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陰と陽はこの世界の原理?

陰陽のバランスでこの世界は成り立っている
それは物理的な面も、精神的な面も同じこと
光があれば陰があるのは当然の物理現象だ
物質を構成する原子にも陽のエネルギーをもつ原子核内の陽子と、それに呼応する陰のエネルギーを持つ電子のバランスが取れて初めて物質として存在する
均衡が崩れれば、核分裂や核融合が起こり、崩壊するが、結局は均衡が保たれる形に落ち着く
この世のエネルギーの大部分を占める電磁波もプラスとマイナスという陰陽のエネルギーを持つ
電子の流れで生み出される電気もまた陽極、陰極がある
磁力は陰陽があえば互いに引き合い、同じエネルギー同士は反発し合う
生物にも雌雄という陰陽がある
性別が違えば互いに引き合い、合体する
神代の世界であっても、女性を陰、男性を陽と表現する
Positive,Negativeというニュアンスで表現しきれないこの世の普遍の真理がある


陰陽法則に則った物質で構成される肉体からなる人間の精神もまた、陰陽のバランスがある
どんなに悪い人にも善い所はあるし、どんなに善良な人でも悪しき心をどこか持っているもの
人間関係も同じで、良い行いをする人たちと、悪い行いをする人たちがそれぞれいて、バランスが取れている。
これを崩そうと、悪を排除して善良な人ばかりにして仕舞えば、必ずその中から新たに、悪い人たちが相対的に生まれるだろう
このバランスは決して逆らうことのできないこの世の原理である
自分の中のマイナスな部分を受け入れて、それを無くそうと努力するのは不可能だから、プラスの部分でマイナスを相殺する
そうやってバランスを取っていけばいい
無理にどちらかに偏ろうとしても、この原理には争うことはできないだろう
もしそうであるならば、自然に身を任せて、ありのままに、自然体に生きればいい
これが老子のいう無為自然なのだろうか?


陰と陽は、影はあるが光はない、光はあるが影がないという現象は存在しないことからわかるように、それ単体で独立して存在することはできない
一度交われば大きなエネルギーを生み出す
それは生物が子をつくることにもつながる
しかし、互いに溶け合うことはなく、うまく住み分けがされている
その対比構造は神と人とも表すことができる
人が決して踏み入れてはいけない神の領域と神が干渉することのない人の領域
実空間的にも、縄文時代からこの棲み分けはされていたそうだ
山の麓らか上は神の領域として人は立ち入らず、その下を人の居住領域としていたという話が常陸国風土記にある
だが、この二項対立によって境界が引かれ、分断される世界観はいかがなものだろうか
境界を超越して、ボーダレスな世界こそが自然な形ではないだろうかと考えたくなる
そう思うのは、どうやら私だけではないようで、自然というものは実によくできている
融合した一つの世界、ボーダレスへ!というモチベーションは存在していて、彼らが陰陽の均衡を越えようとする
そうするとどうなるか?
均衡が崩れれば境界は破壊され、二項対立を超越して一つへと融合する
そして混沌、つまりカオスが生まれる
その状態は自然、ひいては宇宙にとってみればとても自然な方向性なのだ
宇宙をはじめ、放っておくと万物は秩序から無秩序へと向かう
これは一方通行であり、不可逆で、戻ってくることはない
ありとあらゆる全てのものは、混沌へと真っ直ぐらに進んでゆく
この原理は、物理の絶対法則であるエントロピー増大の法則によって証明されている
そうなると、生物は再生されることは無くなり、完全に無秩序な空間が広がる宇宙が残るだけだ
陰陽は初期形態なだけであって、一度混沌になって仕舞えば、もとの綺麗な均衡の取れたものは存在し得ない
生物は動的に均衡の取れた働きによって存在できているが、この先、更なる無秩序化が進めば、生物の住む世界は遅かれ早かれ消滅するだろう
破壊と再生は無限ループではなく、一時的なものに過ぎない
その一瞬の中に我々は生きている
宇宙からすればとても儚い存在だ
だがそれが自然に生きるということだ
どのみちエントロピーの増大を止めることなどできないのだから、自然に身を任せて、抗おうとせずに、水のように柔らかく時代に合わせ、人に合わせ、環境に合わせ、形を変えて楽に生きよう
でも無理に合わせようとすることは、一種の自然への抗いになっていしまう
無理に合わせようとすることなく、流れに身を任せて自分らしく生きていれば、流れ流れて落ち着くところがあるはずだ
水の流れも放っておけば、自然と収まるところに収まっている
人もそれと同じ
自然、すなわち神にそって生きる
それが惟神「かむながらの道」ではないだろうか

自然科学って突き詰めれば突き詰めるほど、宗教との関わりが深くなっているんじゃね!?
という話でした

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