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カセットテープからソ連のロック史を遡ってみる

ズドラーストヴィチェ!
2021年10月29日(金)からBUNKER TOKYOでは「ソビエト・ポストソビエトのカセットテープ闇市」を開催しております。
1980年代から2000年初頭にかけてロシアで活動したアーティストたちのカセットテープアルバムが大量に入荷いたしました!

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日本にいるとなかなか馴染みのない音楽たちですが、ソ連やロシアにはカッコいいアーティストがたくさん存在し、現在でも世界中で活躍しています。
とはいえ、ペレストロイカ以前には文化が制限されていたソ連の世界でどのようにこれらのミュージシャンが活動していたのか……。
今回はソ連のロックシーンの解説と共に、入荷したアーティストたちの紹介のブログとなります。

・ソ連ではロックが禁止されていた…?

ソ連ではいわゆる西側の文化が制限されていた、というのは昨今では有名なことですがロックもその対象のひとつでした。
数年前にブラックリストが発見されたことでも話題になりましたね。

とはいえ、どうやら鉄のカーテンの向こう側でも西側の音楽を聴いていたというのが最近わかってきています。この後に紹介するアクアリウムというソ連時代からの大御所バンドのリーダーボリス・グレベンシチコフもビートルズの"Help!"を聴いてロックに目覚めたとのこと。
また、ロシアにはメロディヤという国内唯一にして公営のレコード会社がソ連時代の1964年に作られましたが、60年代にビートルズのレコードを製作していたらしいことや、70年代の社会主義国のものでも東側のアーティスト名が落書きされたものが見つかるなど、どこまで厳しく制限されていたのかが今となってはイマイチわかりにくかったりします(笑)
日本で当時モスクワ放送をラジオで聴いていた方がいたように、ロシアでも東の方だと電波を拾ってアメリカや日本のラジオを聴いていた方もいるらしいです。東西のカーテンは閉まりきってはいなかったんでしょうね。

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上の画像はwikipediaより

下の写真は1973年発売のルーマニアのレコード。「東欧グルーヴ探訪」の筆者であり、東側の音楽事情に明るい市来達志さんからお借りしました
Twitter: @deppa2012flakes

・レニングラードロッククラブ

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ソ連圏では西側の音楽が聴けなかったという通説を覆したところで、ソ連のロックシーンに重大な影響を与えた場所の紹介です。
その名もレニングラードロッククラブ
1980年に作られた初の国公認のロッククラブです。クラブはKGBによる監視や歌詞の検閲付きという制限もありましたが、ここからソ連のロック革命が起こります。
ソ連の有名なバンドたちであるКиноАквариумДДТЗоопаркГражданская Оборонаもこの地で生まれました。
2020年に公開されたロシア映画『LETO』もここが舞台となっていましたね。
昔レビューをこちらのブログでも書かせていただいてるのでこちらもぜひ。

1985年のロックフェスの様子がロシア語のブログでありました。ツォイにボリスにマイクまで見えます。なんたる壮観。

Аквариум

ではここでレニングラードで生まれ、現在まで続く大御所バンドアクアリウムの紹介に移ります。
ソ連の有名なバンドというとКиноやДДТに加え必ず名前の上がるレジェンドです。

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リーダーはボリス・グレベンシチコフロシアのボブ・ディランとも評され、1972年にバンドを始めて以来現在まで活動を続けています。
名前の頭文字からБГ(BG)やボブと呼ばれることも。

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ボリス(左)とツォイ(右) 1983年

後期ビートルズ風のバンドサウンドに始まり、少林寺やヒンドゥー・ラガに影響を受けつつもギターサウンドを使った音楽のバンド。
曲の節々にはビートルズやボウイ、T・Rex、ボブディランなど西側のスターの影響も見られます。

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過去には来日公演も。1999年の3月、京都と東京。

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ペレストロイカ以降はアメリカでも活躍
ボリス(左)とボウイ(右) 1989年

Бригадный Подряд

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続いてもレニングラードロッククラブの会員であったバンドの紹介。1985年に結成され、現在でもソ連パンクの最前線を突っ走るБригадный Подрядです。

同じくレニングラードロッククラブの会員だったГражданская Оборонаのリーダー、イゴール・レトフはロシアパンクの父やロシアパンクの神と呼ばれるような人物なのですが、そのレトフに「レニングラード唯一のパンクバンド」と評されるようなバンド。

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ところでこのジャケ写の人物。私はエリツィンに見えてきて仕方ないのですがどうですかね…?笑

