THE DESIRE AND PURSUIT OF THE WHOLE 邦訳版⑩ 本編⑧ 第8章 フレデリック・ロルフ著 雪雪 訳
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『アダムとイヴのヴェニス』
第8章
クラッブは、ララ・グラツィア運河のパイオに停泊していた。が絶えず3つの物憂げな視線が彼を見つめていた。そこで彼は豚革のポートフォリオに書かれた、彼らへの関心についての事柄に思いを巡らせていた。
【私は発見したー】ーこう、ボブーゴ牧師は書いていた。
【私の新居と土地の購入には予想以上の金がかかります。そして、定期的な収入を得るために、どのようなことすればいいのか私には本当にわかりません。私の仲間に関してですが、彼らは私がその資本を使うことを軽はずみで恥ずべきことだと考えております。彼らからの援助は期待出来ないかもしれません。とても賢く聖なる大司教は、私が末永く、毎年4ヶ月の期間中に、説教と宣教を行うことを約束すれば、私の行いを許可してくださるようです。事実、私は説教への誘いを10回のうち9回は断っているほどに、充分に有名人だったのだから!
どうぞ、お願いいたします。その4ヶ月で説教1回につき10ポンドと経費で、残りの8ヶ月も生活できるくらいに、充分に稼げるでしょう。しかし、私の脳みそを沸騰させた神の思し召しによるこの計画の実行のためには、それでは充分ではないのです。例えば、私の大広間には伝導のために吟遊詩人のギャラリーが必要ですし、私の教会にある別のギャラリーは、後期チューダー様式で建てられなければなりません。そこでは、私の少年クワイアが(それは、私が作らなければならないものです)マドリンガルや、antiphonsを、それぞれがアーチリュートとヴァージナルの演奏に合わせて歌います。
(サウス・ケンジントンのアーチリュートは、バイオリン片を接着剤でくっつけた偽物だと言った男の住所を至急送ってください。彼の名前やその他のことも、です。)
そして、私の松林の十字路には、一片の石板で作った祭壇を置きたいと思っています。その場所で、夏の晴れた朝に仲間たちと共にミサを捧げたい。そして最後に(今のところ、ですが)、私は自分の墓を早急に作らなければなりません。それは、無地で大理石の祭壇です。チューダー朝の法衣を纏った大理石の私が、奥の棚に置かれた曲線を描いた天蓋の下に横たわっている……。これが、その私の望みが描かれたスケッチです。これが私の憧憬なのです。さて、これで私の窮乏具合が深刻であることがおかわりでしょう。私が望むもののためには、若者向けのghost-storiesやダブリン向けの批評などでは稼ぐだけでは足らないのです。そうして、これは一回りして、自然と、『カンタベリーの聖トマス』の問題に行き着きます。
私は今、出版社の人間と私達のコラボレーションの話をしています。そして、彼らはこう言いました。もし、私の名前が他の誰かと一緒に掲載された場合、そうでない場合の半分の収入しか得られないだろうと。私は、貴方に契約を持ちかけたときは、このことを知りませんでした。もちろん、貴方は私に契約を結ばせることは出来ません。そして、本当に悲しむべき、申し訳のないことなのですが、私は今、手元に多くのものを抱えている。つまり、ご覧の通り、私には聖トマスについての執筆に多くの時間を割けないのです。本は、私が企画しました。これに関しては、きっとご理解頂けると思います。つまりー、貴方がこれからしなければならないことは、貴方の名前をこれ以上公表しないことに同意する保証書に署名し、この本は私の名前を単独の作者とすること、なのです。そして、それは速やかに行うべきです。そして、晴れ晴れとしてそれを提案することで、私ではなく、貴方からの提案なのだと示唆させるのです。私が貴方を不当に利用していると言わせる隙を誰にも与えるつもりはないからです。まずは、これは一つ目です。そして、もう一つですが、私はしていませんがー、私はこう伝えました。物語を書くときに、私はこう提案しました。これはシノプシスです。どのみち、もちろん、貴方は受け入れることになるでしょう。私はその粗筋に従います。私が第1章を書きます。貴方が第2章、第3章を書きます。続いて、私が第4章を。それから、貴方が第5章、第6章を書く、エトセトラ……。しかし、貴方は全体を中でも重要な章を書かなければなりません。例えば、トマスの首席司教としての聖別や殉教などを。
