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先の読めない野島作品/ドラマ『何曜日に生まれたの』

脚本が野島伸司さんだから、社会問題を題材にしたドラマなのだろうか。だとしたら、日曜の夜に視聴し続けられる自信がない。そんな風に思っていた。

実際には「日曜夜9時からのドキドキハラハラ疲労感に負けて」という理由から(笑)、週明けに録画視聴へと切り替えることになったが。

ちなみにあなたはナンウマ?
私は木曜日のフルムーンに生まれた、というのを学生の頃知った。まさかこんなタイトルのドラマが始まろうとは。

主人公は、飯豊まりえさん演じる黒目すい。高校時代のある事件を境に、10年間ほぼ引きこもり状態となる。そんな彼女と暮らすのは、売れない漫画家の父・丈治(陣内孝則さん)。最近ついに連載が打ち切りとなった。なんとか仕事をもらえないかと編集長の来栖(シシド・カフカさん)に直談判したことから、人気ラノベ作家・公文竜炎(溝端淳平さん)とのコラボを提案される。ただしコラボの条件は、コモリビトのすいをモデルにした恋愛作品をつくることだった。

これは社会派ドラマなのか? 野島作品=社会問題に切り込むドラマとしたい自分がいるらしい。ところが、すいは想像していたより遥かに人とコミュニケーションが取れている。例えば父親。仲良しとまではいかないが、互いに助け合って生きているのが分かる。おまけに彼女を囲むのは、優しい父に加えて、あっけらかんとした姉妹の編集長&カメラマン、風変わりな人気作家というコミカルなカルテット。

しかし断片的に描かれるすいの高校時代には、胸がチクチクするシーンが多い。仲良しの子の嫉妬心、同級生からの信頼が崩れる日……。ドラマの公式サイトには、「人間関係は、見かけと違う」というキャッチが掲げられている。高校生の彼女たちは、仲の良いサッカー部員とマネージャーという、ごく普通の若者に見える。瑞々しくキラキラとした時間。だが実際には、少し違っていたことが次第に明らかに。すいが引きこもる原因となった事件の真相にも、少しずつ近づいている(これまで描かれた内容だけじゃないと思っているので)。

すいの中で高校時代がフラッシュバックするたびに、抑制の効かない悪魔のようなものが誰にも潜んでいることを思い知らされる。好きな人から「お前が死ねばよかったのに」と吐かれた日のこと。同じ人を好きになり、「告白されるまで互いにアプローチはしない」と誓い合ったのに、あっさりと裏切った親友。彼女から「私たちの前から消えてくれない?」と迫られる仕打ち。すいのトラウマはここにある。何が本当で何が嘘なのか、誰が信用できて誰が信用できないのか。

同窓会を機にかつての仲間と再会し、止まっていたすいの時間は動き出した。彼女の高校生活には、まだ何かある気がしてならない。同じサッカー部のマネージャーだったのは親友の瑞貴と、サッカー部エース・雨宮の熱狂的ファンでもあったリリ子。彼女らには不穏な空気が漂っている。

このドラマは、公文がいわば案内役。創作のためにさまざまな仕掛けをする。彼とすいに恋愛感情が芽生えることは一切ないのだろうか。そういえば、公文はなぜ丈治の娘であるすいのことを知っていたのだろう。その辺りは今のところ明かされておらず、終盤の見せ場になるのかもしれない。

物語自体がどこへ向かっているのか、ずっとゆらゆら揺れているように感じる。恋愛? 友情? ヒューマン? サスペンス? どれも違っていて、ひと括りにできない。そのため初回は少々困惑したが、毎回ラストに驚かされ、次回への期待が膨らむのだった。果たして事件の真相と、すいのトラウマ克服は成されるのか。どうやら私にとって、日曜のこの枠は主人公を見守るドラマのようだ。


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