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ГПД

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ここからはレニングラードロッククラブとは離れますが、彼らもソ連時代の80年代から活躍するバンド。ГПДの略称でも親しまれるГруппа Продлённого Дня。ウクライナはハリコフで結成され、サンクトペテルブルクを拠点に活動しました。

現在ではРазные людиというバンド名になって活動しております。

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ГПДリーダーのチェルネツキー(左)とイゴール・レトフレトフ(右)

Король и Шут

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お次も80年代レニングラード出身のバンド。Король у Шут(Korol i Shut)はホラー風メイクにスパイクヘアーと見たまんまなパンクバンドです。

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バンド名の意味は「王様とジェスター」。ジェスターとは宮廷道化師のことだそう。
スラヴ神話やホラーストーリーなども歌詞に使っており、ユーモアやアイロニーも感じるものも。
2014年にフロントマンのミハイルが亡くなってしまい現在は残されたメンバーがСеверный флотというバンドで活動しています。

・モスクワロックラボラトリー

さて、ここまでレニングラード(現サンクトペテルブルク)のバンドを紹介してきましたが、ここからはモスクワのロックシーンを紹介していきます。
レニングラードロッククラブのようにモスクワにも公認のロッククラブが生まれました。
それがモスクワロックラボラトリー。設立は1985年の10月です。
メンバーには後述のНогу Свело!、Ва Банкъ、Тараканы!の他にソ連懐メロの代表格На зареで有名なАльянсなども。

Ногу Свело!

現在でも世界中で人気のНогу Свело!が結成したのは1988年。バンド名は形容詞+名詞というありきたりな構成とは異なるものにしたかったためこのような形になったそう。考案者はモスクワロックラボラトリーのディレクター、このバンドの最初のショーのために録音したもので「足攣った!」という意味。ユーモアを感じますね。
外国語風な歌詞を用いることもあり、ロシア人でも曲の内容がわからないような不思議な曲もあるバンドです。

時にはこのようにメロウな雰囲気の曲も。

サムライという曲もありました。
ツアーで世界中を回るようなバンドなので日本にも来てほしいですね

Ва Банкъ

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モスクワロックラボラトリーの一員、1986年に結成され翌87年からはロシアのオルタナティブバンドのベスト10に継続的にランクインするパンクバンドВа Банкъ(Va Bank)
リズム&ブルースから始まり、ハードコアやアコースティック、電子音アレンジにソフトロックなど様々な音楽を奏でる人気バンドです。


Четыре Таракана
(Тараканы!)

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こちらのバンドもモスクワロックラボラトリーから。Четрые Тараканаというパンドで意味は「4匹のゴキブリ」。現在はТараканы! (Tarakany!)へと改名しましたが意味は変わらず「ゴキブリ!」。活動は1991年からで、今でも最も有名なパンクバンドの1つ。
前述のВа Банкъらとともにモスクワのアンダーグラウンドシーンを形成しました。

マスキュリンなルックや骨太なサウンドとは裏腹に、動物愛護活動に力を入れていたり、ハードドラッグやファシズム、人種差別に反対するオルタナティブミュージシャンの運動に参加したりと、パンクの要素の強いバンドです。

Дубовый Гаайъ

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モスクワロックラボラトリーから離れてお次はモスクワ発、ソ連時代からのヒップホップグループ。
Дубовый Гаайъの結成は1989年。
結構バンドサウンドな雰囲気も。
ロシアのラップシーンに影響を与えたグループです。

Хвост

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お次は70年代から活動していたソ連のアヴァンギャルドの詩人アレクセイ・フヴォステンコ
略してフヴォストの名義もある方です。
彼の友人であるレニングラードの詩人、ヘンリ・ヴォラホンスキーの詩に曲をつけたものが有名。
他にも彼の歌ったものでГород золотой(黄金の街)という曲はヴォラホンスキーが作詞し、ウラジーミル・ヴァヴィロフが音楽をつけたものがあり、これはかの有名なソ連映画 «Асса»でアクアリウムのボリス・グレベンシコフが演じているものがあります。

また、ロシアにはバード(バルド、бард)という音楽のジャンルが1960年代に確立されました。
アメリカのフォークリバイバル運動に似たもので、1台のギターと詩的な歌詞を有する音楽が特徴ですが、このミュージシャンもこのジャンルに属します。

