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Marta Kubišová(マルタ クビショヴァー)のHey Jude

今日は父の日なので、父との思い出にちなんで学んだ事を一つ書いてみよう!
その前にまずはタイトルにあるMarta KubišováのHey Judeを。

チェコ旅行とCDの注文

2014年と2015年の年末年始に5か国の中欧への旅をした。
・オーストリア(ウィーン、ザルツブルグ)
・スロヴァキア(ブラチスラヴァ)
・ハンガリー(ブタペスト)
・ポーランド(クラクフ、アウシュビッツ)
・チェコ(プラハ)
ザルツブルグで年越ししたけど、ここが今までで一番いい年越しだった。

旅の話はさておき、当時チェコに行くと家族に言ったら、
父親から「マルタクビショヴァのCD買ってきて」と言われた。
何それ?人の名前なのか曲名なのか?ってレベル。
その後は自分のバックパッカー極少荷物&旅の時間がない中でのこの依頼に対する苛立ちから、とにかく拒否しまくった。
話を聞くとネットだけでなく、最も品ぞろえが多いであろう渋谷のタワレコにすら一部のCDしか無いらしい。
チェコ人だからチェコならたくさんCDあるからと釣りは不要の10,000円渡されて、しぶしぶ引き受ける事に。釣り不要になったからしぶしぶじゃなくて、まぁいいかになってたけどね。

それでプラハのCDショップに行ったんだけど、まぁ見つける事ができなくて、「こんな人のあるわけないだろ。相当古いんじゃないの?時間の無駄だった。」と腹立ちながら、店員に聞いてみた。
聞いてみたら、聞き返される事もなくすぐにカウンターから出てきて、案内してくれて「まじかっ」てなったその時、棚の2列ぐらいがMarta Kubišováコーナーだった。世の中分からない事多いね。
そんなこんなでCDお遣い完了して、特に気にする事なく6年が経過した。

推測から導いた解

昨年父親は亡くなってしまって、先日その法事があった。
法事の度に親戚たちは父のCDを借りていく。
大量に買い込んでいたCDやレコード、本はすでに本棚に納まっていない。
そんな中、チェコでのお遣いを思い出した。
チェコ人女性、Marta Kubišováを父親がなぜ知っていて、CDを探し求めていたのか気になって調べてみた。
生きているうちなら聞けたけど、今となっては推測するしかない。
まずはCDを聞いてみた。
チェコ語で全然わからない曲ばかりの中、1曲知ってる曲があった。
 "ビートルズのHey Jude" でもチェコ語
そしてこれに関してはすごく懐かしい思いがある。
昔は日曜の朝はCDをかけたり、車の中ではカセットテープで音楽をかけていた父親。きっとコンピレーションアルバムかなんかで持っていて、幼い頃に聞いたんだと思う。
"Marta Kubišová" "Hey Jude"をネットで調べるとプラハの春が一緒に必ず出てくる。
推測ではあるが、これで知ったのだろうという解が導かれる。

プラハの春とMarta Kubišová

1960年代の終わりに共産政権のソ連による共産圏の一国であったチェコも表現の自由を抑制されていたが、自由改革を起こすべく、立ち上がっていた。
一般に言うプラハの春だ。
そんな時に人気歌手であったマルタが1968年の世界的なヒット曲、ビートルズのHey Judeをチェコ語で、チェコ人を鼓舞する歌詞に変えて歌われた。
これが、チェコの中では大ヒットしたが当然、彼女は弾圧されてしまう
音楽界を追放されて、生きる事がやっとの20年を歩んだそうだ。
ただし、学生たちや抵抗運動をする人達の中ではその間もずっと革命の象徴の歌として歌われ続けた。
1970年頃にはきっと、世界中で彼女の活躍が報道されていたんだなぁと想像ができる。
それにしても、たった一人の歌手が政権に立ち向かい、行動を起こしたのはすごいとしか言いようがない。
今でいう、香港の周庭(アグネス・チョウ)に該当するのかな。
2人とも方法は違えど、命を懸けて先頭に立って革命を起こそうとするのはジャンヌ・ダルクみたい。

世の中への伝承

Marta KubišováのCDをチェコで買った事で、プラハの春からビロード革命の時代に起こっていた事やMarta Kubišováという偉大な人のエピソードを学べた。
1970年は今より、情報的な意味では弱い世の中だったが、チェコ語でここまでカウンターカルチャーで有名で日本人でも曲を知っていたと思うと、相当な事をやってのけたと伝わってくる。
Hey Jude自体、音楽の教科書に載っていて授業でやったが、こっちのストーリーも社会とかで扱ってくれたら嬉しかったなぁと今更ながらに思う。
過去に何が起こっていただけでは、人はまた過ちを繰り返す。
なぜ起こって、何が原因で、どんな不具合が起こったかをしっかりと後世へは伝えていかなければならない。
こういう歌はいつまでも残って、
一人でも多くの人が気にかけられたらいいね。
世界の平和を考えながらしばらくは彼女の歌を聞いてみよう。

そんな真面目な父の日でした。
最後にビロード革命の中で歌われた"マルタの祈り"を貼っておきます。


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