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タルホと月㉓ 作家と女弟子

稲垣足穂は女弟子が多かった。

一人は梁雅子、もう一人は折目博子である。

梁雅子は歌人で、小説に転向して、『悲田院』を書き上げた。
梁雅子はタルホの元を訪うたびに、丁寧に書いた原稿、それを色付きの紐で留めて、師匠に渡した。
「さすが歌人や。」
と、美しい原稿の束を渡されたタルホは喜んだという。反対に、誤字脱字が多いとタルホは激ギレしていたし、原稿は丁寧に整理することも大事だと、これまた原稿を読んでほしいと来る相手に激ギレしていた。
今度誤字脱字のある場合もう読まん。」とまで言うわけで、まぁ、私なんか、多分初回で跳ねられるだろう。

この、梁雅子の原稿は日本の古本屋で出品されているが、本当に色付きの紐で束ねてある。

折目博子はタルホにアンヌと呼ばれて可愛がられていて、自身も小説を書きながらも、同時に師匠の行動や思想などを俯瞰的に見ていて、彼の良い面悪い面を詳らかにしている。

特に、タルホが「男は外に女がいてもいい」という、いつもと言っていることがちゃうやないの!という俗人的発言に怪訝になったり、妻の志代夫人が亡くなったとき、あれほど献身的に支えた人に対するタルホの冷徹な冷たさ、「彼女と結婚したのは失敗でした。彼女は文学的高みを全く理解出来ていなかった」的な、酷すぎる言葉に唖然としたりしたという。そもそも、夫人が入院しても見舞いに全く行かないなど、この辺りの精神構造は作家として気になっていたようだ。

さらに、タルホは徐ろにアンヌにチンポを見せつけて粗相をしようとしたり、どう考えても犯罪行動を取ったりと、破天荒なハゲジジイだった。
それでも、折目博子のお子様が亡くなった時は、優しく励まして、芸術家は不幸でないといけない、君もこれで芸術家だ、的な、まぁ、私がこうやって書くと最低な物言いだが、すごく労りと思いやりのある言葉を書いてあげていて、折目博子もまた、芸術家を志していたから、タルホに敬意を払って教えを請いていた。

タルホは死の間際は知人を遠ざけてほぼ一人になったが、その少し前、梁雅子が志代夫人の葬式に出席した際に、黒いスーツを来たタルホの生気のない顔を見て、かつての天才はどこにもなかった、お酒が先生をこんな風にしてしまった、と最後のさよならをその場で伝えている。
さらに、折目博子も、最後の方では家に訪れた際に、かなりの剣幕で来るな、帰れ!帰れ!的なことを言われて、最終的には関係は絶たれた。

タルホは死の間際、40代くらいの頃に、戸坂グラウンド坂で出会った萩原幸子さんという若い女性に看取られたが、彼女とはカソリックが縁であり、彼女がタルホの全集を編む最高の功労者の一人だった。
彼女だけが、最後に側でいて、死の瞬間を見届けたのだ。

タルホは女性に好かれる傾向があって、まぁ、とはいえ嫌いな人も相当いただろうが、文学青年にも慕われていたが、一般文壇の人には相手にされておらず、椿実など、タルホを慕って作風も影響されて、「おい、稲垣足穂になるぞ」と言われても何のそのだったが、つまりは、稲垣足穂になるとは、売れないということである。

さて、女人の付き人といえば、伊吹和子など、谷崎潤一郎の口述筆記を担当した人など思い出される。
彼女は、谷崎潤一郎の話から今後の作品の話など聞かされていて、『武州公秘話』の続編話や、『今様源氏物語』的な、キャラクター造形まで出来ている長編の構想などを谷崎潤一郎の評伝に書いている。
ここでは、川端康成が尋ねてきて、「今、源氏物語を翻訳しようかと思ってまして、少し手伝って欲しいんですけどねぇ。」的な感じで口説かれたことも書かれている。 YASUNARI源氏が、それなりの量で既に書かれていて、それを読んだとのことだが、これは結局達成されず。

それから、日夏耿之介の最後の弟子として、井村君江が書いている『日夏耿之介』の世界も面白い。

日夏耿之介といえば、翻訳家の大瀧啓裕に多大なる影響を与えた詩人で、まぁ、萩原朔太郎の友人だが、本書による井村の話によると、日夏耿之介はずっと『院曲サロメ』の翻訳を続けていて、何度も何度も、枕元においては朱を入れ続けて、作品を娘のように可愛がっていた、とのことである。
また、日夏耿之介の稀覯本、日夏耿之介定本詩集の3冊揃えは高価で美しい造本である。

装画の長谷川潔は黒の版画家と呼ばれていて、美しい黒の司祭のようだが、彼はフランスに渡り、89歳で亡くなるまで、日本に戻ってくることはなかった。これは、反対に乳白色の魔術師である藤田嗣治と同様だが、フジタは世界的名声を得ているが、長谷川潔は彼ほどではない。現在はかなり高額になっているが、井村が本書で語るように、長谷川宅を訪った際に、すごいボロボロの家に住んでいて、こんなに偉大な画家が日本では全く評価されていないなんて、と忸怩たる思いを見せていた。
まぁ、だからこそ、ボロボロの家だからこそ、美しいものが描けるという反転もある。神に近づくには乞食になるしかないのだ。

日夏耿之介詩集を飾った長谷川潔の黒と白の宇宙。


美しい乳白色の画家藤田嗣治。

これらの本から見るように、弟子や付き人の人々の眼から見た文豪の姿とは、傍ではわからない人間味や意外性が表れており、非常に面白いものだ。

井村君江は青山学院で日夏耿之介の薫陶を受けて、それから伊吹和子は24歳で谷崎と出会い、萩原幸子も23歳でタルホに出会う。
皆、20代という若い時代に、巨星と出会い、その影響下にいる人々である。これは文学を志すものならば、凄まじい幸運だろう(萩原幸子は少し違うけど)。

井村君江さんは、現在御年91歳で、フェアリー協会の会長である。
そして、うつのみや妖精ミュージアムの館長をされている。

私はもちろん伺ったことはないが、どうやら、10月7日に、イベントがあるようだ。

井村君江名誉館長によるギャラリートーク
「借りぐらしのアリエッティ~英文学の中の妖精,小人たち~」

ここでジブリに繋がった。全ては繋がっている。藝術は全て繋がっており、寸断されたことは一つもない。だからこそ、稲垣足穂の、今までの文学を全て断った何もない所からの屹立が凄まじい達成なわけだが、それでもロード・ダンセイニ卿の影響下からは逃れられない。

何れにせよ、文学と藝術は繋がっており、それは意識するにせよしないにせよ、地球の記憶そのものとなって存在している。いや、星も月も宇宙の全てが、互いに作用している。

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