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人生を変えた一冊①/「赤毛のアン」

人生を変えた一冊は二冊ある。今回はそのうちの一冊「赤毛のアン」について。

大袈裟すぎる表現なのに、惹かれる大自然の描写

初めて物語に触れたのは、確か世界名作劇場だと思う。ただ、熱心に視聴した『ペリーヌ物語』『トム・ソーヤの冒険』に挟まれたせいか、中身をうろ覚えのまま忘却の方へ(高畑さんには申し訳ないけど)。ところが中学二年のとき、どっぷりとアンの世界に魅了された。読書感想画を描かなければならなくなり、その対象としてたまたま選んだのがこの本だった。

過去のnoteに何度か書いている通り、私は相当な山奥で生まれ育った。かなりネガティブ人間なのだが、当時も「サンタクロースはあの山の向こうまでしか来ない」と思っているような子どもだった。ただ、目の前の自然は好きだとうすぼんやり思っていたかもしれない。

というのも、最初この本に夢中になったのはアンという人物の魅力ではなく、モンゴメリの自然に対する豊かな表現力だったからだ。大袈裟過ぎるアンのことばは、大人が聞けば馬鹿馬鹿しく感じただろう。しかし自分には、行間にきらきら輝く湖が見えたし、リンゴの花も白樺の木立も妖精が棲みついているんじゃないかと思うほど美しく感じられた。

アンの目を通してプリンスエドワード島の自然を体感した私は、「自然のある暮らしがあまりにもありふれた日常だから、自分は何も感じないだけなのではないか」と思った。アンの空想癖は、たちまち自分にも感染。初めて自身の暮らしを肯定できた瞬間である。故郷の気質は合わないけど、自分を包むこの自然は好き。それをはっきりと自覚したのだ。

”日常”を生き生きと楽しむアン、一方の自分

もともと家の見取り図を見るのが好きだったので、グリーンゲイブルズの様子にはとても興味が湧いた。「いつか一人で住める木の家を建てよう。アクセントは緑色」と、子どもながらに空想しては楽しんだ。小説では当時の生活様式や文化についてもふんだんに触れられており、「“暮らしを楽しむ”ってこういうことか」と興奮しながら読み進めた記憶がある。

何度も読むうちに、登場人物の魅力にも憑りつかれた。お喋りも空想も過ぎるが日常を心から楽しむアン、厳しいながらも彼女を大きな愛で包むマニラ、穏やかでやさしいマシュー、腹心の友・ダイアナ、ライバルから友達、そしてパートナーとなるギルバート。登場人物の誰もがアンに魅了され、支え、支えられている。人間同士の豊かな関係性。孤児院で暮らしていたアンにとっては異次元の世界だっただろう。毎日を生きる喜びが、彼女を余計にお喋りにさせる。

オルコットの「若草物語」を読んだのもこの頃。同じように当時の生活様式や文化を知ることは、とても刺激的だった。周りに支えられながら、主人公たちは生きる道を自分で切り開く。迷いながら、でも潔く。フィクションとはいえ作者の実体験が生かされているため、モンゴメリやオルコットの生涯を重ねながら読んだ。だから「赤毛のアン」原作誕生百周年の際に公表されたモンゴメリ自身の着地点というか終着点については、諸説を知り「もしかすると……」と想像はしていたけれど、やはり少々驚いた。


日々は楽しい。

30代半ばまでは、そこに重きを置いて生きてきた。この頃まで村岡花子、掛川恭子、松本侑子、このお三方の翻訳した「赤毛のアン」シリーズを読み耽った。

葉擦れの音や季節の移ろい、友達とのおしゃべり、ひとり道草、心地いい空間づくり。そんなことを楽しむ時間。それらが減っていったのは、10年ほど前から。仕事が多忙になり、好きな旅も本も暮らしから消えた。一日は異様に早く過ぎ去って、なんだか消耗する日々。その後、成り行きで個人事業主になった。今度は自分のペースを掴めない苦痛と闘う日々。「とにかく案件を詰め込んで、死ぬ気で働かないとこの世界は生きていけないよ」とよくアドバイス(なんだろうか?)された。その度に、そう思えない自分はダメ人間なんだと思った。でも「死ぬ気で働いて死にたくないんだよ、こっちは」とも思った。そこへ、昨年からのコロさんである。

今は諦めの方が大きくて「何でも来い」な気持ちだけれど、落ち込む日はズーンとしている。でも好きなドラマや映画、猫のことを綴る時間は楽しい。noteで面白いことをしている人や好きなものを語り続ける人、さまざまな思いを吐き出している人たちの存在は活性剤となっており、助けられている。皆さん、ありがとう。この場をお借りしてお礼をば。

プリンスエドワード島を撮影した写真家

ところで、私がプリンスエドワード島の写真を最初に見たのは「私のカントリー」ではなかったか。そこには吉村和敏という撮影者の名前があった。赤毛のアンにまつわる雑誌の特集や本には、ときどき彼の名前が記されていた。私が持っている写真集といえば、まず笠智衆さんの写真集「おじいさん」なのだが、他に『Dr.コトー診療所』の写真集や岩合光昭さん関連、そして唯一の風景写真集が吉村和敏さんのもの。吉村さんの写真集は、ことばも多い。特にプリンスエドワード島や最も美しい村シリーズに関するものは、エッセイ要素が強い。

吉村さんには、一度だけ個展でお会いしたことがある。書籍を購入した際に美術館の方が「今日はトークショーの後、サイン会ですよ」と教えてくれたが、時間の都合で参加できない旨を伝えると、準備中の吉村さんを呼び出してくれ、サインをしていただいた。あれから随分月日が経ってしまったが、美しいカナダの風景を落とし込んだ写真集は、笠さんの写真集同様に何かあるたび開く心の拠り所でもある。

再びアンの世界へ。想像の翼を広げる

しばらく遠ざかっていた「赤毛のアン」。2年ほど前から松本侑子さんの新訳改訂版シリーズの発行がはじまっているのを知り、先日また手に取った。

アンは鬱陶しいと感じるぐらいお喋りで、とんでもない失敗を繰り返す。「おいおい、アン・シャーリー大丈夫?」と、ついマニラ側の気持ちになるのは、私が彼女の年齢に近づいたから。昔読んだときと感情移入の仕方は変わったけれど、美しい自然が相も変わらず次々と脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消える。

本を開けば、暗がりの中からアンの世界が時を越えてやって来る。「赤毛のアン」は私の暮らしを灯し、広がりをもたらした。そんな大事な世界をどこに置いてきてしまったのかと、少々うな垂れる。またあの美しい物語に夢中になりたい。シリーズの続きを読んでみようか。


「―― 今、その道は曲がり角に来たのよ。曲がったむこうに何があるかわからないけど、きっとすばらしい世界があるって信じていくわ。それにマリラ、曲がり角というのも、心が惹かれるわ。曲がった先に、道はどう続いていくのかしら」(松本侑子訳・モンゴメリ著「赤毛のアン」文春文庫/第38章より)

人生の岐路に立った16歳のアンの有名な台詞だ。曲がり角の先を想像して楽しむのか怖がるのか、その選択は自分にある。



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