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無責任な日本の私。そして、嗚呼、鈴木志郎康、『日没の印象』という映像詩

①『水のないプール』を鑑賞する。

内田裕也主演、若松孝二監督作。まぁ、クロロホルムで女性を眠らせて強姦する男の映画で、半分ポルノ映画である。ただ、あんまり濡れ場はないし、アート寄りの映画だ。内田裕也の狂気。80年代のカフェと女性の髪型。
まだ観ていないが、『青春ジャック 止められるか俺たちを2』で取り上げられていたとのこと。

若松孝二を井浦新、井浦新、と若松孝二、と、いえば、三島由紀夫映画の『11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち』を思い出す。あれは確か、京都シネマ、もしくは今無きみなみ会館、いずれにせよ、客はいなかった。

そして、プールと聞くと、一番に思い出すのは大江健三郎。『雨の木レインツリーを聴く女たち』である。

何か、プール、というものは、文学的な響きがする。プールは、水があってもなくても、どちらでもいい。このプールの持つ文学性の謎は何なのだろうか。

プールは、見学室やカフェなどがあるが、そこに置かれている観葉植物、あれも文学的だ。自販機ですら蠱惑的になる。何がプールをそうさせるのか。

②『ベイビーわるきゅーれ』を鑑賞する。

ずっと前から話題になっていたのは識ってはいたが、どうも食指が伸びず、今頃観る。うーん、やはり、殺しと日常って、創作物じゃないとこうは上手くハマらないというか、作り物感が半端なくて噛み合わせが悪い気がする。
あんまり面白くないし、2以降は観なくていいかな。3も、池松壮亮が出ている。池松壮亮は、平野啓一郎の『本心』が控えている。

日本映画のポスターって、毎回毎回、出てくる著名俳優全部載せ、賞を取ればそれを全部載せ、コピーも説明過多、なのだが、今作もそんな感じだ。然し、この映画は舞台が2040年代の近未来SFとのこと、観ないでか。

そういえば、今週末公開の、『アイミタガイ』もそのようなポスターだ。レイアウト的に、デザイナーの意向ではなく、クライアントの意向であり、まぁ、これが王道なのだろうが、然し、もう少しシンプルが良いのになぁ。とにかく出し惜しみしない、全てを説明する日本的な考え方であり、そこには芸能事務所の力学も絡んでいる。誰もが得するようで、誰もが得をしていない。責任分散。無責任な日本の私。

さて、『ベイビーわるきゅーれ』のことを考えていたら、今日、次の次の朝ドラの主演が髙石あかりさんというニュースが。小泉八雲とその奥様の『ばけばけ』という作品だが、これは良さそう、だが、私は朝ドラは観ないので、関係ない。
 
③『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を鑑賞する。

これも昨年末すごい話題になってたし、ちょうど今真生版が公開されて、興収30億を超えた。なので観てみる、が、まぁ、期待袋をパンパンに膨らませるとよくない。何も識らずに見たら、高得点がつくタイプの映画だ。

かなり展開が荒いけれども、独特の世界観と横溝正史などの因習のある村物としては見応えがある。

途中、ゲゲ郎が寝ている水木を座敷牢みたいなところに入れるシーンがあったが、ここは、『水のないプール』を思い出す。起きたら、あられもない姿……ではないが、場所移動。
全体的に救いのない映画だ。ただ意気込みはすごい感じる。

最近はつげ義春のインタビュー本を買ったのでそれをずっと読んでいて、もうすぐ終わりそう。『ばけばけ』は『ゲゲゲの女房』みたいだが、水木しげるのもとで働いてたつげ義春、もはや本人よりも水木絵が巧くなり、私の好きな南方熊楠の漫画も、女性はつげ義春が描いているのだろうか。

そのつげのインタビューで、鈴木志郎康の名前が出た。

鈴木志郎康は詩人だ。詩人で映像作家だ。

映像詩、という言葉が世の中にはあるが、詩は、文章でも映像でも、詩人の眼を経由して産まれる。映像詩は、文章を超える説得力をもって立ち顕れる。結句、この世は全て詩であり、どう世界を視ているかで、その全ては万華鏡のごとく形を変えるのである。
詩は誰にでも平等に開かれているが、誰しもが平等にそれを視ているわけではない。
けれども、平等に、誰しもに日没は訪れる。その夕陽の美しさ、君が躍起になって素晴らしい文章を綴ろうとしているその背中、それこそが詩であることに、君は気付けない。それは他の人の番だから。君は、他の人が辛くて涙ぐむその瞬間に、美しさを覚える。それは君の番だからだ。

鈴木志郎康は自分のホームページに日記を載せていて、私は、ああいう日記はすごくいいなぁと思う。

インターネット黎明期の感じが、たまらなくいい。ああ、鈴木志郎康。
で、鈴木志郎康の本を1冊取り寄せる。読むのが愉しみだ。

何だろうか、隣の芝生は青いのか、他人の日記はすごく充実してみえるなぁ。

そして、24分の小品の『日没の印象』は、どうしてこうも胸に迫るのだろうか。どうしてこうも懐かしいのだろうか。詩は懐かしさである。だから、映像で見ると、言葉も出てこないほどに、泣けてくるのだ。

日常の全てが詩であることに気づくのに、カメラはいいおもちゃだ。


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