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ドクターと料理人

高校の同窓会、2次会のテーブルで私の右側に料理人が座った。彼は3年のとき、同じクラスだった。

顔の造作が大きくて、鬼瓦のような、という形容詞が似つかわしい風貌だったが 、笑うと童子のようなかわいさがあった。

中学のときから陸上の長距離走で名を馳せ、どこかの大会の中学記録保持者だったのだと聞いた。

高校でも陸上を続けていたが途中でラグビーに転向した。進学に有利だったからだ。

そして体育大学に進み先生になろうと思っていたが 、料理屋を営んでいた父親が亡くなり後を継いだ弟も病気になった。

それで彼が家業を継ぐことになったのだが 、時代の流れなのか彼の腕が至らなかったのか 立ち行かなくなって店を畳むことになった。

それでも食べていかなければならないので 、今は病院の厨房で働いている。

そんな半生を彼は良く通る大きな声で 、ああだったらこうだったらという悔いとともに語った。

ただ聴いた。


左側に座ったのは脳外科の医者だった。高校時代にまったく接触のなかったひとだった。10クラスもあれば、こんなひといたっけ?という顔がたくさん並ぶ。むろん、向こうも同じことだ。

困ったなと思ったが、この医者は作家の浅田次郎そっくりだったので そこから話の糸口が見つかった。

話の流れで神戸製鋼病院の脳外科の医者だとわかったので 往年の名プレーヤー、平尾や大八木の話を聴いていると ラグビーの話を聞きつけて、料理人が割り込んできた。

ひとしきりラグビーの有名人の話で盛り上がったあと、相手が医者だと聞いた料理人は中学のとき自分も医者になりたかったんだ、と言い出した。

初恋の相手が歯医者の娘だった。その子が好きで好きで、じっとしていられなくて、千日回峰やお百度のように毎晩その子の家まで走っていた。

家まできて何をするわけでもなく、明るく灯がともるその子の部屋を見上げて、安心して帰ったのだった。

そんな思いが叶ってその子の家に遊びに行くことができた。天にも昇る気持ちだった。頭のなかが真っ白になった。なにをどうしたのかもはっきりは覚えていない。

しかし、その次の日、その家の前でおばあさんが待ち構えていて 、「もう来ないでくれ」と言われた。

たった一日限りの夢が終わって、その時なにかが自分のなかで折れた。通っていた進学塾にも行かなくなった。もう医者になることもないんだと思った。

まっすぐだった走路が曲がり始めた。

「俺、塾のなかでも結構成績よかってんで」
という料理人に医者がうなづく。
「そうや、知ってる。K塾やろ?僕も行ってた」

料理人は自分の思い出に酔っていて医者の言葉に注意を払わない。

わたしが「こちらは脳外科のセンセイやし」というと料理人は笑顔になった

「それはありがたい。なんかあったら、頼むわ。 ああ、これでなんか命拾いしたような気分や。名刺もらえるか?」

医者が差し出した名刺の名前を見て料理人は驚いた。

「お、おまえ、あの松本なんか?卓球部やった松本か?」
「そうや、わかってへんかったんか?」

「おまえ、えらい変わって、わからへんかった。 おまえやったんや・・・ああ、松本や・・・」
そういうと、料理人は立ち上がって医者に抱きついた。

「そうや、僕や」
「ああ、よかった~。会えてよかった~。来てよかった~」

スキンヘッドにそり上げた料理人と浅田次郎のように禿げ上がった医者の頭が並ぶ。

すっと顔を離して、 戸惑う医者の顔を見つめている料理人の表情が次第に崩れていった。

そして天井を睨んで泣き出した。よくラグビーのボールを掴み損ねた小さな手の短い指がその顔を覆う。こみ上げてくるものを抑えきれず、嗚咽が漏れる。

周りの視線が集まるなか 、その肩を医者があやすように軽く叩く。

事情はよくわからないが 、料理人の素直な思いが伝わってきた。同時にその裏側に抱えている屈託も胸に迫った。その手はボールばかりか、たくさんのものを掴みそこねてきたのかもしれないと思ったりした。

なりたかった自分となれなかった自分の距離を測っているようにも思えた。

その後落ち着いた料理人は照れくさそうにもう一度名刺を眺め、押し頂いてから財布の中にしまった。医者はだまってそれを見ていた。

読んでくださってありがとうございます😊 また読んでいただければ、幸いです❣️