光と影の思考「ネガティブな僕」
こんな事を言うのは不謹慎かもしれないが、東日本大震災とコロナという世界を揺るがすような出来事が起きた事に、とても感謝している。
その反面、辛い事も悲しい事も様々な葛藤があったのもしかり。
それらは僕を様々なプレッシャーから開放してくれたり、頭の中をリセットし、新たな思考や行動に大きな変化をもたらしてくれたからだ。
僕は産まれながらなのか(先天性)
震災やコロナ以上の辛く悲しく苦しい経験、環境、出来事の中からなのか(後天性)
HSPという、「非常に感受性が強く敏感な気質」を持って生きてきた。
※「Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と呼び頭文字をとって「HSP(エイチ・エス・ピー」と呼ばれている。
周りから自分がどのようにみられているのかは分からないが、一際目立つ存在なようだ。
さらに客観的に自分をみて、周りと比べると相当変わり者なのは明確である。
今の時代では、他種多様性も認識され認められつつもあるが、少し前の社会は、他種多様さを排除する方法が最適だった時代であり、それが私を追い詰めていったのだ。
これまでの日本社会は、単一の価値観によって社会が成り立ってきていたために、
ほぼ同一の環境で、似た価値観の人達に合わせた暮らしは、しばし僕自身を苦しめていた。
いつの時も、光と影が存在していて
光と影は常に隣りあわせだということ。
僕は、いつの日からだろう、光に当たらぬようにひっそりと自分の世界に没頭し自分だけの世界を作り生きるようになっていた。
本当の僕は、自己肯定感が低い、なのに人からネガティブな事を言われると、心が傷つき、更に心の傷を広げるかのように自分自身を追い込みネガティブを増幅させる。
またその逆もしかり、周りからはよく言われる、カッコいいね、優しいね、すごいね、輝いている、頼りにしている、期待している、いわゆるポジティブワードも僕にとっては、ネガティブに追い込むネガティブワードだということ。
本当にめんどくさい奴なのである。
細かいことに良く気がつき、自信がなく、弱気、心配性、人から好まれようと思わないが嫌われないように、全ての事に当たり障りなく、常に平常心を保ち普通でいれるようにしてきた結果が、
自分をいつのまにか「超ネガティブ人間」にしていたのだ。
そんなネガティブな僕は、相手に共感してしまう心が人一倍強く、人から求められれば情で動いてしまう性。
出来ることしか出来ないが、、、
なにか、ちょっとしたきっかけから「嫉妬、悪口、陰口、ひがみ、やっかみ、ねたみ、そねみ」というものが生まれ、
勝手にライバル視されたり、目の敵にされたり、目の上のたんこぶとして、出る杭(僕)は打たれる。
僕の心は、僕自身を動かし、生かして殺しす。あげてさげる。の繰り返し。
そうして、僕をまた苦しめていくのだ。。。
争いは同じレベルの者同士でしか発生しないというが、、、
あーめんどくさい。めんどくさい。
奴と同じレベルなのかと思うと僕自身辛く悲しく、激しい落ち込みと共に、ネガティブな悪魔が取り憑き、更なる高見えと引きずり出して行くのだ。
絶望だらけのこの世をどう生き延びたらよいのか・・・。
僕をつくりあげている基礎はネガティブの塊だ。
続く・・・
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