューディール。
しかし「プラネタリー・バウンダリー」という概念を提唱した環境学者ヨハン・ロックストローム氏によると、経済成長と環境負荷は切り離せない関係にあるといいます。
パリ協定にて掲げられた2030年時点での目標値「気温上昇1.5℃以内」を目指すにはグリーン・ニューディールでは不十分。
さらには再生可能エネルギーへの投資の割には化石燃料の消費量が減っていない現実までも浮き彫りになっています。
環境負荷を減らすために効率化を目指した結果、技術進歩だけが先に行き、結果的に環境負荷が増大しているのです。

画像3

③脱成長?

経済成長を続けながら環境負荷を減らすのはどうやらほぼ不可能らしい。
しかし、世界には電力や教育どころか、安全な水やその日の食べ目のさえ十分に得ることができない地域が存在し、何十億人もの人が貧困に苦しんでいます。そのような人たちには当然ながら経済成長が必要であり、「温暖化対策の敵たる経済成長を諦めましょう」とすんなり結論づけられるわけではありません。
そこで筆者が取り上げたのが政治経済学者ケイト・ラワース氏の「ドーナツ経済」という概念。
これによると、ほとんどの国が環境負荷と引き換えに社会的欲求を満たしているらしい。
つまり経済的に潤っていない途上国を既存の先進国のように変えていこうとすれば、地球全体としては危うい道へと進んでいくことになる、というのです。
しかし、ラワース氏によれば、資源やエネルギーの消費量が増えたとて、"公正"を実現するための負荷は思う以上にずっと低いそう。
食料については、総供給カロリーを現在から1%増やすだけで8億5千万人の飢餓を救え、13億人の電力を利用できないでいる人たちに電力を供給したとしても、CO2排出量は1%増加するだけ。さらに、1.25$/日以下で暮らす14億人の貧困を終わらせるには、世界の所得のわずか0.2%を再配分すれば足りるとのことなのです。

画像4

④経済成長だけが幸せではない

今更ですが、GDPという言葉はご存知でしょうか?おそらく誰しもがニュース、あるいは社会科の授業で耳にしたことがある言葉で、この赤派でも良く出てくる言葉ですが、改めて見つめ直しましょう。
GDPとは国内総生産(Gross Domestic Product)のこと。国内で一定期間の間に生産されたモノやサービスの付加価値の合計額のことです。早い話、どれだけ稼いだかという意味。
この数字が高いほど経済的に潤ったと取れるでしょう。
しかし、この数字だけで社会の繁栄が計れるわけではありません。
事実、ヨーロッパには一人当たりのGDPがアメリカより低いながらも社会福祉の水準がずっと高かったり、医療や教育などが無償で提供されている国もあります。
逆にアメリカでは無保険のために治療費を捻出できず病院に行けない人々や、学生ローンを返済できずに苦しむ人々が多くいます。
さらにいえば、日本の一人当たりのGDPはアメリカより低いですが、平均寿命という観点で見ればアメリカよりも長い。
世界の幸福度ランキングにいたっては、GDPとの相関はもはや見られません。
GDP世界ランキングで下から見たほうが早いブータンが世界一幸せな国と呼ばれるなど、経済と幸福度は比例するわけではないこともわかりますね。

画像5

⑤何を目指すべきなのか

SDGsだけでは環境問題は解決せず、経済成長と環境負荷減少の両方を取ることも不可能。しかし、一部地域では貧困を理由に経済成長が絶対に必要……。
GDPだけが社会の繁栄の目安ではないとはいえ、我々人類は地球という資源が限界を迎える前に何を目指せばいいのか。
そこで筆者が提唱するのが「脱成長コミュニズム」。
その基盤として〈コモン〉という概念を再建する必要があると説きます。
コモンは、水や電力、住居、医療、教育などを公共財として管理することを目指すもの。市場原理主義と違いあらゆるものを商品化するわけでもなく、ソ連型社会のようにあらゆるものの国有化を目指すわけでもない第三の道として紹介されています。

⑥コミュニズム

コミュニズム(=社会主義、共産主義)という単語を聞くと反射的に危険なモノというイメージを持つ人も多いと思います。共産主義国家=ソ連のようにあらゆるもを国有化し、思うがままに国家権力を使う国を想像する方も多いでしょう。
しかし筆者によれば、マルクスの目指したコミュニズムは実はそのような体制のことではなく、生産者たちが生産手段をコモンとして共同で管理、運営する社会のこと。
マルクスはコモンが再建された社会を共産主義や社会主義という言葉の代わりに「アソシエーション」と表現していました。
労働者たちの自発的な相互扶助(=アソシエーション)がコモンを実現するというわけだそう。

⑦マルクス

いったんマルクス主義に話を移します。
従来のマルクス主義は、コミュニズムは労働者たちが生産手段を支配階級から奪還することで、自らの生活を豊かにする社会として構想されていました。
支配階級の首をすげ替えた上で労働者たちに平等をもたらすという意味では、生産力あるいは経済成長は必須な項目であり、脱成長との相性は悪い。
しかし、筆者の研究で、晩年のマルクスの中でのコミュニティは構想初期の頃と変容していたといいます。
初期のマルクスには、資本主義によってもたらされた近代化が最終的に人類を解放するという楽観的思考があったといいます。
生産力が高まっていくことで貧困問題や環境問題が解決される。また、生産力の高かった西欧のように他のあらゆる地域も資本主義によって近代化が進められていく。この2本の柱を「進歩史観」と呼びますが、ここには大きな矛盾が潜んでいます。
そう、皆様お気付きの通り、資本主義では環境問題が解決しない点です。
晩年のマルクスはエコロジー研究にも力を入れ、非西欧の共同体も研究することで、この矛盾を解決する持続可能性と社会的平等を揃えた「脱成長コミュニズム」へと到達したといいます。

画像6


⑧筆者の目指すところは

環境危機を乗り越えるために、人類と自然をつなげる媒介(=労働)の形を変えていかなくてはならない。そのために、行き過ぎた競争社会であり、資源を食い潰す資本主義を捨て、脱成長コミュニズムの世の中を目指そうというのが筆者の主張です。
資本主義の象徴とも取れる国アメリカでさえ、若者の間で社会主義がトレンドになるような現代。
さらにはコロナ禍も重なり、まさにこういった主張が受け入れられる土台が完成しつつあるのかなと感じます。
しかし、私もまだ少し疑問に思うことがありますのでここからその疑問を綴らせていただこうと思います。

⑨まだその時ではない?

