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書店の文学コーナー、エンカウント率低すぎ問題

私は本屋さんを愛している。本屋さんか映画館さんが落ち着くのである。
本屋に行くと、まずは文藝コーナーに行く。評論とか、作家評伝が置いてあるような場所である。

noteでは、たくさんの人が文学について語っており、文学はたくさんの人に愛されている。然し、私が行くと大抵そのコーナーには人の気配はない。
ガチで100回訪って、3回遭遇するくらいのレア度である。

つまり、noteに文学好きが集っているだけであり、やはりマイノリティなのである。これが私のマイノリティ・リポートだが(私はこの、スピルバーグとトム・クルーズの映画が大好きであるが、然し、最近のトム・クルーズは何故か神聖視されていて違和感を禁じえない。『バニラ・スカイ』の頃とかめちゃめちゃディスられて馬鹿にされていたのだが、手のひら返しがひどすぎるぜ。『アウトロー』のジャック・リーチャーあたりからいぶし銀な感じだよね。まぁ、トムは基本的にいい監督を見つけてきて、そいつにいい映画を撮らせて、身体をいじめてエクスタシー!を延々とやってるだけだよね。クリストファー・マッカリーが最後に見つけた恋人的な)、まぁ、そんなことはどうでもよくて、とにかく文学は人気がない。基本的に人は本を読まず、さらにその本について書かれたものに興味のかけらもない。

マイノリティ・リポートの頃のコリン・ファレルは格好良すぎた。アカデミー賞、穫れるといいね!(ブレンダン・フレイザーかな?)

評伝系は高い。大抵は3,000円くらいはするし、高いのだと7,000円とか8,000円とかする。そしてそれ相応の仕事の重みを感じさせるものが多い。
この、8,000円もする本を書くために、この著者がどれほどの時間をかけて調べたのか、どれほどの大志を抱いて著作と向き合ったのか、それを思うと、それくらいのお金はとっても仕様がない。

川端康成の評伝で、上下巻各500部限定の本があるが、これは1冊10,000円くらいするために、普通の川端ファンは買わない。然し濃厚な本である。


そして、小谷野敦の川端康成の年表とかは税抜12,000円くらいする。ちなみにこの二人は揉めていた。小谷野氏の川端評伝、森本氏の川端評伝、どちらも大変勉強になるので、ぜひとも合わせて読みたいところである。

そして、森本氏は昨年、また新刊を出していたが、これも8,000円くらいして、めちゃ高い。まぁ、川端にとって伊藤初代は最重要人物であり、この非常事件こそが核の一つであるから、これだけ評論本が出るのだろう。


私は、以前この伊藤初代が一時期暮らしていた寺である岐阜の西方寺に行ったことがある。往時を偲ばせるものは何もなく、ああ、この場所に二人はいたのだなぁ、と少し感慨深くなったものだ。

真の文学ファン、いや、真の作家ファンは、①作品を全て読み、②全集はもちろん所持、③装丁の異なる単行本の蒐集に励み、④作家・作品の書かれた本は全て目を通し、⑤作家生誕の地、作品ゆかりの聖地を巡り、⑥作家の新聞記事を収集し、⑦作品の初出雑誌を購入し、⑧作家の肉筆原稿にも手を出す。まぁ、最低はこれくらいは必要なわけであり、2〜3冊程度読んで大ファンだとかほざいているバカは◯◯◯◯◯◯◯◯べきである。

そして、こういう評伝や作家論的な本を読んでいるのが、私には一番幸福の時間である。ああ、世の中にはこんなにもこの作家を好きな変人がいて、人生を捧げているのか……、と、とんでもない人生を選んだその人に対して畏敬の念すら抱くほどである。
どんだけ〜!とはまさにこのことであり、こういう本をこそ読んでいる人と出会うのが、たまさかしかない、というのが寂しいものだ。
まぁ、こういう本は売れないので、値段も高いのである。好事家が大枚をはたいて買うわけだが、好事家など数少ないので、後は研究者とかそんな客層しかいない。

こういうコーナーが、雑誌コーナーのように賑わう、そのようなことは恐らく未来永劫ないだろうが、然し、こういう本は意外と新作が棚にバンバン入るから、需要はあるのかなぁ……。それとも自費出版とか、そんなんなのかしらん。





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