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怪談と日本的幻想

『怪談』という1965年の映画がある。
これは、小泉八雲の小説をオムニバス形式にまとめた3時間の超大作である。長いので、ちゃんとインターミッションがある。
監督は小林正樹で、題字を勅使河原蒼風が担当している。

勅使河原蒼風は芸術家で生花の草月流の創始者である。そして、息子の勅使河原宏は映画監督である。
彼の作品では安部公房の『砂の器』や『利休』が有名である。『利休』は千利休を三國連太郎が演じていて、三國はこのために表千家/裏千家の作法を学んで習得したという。
三國は、「勅使河原さんは芸術家だから、茶道具は全部本物の国宝級のものを使った。それは緊張した。」と語っていた。
『砂の器』は北野武の『Dolls』の悪夢のシーンに影響を与えているように思うが、どうだろうか。

そして、話を『怪談』に戻すと、これはオープニングが素晴らしい。
色彩のある墨が白を背景に溶けていく。そこに、楽器の音色が重なる。
静謐な幕開けにふさわしく、各編も美しも恐ろしい世界が展開される。怨念の話が多いのに、情念はあまり感じられない。ただただ、美しい原風景が繰り広げられる。

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作品は、『黒髪』、『雪女』、『耳なし芳一の話』、『茶碗の中』の4篇が語られる。
その中で、『耳なし芳一』が一番長くて、これが1時間半くらいあった。耳なし芳一が長いのは、延々と続く壇ノ浦の戦い、悲劇の映像化に長尺がとられているからである。
安徳天皇が入水したこの戦いは、私も一度小説にしてみたいと考えている。

この映画は基本的にはセット撮影なので、撮影所の超巨大プールを使ったと
思うのだが、この辺りの作り物めいた感じが、異様な迫力、例えば出雲神楽のような神々しさまでもを、生み出している。

小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、ギリシャで生まれた。
彼は日本国籍を取得した後、島根県の松江市に住んでいて、そこで日本の怪談をまとめた『怪談』を作り上げた。

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ハーンは日本的幻想を、外国人としてまとめあげた。外の目、異国の目は、
時にその風土が持つ幻想をより強固にする。
それは、我々日本人がヨーロッパ諸国や、中華圏、またはアフリカ大陸や中東に抱く幻想のようなものだ。

その日本的幻想を上手く世界に提示した作家には川端康成がいる。
彼は、日本的幻想を小説に落とし込んで、一つの懐かしい日本を作り上げた。それは、懐かしくも、本当にはないものかもしれない。
古典回帰とは、日本的幻想に自覚的になるに過ぎない。

ハーンは16歳の頃に左目を失明していて、写真を撮る時にはその目が映らないようにしていた。彼は片目で、この国を見つめていた。

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物語は、共通幻想、共同幻想である。
社会もまた共同幻想であるが、そこに神話性を見出すのが物語だ。
真の日本的幻想を織りなすことには、異邦人の目は不可欠なのだ。

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