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雲が空を歩く〜『あゆみ』僕はあの空を歩いている〜

皆さんは、最近『空』を見上げてるかな?

僕は、体調を崩してから『空』を見上げることが多くなった。『空』に限らず『草』『花』『森』『海』『動物』…僕が見ている世界の【生きとし生けるもの】に対し、感傷に浸っている。これまで『空』をゆっくり見上げることなんてなかった。余裕がなかったのか…。見上げていたけど、何も感じなかったのか…。思い返してみても、思い出せない。おそらくどっちもかな。

時々…なんで『空』は青いのかなとか。なんで『この虫』は生きているのかなとか。なんで『雑草』は抜いても生えてくるのかなとか。なんで『人間』はみんな見た目が違うのかなとか。この『犬』は幸せはなのかなとか。

…。

そんなことを考えることが多い。まあ、だいたいのことは調べたり、頭の良い人に聞けば分かるんだけど。そこら辺は曖昧なままにしておきたいと思っていたり。そういうことを考えることが好きだから。理由が分かると途端に、興味がなくなっちゃう。つまり、自分の良いように都合よく解釈して楽しみたいってこと。

今日の朝も僕は『空』を見上げていた。太陽が眩しくて『空』が青く『雲』が白い。とても清々しい朝だった。あまりにも綺麗だったから、一枚写真を撮ろうと『空』にレンズを向けた。数秒間レンズ越しに『空』眺めていると…また変なことを考えてしまった。

『雲が空を歩いている』

タイトルの写真はその時、撮ったもの。太陽が眩しくて目が眩んじゃったな。


『雲』だって形は違うし、『あゆみ』のスピードは違う

『空』はいろいろな表情を見せてくれる。元気はつらつな快晴。少し落ち込んだような曇り空。悲しみが溢れ泣いてしまった雨空。荒々しく怒りを見せるカミナリ。『雲』の隙間から降り注ぐ太陽の光の矢。夜になれば月の優しい光や降り注いで落ちてきそうな星空。

風の音や雨の音なども含め、不思議と安らぎをもらっているなと。家で過ごす密かな楽しみだ。

そんな『空』に大きな影響を与えているのが、今回の主人公である『雲』だ。見上げていて思ったのが『雲』と『人』は似ているなということ。姿形は違うし、進むスピードが早い『雲』もあれば、ほぼ動いていないような、でも確実にゆっくりと進んでいるものだってある。

『空』を人生と過程し『雲』を『人』だと定義してみる。そう考えると、少し面白くなってきた。姿形が違う『人』が、あゆみのスピードは違うにしろ、みんな同じ方向に向かって、歩を進めてる。これってすごく素敵なこと。

姿形はその『人』の個性。あゆみのスピードは、その『人』の能力であったり、キャパシティになるかな。これはその時々の『感情』などに左右されると思うけど。『空』はいろんな表情を見せてくれるけど、人生も山あり谷ありで、人それぞれだ。

ただ、進むべき方向は一緒。『人』も同じ方向に進むことが必要だよ。

『幸せ』に向かうこと。『幸せ』になっちゃいけない『人』なんていないんだから。

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通知表の『あゆみ』

僕が通っていた小学校では、学期末に『あゆみ』という通知表をもらっていた。これはどこの小学校も一緒なのかな。確か、3段階評価で(よくできる、できる、がんばろう)みたいな感じだったと思う。学校の先生は、大変だと思う。生徒たちの評価を間違いがないように通知しないといけないから。

小さい頃から評価を通知されるというのは、大人になってもずっと、つきまとう。これは、ある意味避けられない運命みたいなもの。人生にはどうやっても避けられないことやツライこと、キツいことは起こる。

それもまた人生。

ただ『空』を歩いているのは僕だ。僕の人生は自分が主人公なんだから、現在、自分の『あゆみ』はどうか。3段階くらいで自分自身に通知表を渡してみてもいいかも。すっごく甘い採点になるだろうけど。

『あゆみ』とはよく名付けたものだなと、感心したことは黙っておこう。

ちなみに現在、僕の『あゆみ』は『がんばろう』がいっぱいあるかな。

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おわりに

『空』を見上げて、こんなこと考えるなんて思わなかったな。

宇宙から地球を見たら、地球なんて小さい。また、地球から見たら国なんて小さいし、国から見たら人なんてもっと小さい。そんな小さい『僕ら』が『大空』を歩く『雲』に逆らえるはずもない。

『僕ら』は同じ方向を見て『あゆみ』を少しずつでも進めていかないと。

みんなが主人公でみんなが脇役。

姿形なんて関係ないし、歩くスピードが違ったっていい。

折り重なる『雲』のように『人』も支え合って同じ方向に進めばいいんだから。

僕は立ち止まっているように見えるけど。よく見ないと分からないかもしれないけど。すり足で少し進んでいるよ。

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さあ、今日も生きていこう。


どうも文吾野助。

note投稿を通じ、まずは自分自身の幸せに向けた活動をしていきます。自分が幸せでなければ、他の人に幸せを分け与えていくことはできないと感じているからです。私は日記というかエッセイ的なものを投稿しています。その内容が少しでも皆さまの幸せの種となりますように。どうも文吾野助。