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吉岡秀隆さんのファミリーヒストリーにもらい泣きした件。

先日、吉岡秀隆さんの『ファミリーヒストリー』(NHK)が放送された。彼がこういう番組に出演するなんて珍しいのでは?と思い、録画予約しておいた。

(以下、放送された内容を含みます。よろしかったら、先に配信などで視聴することをおすすめします)

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父は東宝舞台の大道具、母は衣装デザインを担当していたという吉岡さん。私はあまり彼のプライベートを知らず、知っているのは倍賞千恵子さんを“お母さん”と慕っていること、尾崎(豊)と友達だったこと、共演者と結婚していたことぐらいじゃないだろうか。この番組でご両親の仕事を知り、彼のこれまでの歩みがなんとなく腑に落ちた。そして、今も元気な89歳の母・明子さんの登場によって、いかに吉岡さんがかわいがられてきたのかも理解できた。ちなみに彼は末っ子長男。あー、そうなのか、そうなのね。こっちも腑に落ちた。

末っ子の私は、周りにいる末っ子や末っ子長男をよく観察してきた自負がある(笑)。彼ら彼女らに対する、偏った見方がある。だが、大沢たかおさんが末っ子と知って「あー、わかるー」と思っていたら吉岡さんもそうだったので、自分の偏見も意外と間違っていないのかもしれない。

さて、番組の前半は父・正隆さんの家族の話を中心に進む。父方の一家はかなりの苦労を強いられた数奇な運命をたどるのだが、さらに驚くのは後半だ。

大人の吉岡さんが、子どものように素で泣くのを初めて見た気がする。

母方の先祖は新田義貞の甥という、けっこうな驚愕展開を経て、明子さんの家族の話へ。彼女の父(吉岡さんの祖父)・竹三郎さんは、孤独な生い立ちながら歯科医となり、やがて子宝に恵まれる。長男、つまり明子さんのお兄さんは医師を目指して京大の医学部へ。しかしその後、彼は海軍に志願し、戦死してしまう。吉岡さんにとっては伯父にあたる人で、2人はよく似ていると言われるそうだ。兄を戦争で失った母を慮り、今でも吉岡さんは軍服を着る役柄をNGにしているという。

さらに、明子さんの姉は元タカラジェンヌで、若い頃から病魔と闘い続けた末に42歳で亡くなったことが明かされる。彼女が明子さんのためにつくったドレスが映し出されたが、美しい花々の刺繍は未完成のまま。長男の戦死という辛い経験をした一家にとって、タカラジェンヌとして舞台で活躍する娘は希望だった。それなのに、彼女もまた若くして亡くなってしまった。

約20年前、吉岡さんは伯父が目指していた医師を演じることに。それが、離島のへき地医療に携わる医師、コトー先生である。ちょうど1年前に公開された映画版『Dr.コトー診療所』の映像が出た。「必ず全員助けますからね」と先生が言うあのシーン。ダメだ。こっちはこっちでパブロフの条件反射。映画や与那国島の風景を思い出し、世界観に浸ってしまって、あっという間に涙があふれる。しかも、彼にとってこの役を演じることには違う感情があったんだと思うと、また涙があふれるのである。

映像や明子さんの口から伯父や伯母のことが語られるたびに、吉岡さんは涙をぬぐう。それまで、母親のダンス姿を見たり両親のなれ初めを聞いたりしては、照れ隠しに茶化していたのに。嫌々ながら俳優の道へ連れて来られた幼少期から、ずっとこの道で葛藤し、悩む自分を見守ってくれた母。彼女に対する思いと、志半ばでこの世を去った伯父と伯母への思い、さらに我が子との辛い別れを経験した祖父への思い。3つのやさしい感情から流した涙なのだと想像する。

コトーで共演した堺さんとのエピソードとして以前のnoteに書いた通り、吉岡さんは役柄に対して真面目で実直なんだと思う。

今、演技の上手な役者さんはたくさんいる。特に、若い役者さんは、経験が少なくとも器用な人が多い。けれど、これまで悩んでやってきたことが表現となり魅力となっている、あまり器用じゃない吉岡秀隆という俳優が、私はとても好きだ。

「嫌で嫌でたまらなかった(今もそうらしい)俳優を続けて来られたのは、母に“頑張ったね”と褒めてもらいたかったからなんだなあと、今日改めてわかりました」。彼はそんな風に話した。

最後は母・明子さんの語り。
「よく頑張ってきましたよ。はなまるです」

母親に褒められて、再び吉岡さんの目から涙があふれた。ああ、こちらももらい泣き。こんなに息子から思われたら、幸せだろうなあ。

草刈正雄さんの回以来、久しぶりに視聴したのだが、見てよかった。また消せない録画データが増えちゃった。


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