・ポストソビエト時代になって

さてここからはソ連崩壊後のアーティストたちを紹介します。
ゆるいのか厳しいのか言語化しにくい雰囲気の文化統制がゴルバチョフのペレストロイカ以降ゆるくなり様々なジャンルのアーティストが表立って活躍するようになりました。
1998年に結成された女性デュオのグループ«t.A.T.u»や、2013年に結成されたレイヴバンド «Little Big»は世界中でも大活躍しています。
長寿音楽番組として最近ギネスに登録されたミュージックステーションの司会タモリさんも、最も印象に残ったのはt.A.T.uだったと言ってニュースになりましたね(悪い意味ででしたが笑)

Ленинград

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ではまずポストソビエトのアーティストからソビエト風なバンド名のアーティストレニングラードを紹介します。
1997年に結成されたこのバンドは飲酒の賛美や下品な歌詞の悪名でロシア音楽に革命を起こし知名度を上げていきました。ほとんどのラジオ局もこのバンドを当初は避けていたようですが、人気は高まるばかり、音楽性の高さや豊かなサウンドで一躍大人気のグループに。

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ジャケットの感じも完全に悪ノリな下品さ(笑)
グループのリーダーシュヌロフもレニングラードの曲には罵り言葉(マート)は欠かせないとコメントしています。

Спираль

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1997年に結成されたクラブ系のバンド。ラジオやテレビで多くのファンと人気を獲得し、すぐにロシア国内のブレイクビーツシーンでも代表的な存在に上り詰めました。

Зимовье Зверей

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1994年にサントペテルブルクで結成されたロックバンドЗимовье Зверей。詩人であるコンスタンチン・アルベニンとミュージシャンのアレクサンドル・ピーターソンが出会ったことで生まれたバンドで、ブルースや歌謡曲のような雰囲気の曲を歌います。
バンド名の意味は「動物の王国」

Pushking

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こちらは1994年から活動するロシアのハードロックバンドPushking。当初の名前はLost And Found(Бюро находок)という名前でアメリカ的だったから変えたとのこと。プーシキンにかかってそうですね。
世界的に有名なアーティストをゲストに呼んでアルバムを出していたりもします。

・まとめ

ここまで色々なアーティストを時代と地域に沿って紹介してきましたが、今回ご紹介したグループの他にもたくさん魅力的なアーティストがソ連時代から現在までロシアから輩出されています。
日本で聞く外国の音楽はもっぱら英語や韓国語のものですが、他の地域に目を向けると新たな発見があるかもしれません。
今ではインターネットで気軽に世界中の音楽にアクセスできます。
今回のこの記事もほとんどがインターネット経由で調べたものです(笑)
今回入荷した他のアーティストたちの紹介も軽くですがこの後に並べてみますので、色々探して聴いてみてください。
Ryusei

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Самые Неприятные Кавалеры (Самые НК)
2000年にサンクトペテルブルクで結成

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スモレンスク出身のアヴァンギャルド・サイケデリック・トリップロックのバンド
С Коленями Как У Птицы
(СККУП)

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80年代末にブリャンスクでパンクロックを始めたVova Tevekh率いるバンド。彼は他にも様々なバンドで活動したが、Overdriveもそのひとつ。

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90年代から現在まで活動を続けるロシアのベテランロックンロールТайм-Аут

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ロシア西部の町Новый Осколで結成された2000年代のバンドТень-64

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90年代から活動するパロディ系のバンド
Волосатые ногти

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ハバロフスク出身のアレクセイ・ザエフ
パンクからバードまで幅広いロックを手がける

また、他にもソ連の音楽について興味がある方にはこれらの書籍も大変おすすめです。
私Ryuseiも読んで勉強させていただいております。

Ryusei



おまけ

ロシアではソ連時代に使われていた電気工場やワイン工場などをリノベーション(ほぼ何も変えていなけど笑)して若いクリエイターに貸すというムーブメントがあるのですが、そういう場所に多くのブランドが入っています。彼らのもとを訪れると、必ず見学ツアーをやってくれるのですが、ほとんどのこういった大型建築には必ずと言っていいほど「ソ連時代にライブやイベントをやった空間」というやつがあります。ロックは禁止というイメージがありますが、内情は、アンダーグラウンドではある意味では西側より熱いイベントが毎夜繰り返されていたということなんだろうと思います。それが爆発したのがソ連崩壊前にモスクワで行われたMonsters of Rock Moscow 1991。200万人ともいわれる同志達が押し寄せ、ソ連軍総動員で警備したという伝説のイベント。これだけロックを求めている人がいたわけですから、ソ連時代のモスクワのアンダーグラウンドが熱くなかったわけが無いですよね。


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