少し立ち止まることにした#1 何もしないことをする、頭を空っぽにしてわかったこと #20代OL #適応障害 #休職
適応障害をきっかけとして、現在おやすみ中のわたし。
(#0を貼り付けておきます)
今週やることは「何にもしないことをする」です。
やすみかたのマニュアルを精神科の精神科の先生にもらったので、それをベースにやすんでいます。
「何にもしない」というのは、案外難しいです。
マニュアルによると「原因(=私の場合は、仕事環境)から離れて、十分休む、規則正しく、睡眠はしっかりとる」ということらしい。
とにかく、規則正しい生活を心がけています。
薬の効果もあり、頭はからっぽ(何だか、頭の奥のブレーカーが落ちたような気分)。
平日はベッドから起きれない、目覚ましの音も聞こえなかったのに、今では、目覚ましなしでも、勝手にちょうど良い時間に、早起きできるようになりました。
GWでもあるので、実家に帰省しているため、早く起き、ごはんを食べ、家事をこなし…ルーティーンのような一日をひたすら積み重ねています。
ルーティーンの中に、叔母に会ったり、祖母に会いに行ったり。
我が家は、時代の最先端を行く核家族のため、親戚は少ないですが、非日常を、たま~に味わいつつ。
(友人には、申し訳ないですが、理由をごまかして誘いを断ってしまいました…適応障害という言葉だけ言うと職場の方が誤解したようになりそうで…でも今の体調を隠して会うということが私にはできず…)
頭を空っぽにしてみて改めて気が付いたことがあります。
休職直前、オフィスで原因も理由もなく涙が出るときがありました。
体が拒否反応を明らかに示しているけれど、当時は、なぜ拒否しているかわかりませんでした。
でも、ふと、あれは「仕事が嫌」の涙じゃなくて、「チャレンジしたけど年功序列とかよくわかんない縛りでチャレンジさせてもらえなかった、自分ひとりでは革命起こせなかった」という悔し涙だっただな、と。
(実際のところ、陰湿なことを言われたことがきっかけで適応障害と診断されていますが、もはや言われたことなど気にしていなかったのです。)
あと「味方は大勢いる」ということ。
noteでコメントを残してくれる方がいたり、
話しかけてくれる人、一緒に怒ってくれる人、普段から気にかけてくれる人、
家族、友人など、私にはとても良いご縁が集まっていることに気が付きました。
その一方で職場のように「適応障害=ぶーんが弱くて折れちゃったという印象」という誤解もありますが…
敵とか味方とかはっきりとした線を引いてしまうのは良くないと思うので、味方/それ以外でその境界は曖昧という感じで。
頭が空っぽになったら、少人数かもしれないけれど、自分のことを大切にしてくれる人に気が付くことができました。
全員に好かれたくて生きているわけでもないので、そういう人を大切にしよう!という学びを得ることができました。
そして、頭を空っぽにしたら、自分のことをどこか客観的に見ているもうひとりの自分がいました。
自分の事を自分自身でも大切にしよう、って前向きな気持ちになれました。
まだ薬の効果が切れると心の中に真っ黒な闇が出てきそうになるし、薬を飲んだら眠くて、わけのわからないことをやりますが(例:ドレッシングをブンブン混ぜる→フタ開ける→ブンブン混ぜる→ドレッシングをばら撒く)、
大切なことに気が付くことができたので、やすむ決断をしてよかったな、と改めて思いました。
お医者さんのマニュアル通りの「何もしないことをする」とは少し違うかもしれませんが、私なりの暮らしができています。
もう少し空っぽになったら、次の段階へ進もうかな、と思います!
ヤダなと思うことからは、距離をとる
心地よいことを率先してやる
そうして、自分を大切に、周りにいる味方を大切に。