そしてもちろん、全体を改訂し、形を整え、本当のプランタジネット家の味わいを作品に与えなければなりません。それは事実、貴方以外にはできないことです。
もちろん、私はこれら全てにまつわる貴方からの署名入りの保証書が欲しい。今、貴方は、それが単にお金の問題であることをはっきりと理解していることでしょう。そして、もし貴方が私を煩わせることなく、私の言うことに賛同してくださるのなら、私は出版日に貴方の利益分である100ポンドを貴方に支払うことをお約束します。その3分の1というのは、貴方がご自分で決めたことです。貴方が少しでも躊躇すれば、私をかなり難しい立場に追い込むことになると、私には推測されます。率直に言いましょう。つまり、私が貴方の天職について思い違いをしていたのかどうなのか。また再び貴方とコラボレートすべきなのかどうなのか。もし貴方がこの件に関して私の望みを叶えてくれるなら、他の本でも貴方とコラボレートしようとは言いません。私は自縄自縛になったり、約束したりはしません。シンプルに私の条件を申し上げて、パンのどちら側にバターを塗るのか、それを決めるのは貴方です。
👉債権の証人には注意してください。貴方の証人がその内容を知る必要はないし、知ることも望ましくもありません。彼がすべきことは、貴方が貴方の名前を書くのを見届け、そしてそこに、 "証人 "という言葉を添る、ただそれだけです。】
これが、クラッブを悩ませる3つの甘い悲鳴の1つ目だった。
次に、ハリカス・プカリー・バスローはこう書いている。
【私はまだ 『The Weird』のコピーのタイプ原稿も、貴方の原稿もまだ何も手をつけられていません。とても忙しいのです。出来るだけ速く貴方が私に『De Burgh's Delusion』の原稿を送ってくれたら、すぐに母がタイプし、私の方でショートマンズまで会いに行ってみます。今まで、私には本当に時間がなかったのです。騎士団の学長としての貴方の朱色の勲章をお送りします。できるだけ多くのメンバーを募るように動いてくださいね。そして、その時、私は、サンマルコの偉大なる少修道院《しょうしゅうどういん》を建設して、貴方はそこの修道院長になるのです。
私は四つの新しい最も尊大なるシジルを作りました。さて、グランドマスターの戴冠式のためのラテン局のものを描いてくださいますか。次の六月には戴冠式を行わなければなりません。大司教の補佐役しかいないうちは、騎士団の繁栄は望めません。他の修道会の君主たちは、私達に咳払いをすることでしょうね。もし私が騎士団のグランドマスターとしてエルサレムの総主教の元を訪れていたのならば、昨年の春、聖墳墓勲章を授与されていたに違いありません。彼はとても愛想がよく、私が彼に授与した小智慧の名誉十字章に非常に喜んでいました。
そして、私はマルタのグランドマスターに同じ勲章を渡すために、父を騎士団の首相としてブダペストに派遣しました。王子は同様に、兄弟であるグランドマスターにこの賛辞を返すと言っていました。私は来年六月には大司教に選出されると思います。他にそれに相応しい人はいないように思えますから。
では、なぜ私がフリーメーソンやテンプル騎士団が嫉妬するほど堂々とした、羨望の眼差しで見られることができるのか。私は、自分の王冠を作ろうと思っています。それは、オコジョの帽子で、銀と紫と褐色とで飾られている。そして尼僧の叔母が私のマントを作ってくれていて、それは銀色で、裏地にラマとオコジョの毛皮が使われています。私の笏は象牙製で、一角獣の角のように思えて、そして長い。杖は単なる棒ではありません。それも、銀と紫、そして褐色で飾られています!