マルクスの言うように資本主義によってある程度経済が成長した状態でこそ、社会主義は成り立つと思います。
環境危機の今、すぐにでも行動に移して環境保全を考えていかなくてはいけないのは最もですが、富裕層と貧困層の格差が広がりすぎた今、経済成長をスローダウンさせたところで、今日の食事の心配をしなくてはならない人が増えていくだけと感じてしまいます。
富裕層の持つ資源を再分配することで解決を望めるという声もありますが、それでは公正であっても平等ではない気がしています。
アメリカの富裕層がほとんど税金を払っていないなんてニュースもあるくらいなので、そもそも現在のシステムですら穴だらけという見方もできます。
また一方で、社会福祉を充実させたからといって貧困問題が100%解決するかと言うとそれも違います。
制度の手厚い北欧にさえホームレスは存在します。世界全体で見てもホームレスの数が減っているのはフィンランドくらいで、対策にも莫大なお金がかかっていることは想像に難くありません。
人が生きていくためには莫大なお金がかかり、つまり脱成長を目指すにも人々がある程度ゆとりを持って生活している状況でないといけないと思うのです。

⑩Ryuseiなりの結論

将来的に地球の環境危機を乗り越えなくてはならないのは紛れもない事実です。
そのためには行き過ぎた資本主義から離れ脱成長の経済体制を取ることで、環境危機に立ち向かえるということも理解しました。
しかし、今その体制を取ってしまうと多くの人がさらなる貧困に陥ってしまうのではないでしょうか、という問題点もあります。
コモンの充実は今後人類が平等に、快適に過ごしていくためにひとつ大きな課題だと思います。
近年の日本でも、水道の民営化に関する法案の改正が話題になりましたが、人間が生きていくために必要不可欠な資源である水を価格競争の場に持ち込んでしまうのは危険です。
過去に民営化した地域では、水道料金は上がるばかりなのに、水質やサービスの低下によって死者が出てしまい訴訟沙汰になったケースも存在し、2000年から2015年の間に世界37ヵ国で民営化された235箇所が再公営化したという事実もあります。

最後に私個人的に日本で充実させてほしいコモンのひとつに教育があります。
みなさん勉強は好きですか?
私は好きです。面倒くさがりなので頻繁に勉強をするわけではないですが、今でも大学に行きたいと思うことはありますし、知見を広げるために留学したいと思っていました。コロナ禍で留学出来ずいても立ってもいられず、日本のロシアであるBUNKER TOKYOに乗り込んだ経緯もあります。今も毎日勉強中です。
しかし、学生の勉強にはお金がかかります。大学に行くのだって、4年間で500万〜1,000万かかるというのは有名ですね。

東大生の親の世帯年収が一般の同世代より高いという統計も出てきています。所得の差に関わらず、やる気のある人にもっとチャンスが(今でこそ第一種奨学金という制度や各大学内や自治体でも色々な優遇制度はありますが)与えられ、学問に興味を持つ人が増えればいいなと思います。
明治時代、資源の少ない小国である日本が西欧の強国に国力で負けないようにするために政府が第一に考えたことは、近代化のために西欧の知識を吸収することでした。近代国家建設のために大学がつくられ、それは今日まで続き、教育機関として大きな役目を果たしています。
しかし、昔と比べ今の学費の高さは異常。
経済状況を理由に進学を諦める人が減り、政治的、経済的にもリテラシーが国全体で向上することで、陰謀論のようなものに簡単に踊らされない世の中になることを望みます。

Ryusei


おまけ、指導者Kazumaから一言

私と同じくベルリンに住んでいた斎藤幸平氏の脱成長コミュニズム、その理念は素晴らしく、ベルリンのあの街や人々の暮らしを知っているからこそ共感できる部分が多数あります。新自由主義と戦った宇沢弘文の言うところの社会的共通資本=コモンを充実させ、脱成長を目指すことは100%賛成ですが、その財源を税のみで語ってしまっているのが脱成長派のもったいない部分。税はあくまで民間部門のお金。ここにマクロ経済を入れ込んで考えると、政府部門というもう一つの概念が生まれます。社会民主主義に近いと言われる北欧諸国やヨーロッパの国々は、政府部門が多くのお金を民間部門に注ぎこみ、貧困層も取り残さない手厚い社会保障を実現し、民間に溢れたお金を税として回収する、そういった仕組みで民間競争を抑制し、貧富の差を解消しています。日本は北欧諸国に比べ政府の支出が少ない、アメリカ型の小さな政府モデルを用いていますので、緊縮→民営化→増税→緊縮→民営化増税を繰り返しています。民間のお金の総量が少ないと、民間競争は激化し、嫌でも効率化や成長を目指すことになってしまいます。脱成長こそ北欧並みの政府支出が必要。介護や医療、バリアフリー等に思い切った支出をし、コモンを充実させ貧富の差を解消する…反緊縮は何もお金をバブリーに使うということではありません。脱成長のための反緊縮。脱成長派は今こそマクロ経済を学んで欲しい、そう願うばかりです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?