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フィリップ・K・ディック「マイノリティ・リポート」を読む5(迷宮としての世界)

先程まで眠っていたのだが、夢を見ていた。

ある島まで(多分大きな客船か飛行船みたいな乗り物で行ったのだが、それが連続する夢だったのかは分からない……)旅行し、そこで案内人の平野啓一郎さんにうながされて、巨大な立体の凧みたいな構造物に乗り込む。

巨大な凧はかなりの高空に浮かんで、なぜか移動もしているらしい。
(凧の中の通路をぼくは歩いたりしている)
やがて、凧はその島の地上に降りる……。

着陸した飛行機のようにタラップがあると思うのだが、そんなものは何もない。
紙で出来た凧から外にでると「島」の町の通りが続いていた……。

そこまでが夢だった。
島の町の風景も妙に現実感が希薄であった。
まぁ、そこは元々夢なのだから、それはそうなのだが……。

フィリップ・K・ディックの小説も、人間のまがいものであるシュミラクラやアンドロイドがよく出てくる。

しかし、そういったキャラクターだけでなく、彼の描く「世界」そのものが仮想現実っぽいのは、なぜなんだろう?

このエッセイの始めのほうで言及した「○○が妄想している世界」というものも現実からズレた「仮想現実」的な世界といえるだろう。

それは、ある人物が妄想にとらわれているだけで、厳密には仮想現実とはいえない。

しかし、その人物にとって「妄想」は世界の見方を歪め変質させるのだ。

アンダートンは、自分が警察に追われているのは「新任警官ウィットワーの陰謀」であると思い込んでおり、そういう風に世界を見ている。

そういった色眼鏡で見ると、世界はまさしくそう変わるし、実際読者は、アンダートンの見る世界を現実の世界と認識して小説を読む。

しかし、そんな陰謀はなかったのだ。

だから、前半ディックが書いていた世界は仮想現実であり、「偽の世界」だったのである。

「妄想」だけでなく、この作品では「予知された複数の世界」という手法で仮想現実を見せてくれる。

この場合、プレコグたちは、枝分かれしたパラレルワールドではなく、他のプレコグが見た予知と、それに触発されて変化していく世界を再び予知する(そしてその情報を元にして、またアンダートンが世界を変えていく)。

いってみれば、「世界は夢のリレーである」という認識が、ディックにはあるのかもしれない。

そして、夜寝てみる夢もそうだが、
小説もSFであろうが、リアリズムの内容であろうが、「小説」自体が一種の仮想現実であるのは、
いまさら慧眼な読者には言うまでもないだろう。

その小説という「仮想現実の入れ物」の中にさらに細かい仮想現実を描き、
ディックは、小説世界を迷宮化するのである。

読者はテーマパークで遊ぶように、その迷宮で遊んでいるうちに、いわゆる「現実」というものの「曖昧性」や「脆弱性」を学んでいく……。

そういった側面がディックの文学にはある。

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