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安楽死の議論 宗教界こそ深めよ

※文化時報2020年8月1日号に掲載された社説「安楽死の議論深めよ」の全文を転載します。

 衝撃の事件が起きた。ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の女性から依頼を受け、医師2人が薬物を投与して殺害したとされる事件だ。京都府警による断片的な捜査情報が報じられている段階であり、予断は排すべきだが、「安楽死」とは呼べないずさんで傲慢な対応が透けて見える。

 薬物投与によって患者の死期を早めることは「積極的安楽死」と呼ばれる。17世紀に英国の哲学者フランシス・ベーコンが提唱したとされ、日本では明治期に森鷗外が概念を伝えたが、法律では認められていない。

 例外的に合法とされる要件は、東海大学医学部付属病院の安楽死事件で、1995年の横浜地裁判決が示した。患者に耐えがたい肉体的苦痛がある▽死期が迫っている▽苦痛の除去・緩和の代替手段がない▽患者の意思表示がある―の4要件である。

 京都府警は、2人が4要件を満たさず、女性の主治医でなかった上に多額の金銭を得ていたとして、嘱託殺人容疑での立件に踏み切ったという。

 今回の事件を機に、安楽死についての議論を、特に宗教界は深めるべきだろう。女性が大金を払ってまで見ず知らずの医師を頼り、安楽死を選ばざるを得なかったところに、根深い問題があるからだ。

 「こんなに苦しい思いをしてまで生きないといけないのか」。女性はブログにそうつづっていたという。「死にたい」という気持ちを頭ごなしに否定してはならないが、「生きたい」と願うALS患者は大勢いる。安楽死は果たして救いなのか。命は誰のものなのか。こうした問いに応答できるのは、おそらく宗教だけだ。
 
 安楽死を巡っては、医療界と法曹界だけでなく、宗教界もこれまで積極的に議論に加わってきた。

 患者の意思に基づいて延命措置をやめる「消極的安楽死」、すなわち「尊厳死」については、新宗教教団でつくる新日本宗教団体連合会(新宗連)が2006年、法制化を目指す超党派の議員連盟に対し、慎重審議を求める意見書を提出した。議連は12年に法案を発表したものの、議論は停滞している。

 日本医師会生命倫理懇談会は今年5月、本人・家族と医療・ケアチームの十分な話し合いがあれば、延命措置をやめられるとするガイドラインを示した。可能な限り緩和ケアを行うことや、積極的安楽死を行わないことも明記している。懇談会には、宗教者の立場から、浄土真宗本願寺派の僧侶である鍋島直樹龍谷大学教授が参加している。

 安楽死の安易な容認が、「生きるに値しない生命の抹殺」という論理の飛躍を生み、ナチスドイツにおいて障害者の大量虐殺を正当化した歴史もまた、忘れるべきではない。命を巡る多様な論点を含むからこそ、安楽死・尊厳死についてはしっかりと議論すべきだ。宗教界からのさらなる発信を期待したい。

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