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耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――

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韻踏み夫の連載「耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――」の第一回から第六回(最終回)を一挙収載。 第一回 日本語ラップ批評宣言(2021・10・7) 第二回 リズム/イズ… もっと読む
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耳ヲ貸スベキ!――日本語ラップ批評の論点――

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第四回 ヒップホップ・フェミニズム/通俗性/革命的モワレ  韻踏み夫 「一人称」の「空虚」さゆえに、「自分が自分であることを誇る」という形式は、「自分が日本人・男性・異性愛者であることを誇る」というような反動的な意味作用を持つことになった。しかしその形式は善用もされうるものである。COMA-CHI「B-GIRLイズム」はその説明にこの上なく適切であろう。言うまでもなく、「B-BOYイズム」をもとに

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第三回 空虚/ナショナリズム/六八年 韻踏み夫

 「“一人称”の文化」というテーゼは、ありうべき日本語ラップ史の成立を支える正当化の論拠として立てられつつ(第一回)、その論理自体はリズム論/グルーヴ論的な射程に開かれうるようなものであった(第二回)。しかし、それは当時、実際にはどのように受け取られたのだろうか。つまり、宇多丸の日本語ラップ批評がそのアクチュアリティにおいていかなる政治性を持ってい

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第二回 リズム/イズム 韻踏み夫 前回、宇多丸=佐々木士郎の日本語ラップ批評を、主に歴史的な観点から見た。「盗みの文化」から「“一人称”の文化」へ。宇多丸=佐々木士郎は日本語ラップの布置をそのように更新したのであった。今回の課題は、その理論的な射程をはかることである。宇多丸の問いの理論的な中心は、なぜかくも単独的であるようなヒップホップが同時に共同的でもあるのか、ということにあった。よって、一つ目

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第一回 日本語ラップ批評宣言 韻踏み夫 ひとまず「日本語ラップ批評」と言ってみたものの、そんなものが果たして実際に存在しているのかは分からない。しかしながら、そのようなものの必要性はたしかに感じられる。日本語ラップは、多くの者の興味をひき、時にその期待に応え、あるいは裏切りながら、しかし三十年以上の豊かな歴史をつむいできたのは事実なのだ。ひとは、ヒップホップのことを理解もできないが、無視もできない

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