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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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2019年6月の記事一覧

線路は続くよ

線路は続くよ

山手線の一番前の車両に乗り、運転士の後ろに陣取った。

彼は帽子を目深に被ってまっすぐ前を見据えている。時おり計器を指差し、何かをつぶやく。後ろから頬のふくらみが見て取れる。若いひとだ。

京浜東北線の運転士の右手はフリーでただ置かれているだけだったが、山手線ではコックを握っていた。白い手袋をしている。そう大きな手ではない。

乗客はこの人の腕に命を預けているのだと気付く。無条件に信頼しているけれ

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道草

道草

カルチャーの帰りに多摩川台公園の紫陽花を見に行きましょうと誘われた。

わたしはどちらかといえば一本道の人間で、来た道を帰らないと迷子になってしまう。

それでも、道草をする、という感じは悪くない。糸の切れた凧になってどこかに飛んでいってしまいたいという思いもなくはない。

誘ってくれたのは、ご主人を亡くし、一人暮らしをされているご婦人だ。

東横沿線にお住まいと聞いている。お年は60歳代の後半、

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ひとかげ

ひとかげ

「ひとかげ」という本を探しに八重洲へ行った。東京駅を突っ切ってブックセンターへ向う。

駅構内はいつものようにアナウンスと人のざわめきで満ちる。これから行くひともいれば帰ってきたひともいる。いずれ通り過ぎていくひとたち。

中央出口の交番では、おまわりさんが地図を指差し丁寧に道順を教え、地方から出張に来たらしいサラリーマンは丁寧にお礼を言う。その言葉のイントネーションが耳慣れない。

どこかから関

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下町

下町

春のある日、日差しがあまりに柔らかで、こころもちもあたたかだったので、佃島へ行こうと思い立った。

横浜から引っ越してきてから、ひとり、きままな東京下町散策を続けている。これまでに谷中、根津、築地を回ったので、今度は川を渡ってみようと思った。が、いつだって、前もって綿密な計画を立てることはない。

例えば、ベランダの洗濯物が風に吹かれているのを見ているうちに、ふっと、ここではないどこかへでかけたく

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Go ahead 2011

Go ahead 2011

第三火曜日の夜に青柳恵介氏が語る骨董にまつわる楽しいお話を聴きに行っていた。

いつも、友人ふたりと日暮里駅で待ち合わせて夕食を済ませてから、教室である谷中の韋駄天さんへむかう。時間にしたら10分あまりだろうか。

その途中で足が痺れ出した。

友人ふたりはあたしより年上なのだが、 勤労婦人で、本人達は意識していないだろうが、あたしから見ると、足の運びがまことに早い。

すっすっすっ。目的地へ向か

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扉

デスク周りの整理をしていると、小説の教室に通っていた頃の原稿が出てきた。教室で配布された日付けは十月五日。何年前だったろう。

題名は「闇坂(くらやみさか)」ああ、あれか、と思い出す。「ふびんや」という連作の何作目かで「あず」という登場人物が、顧客の家へ古物を引き取りにいく話だ。

そうそう、そうだった、と罠にかかったように読み始めてしまう。

「シンと冷える寒さが町を包む。暮れの商店街に人通りは

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川村記念美術館 2010

川村記念美術館 2010

東京駅八重洲口から一時間ほどバスに乗って
千葉県佐倉市にある川村記念美術館へ。

ブログには京成バス3番のりばと書いてあって
それは出口からは案外遠くて、
迷ってあれこれ聞いてロスタイムして
発車時間が迫っていて
い、いかん!と大慌てで走りました。

その甲斐あって間に合って
高速に乗って、東京から千葉へ向かいました。
それはもう小旅行のような気分で。

都心を行く窓の景色は人工的な灰色ばかりで

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アンジェラ 2010

アンジェラ 2010

セブンイレブンのレジにいるその女の子の名前をあたしは知らない。名札はいつもうまく隠してあって知りようがない。

勝手な想いだが彼女はアンジェラという名前が似合う。その祖先のだれかに南米の血が流れているようなエキゾチックな風貌。

落っこちそうな大きな目、すーっと高い鼻、豊かなくちびる。情熱的という形容詞が似合いそうな女の子。

おしゃれさんで髪の毛は金色になったり見事なドレッドになったりするし、目

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行きつ戻りつ

行きつ戻りつ

苦しいことを苦しいと口にして誰かにつげてしまうことは、一種の逃げなのだろうか。

苦しいことを苦しいままに心に秘めておくことが出来ない弱さだろうか。

「全て自分が悪かったのだ」と、「自分のせいなのだ」と、すぐに懺悔してしまうのは、「いや、あなたのせいではない」という言葉を無意識に期待しているからだろうか。

誰にも告げずにこころに押しとどめておくと、そこで腐食して、こころに穴をあけてしまいそうで

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ミヨさん

ミヨさん

ミヨさんに、いくつですか?と聞いたことはないが、話から察すると、たぶん70歳前後だろう。

朗読でミヨさんは「金子みすず」の詩を読んだ。 決して美しい朗読ではないが 嗄れたようなミヨさんの声が 「みんなちがって みんないい」と読むと それはきれいごとではなく、ミヨさん自身の独白のようにも聞こえた。

ミヨさんは、色白の細面にめがねをかけている。 化粧気のない顔の真ん中、小鼻の上に飛び出たほくろ

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ドクターと料理人

ドクターと料理人

高校の同窓会、2次会のテーブルで私の右側に料理人が座った。彼は3年のとき、同じクラスだった。

顔の造作が大きくて、鬼瓦のような、という形容詞が似つかわしい風貌だったが 、笑うと童子のようなかわいさがあった。

中学のときから陸上の長距離走で名を馳せ、どこかの大会の中学記録保持者だったのだと聞いた。

高校でも陸上を続けていたが途中でラグビーに転向した。進学に有利だったからだ。

そして体

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ひらおかさん

ひらおかさん

駅ビルの本屋に入ると、ハンサムだけど、ちょっと憂鬱そうな顔をした二十代半ばと思しき男性が、台車にいっぱいコミック単行本を載せて運んでいた。白いシャツと長めの髪がちょっと薄汚れたりしていて、どことなく生気がない。

しばらくすると、なにかイヤなことでもあったにちがいないと思うほど沈んだ暗い顔をして、痩せた身体の鞭打つようにして運んできた本を本棚にならべ始めた。
 
レジのそばの本棚を眺めていると、女

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ひできくん

ひできくん

なじみのイタズラ電話の主がいた。なじみというのも変なのだが、あ、またあのひとだとわかるひと、といえばいいだろうか。

イタズラ電話には無言電話とか1回切れとかがあって、それは相手を誰と特定できないが、話しかけてくるひとは、回数が重なるにつれ、なじみの声になっていく。

そのひとの場合は、自分が話すだけでなく、こちらにいろいろ答えてもらいたい、ちょっと困った電話なのだった。

これが、なんというか、

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背中

背中

木曜日になるといつもの公園がにぎやかだ。砂場のむこうあたりにカンカンという高い音が響き、銀色に反射した夏の光がにぎやかに踊る。

木曜日は資源ごみの日だ。ベンチの裏に置かれたいくつかの透明のビニール袋になかには、その日出されたのであろう缶が押し合いへし合いして満ちている。

そしてそのそばに彼がいる。この公園のベンチをねぐらのひとつにしているホームレスの彼だ。いつもここにいるわけではないので、きっ

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