また、応接間にも大きな卵型のクリスタルを置き、そして、それと同じ縞模様の金属と宝石、そして私のオーブは銀の炎と十字架の中で際立っている。それを "叡智の卵 "と呼ぶことにしましょう。さあ、描いてください。私の大司教権下にある騎士団の大紋章。それが表面になります。裏面は、我が騎士団の皇位を継いだ、馬に乗った私です。紋章は表と同様です。
そして、『De Burgh's Delusion』を私の為に急いで書いて送ってください。私達にはお金が必要です。そして、私達ができる唯一のことは、彼らの信じるに足る約束のものとして、2冊の本を持って、ショートマンズに行くことだけなのです。
ところで、それはそうとですが、イングランドを離れている貴方は、重要な会議で投票することは出来ません。私が投票できるように、私を代理人にする委任状を送ってください。
|Illuminet《照らし給え》 te Sanaissima Sapienda.
追伸
私はレディ・ボンバジンと来年の今頃に結婚することを約束しています。】
これが、クラッブが考える3つの甘美な叫びのうちの2つ目である。
モルレ氏とサルトル氏は、こう書いている。
【私たちは、現在の保証の元で貴方の手当の支給を継続することに正当性を感じていないことをお伝えしなければなりません。】
これが、クラッブが考える3つの甘美な叫びのうちの3通目だった。
そして彼の通帳を見ると、Albergo Bellavistaの大家に150ポンドを支払い、その上、彼に20ポンドの借金があった。銀行には11ポンドほど残っていて、25ポンドの当座の貸越の可能性があった。
ラグーンの陽だまりに座りながら、彼はモルレ氏とサルトル氏に手紙を書いた。
【ヴェニスを不在にしていたため、12月の貴方方の手紙への返信が遅れました。出版された6冊の本、それから8冊の未出版の本(貴方方が5年間、独占的かつ絶対的に管理していたもの)が担保としての価値を、なぜ突然失ったのか、私には理解が出来ません。説明してください。一方で、貴方は私の生命保険に450ポンド加入しています。それを、増額して頂けませんか?そうすれば、私は現在必要なお金をすぐに借りることが出来ますから。
私は、自分の7冊目の本の校正刷りをRM殿にすべてお持ちしました。
このような状況においては、出版の為に英国に送るのは安全ではありません。そのまま私達のもとに留めておくのが安全かと思われます。】
彼はハリカスに対しては、その君主最愛の形で手紙を書いた。
【神々しく寛大な騎士団創立者、騎士団長、サンティアゴ騎士団総長、聖ソフィア騎士団の創設者であり、神聖ソフィア騎士団であるニコラスから、寛容なる大司教の副官にして……エトセトラ……から同騎士団のハリカスへ、その見事な笏への挨拶のキスを。
ヴェニスを不在にしており 、12月の貴方の書簡への返信が遅れました。
モルレとサルトルが何の説明もなく私への支払いを止めました。ボブーゴは私に対して独裁的に、署名と立会いのある債券を渡すようにと命じました。
まず第一に、私がカンタベリーの『聖トマス』についての本の三分の二を、残りの三分の一と同じ条件で書くこと。それから第二に、私たち二人の名前ではなく、彼の名前を単独の著者として掲載することに、喜んで同意すること、です。恰も彼が自然にこのプロジェクトを始めたようにみえるように、です。そして、私は資金繰りに困っています。マエポーキンスの借金の返済が主な原因で、お金が入ってくる見込みがありません。私は貴方の素晴らしさに対して、即座に支援を要求します。私への悪いことが無くなるようにして頂きたいのです。
そして私は、この半年間、貴方に任せておいた『The Weird』を華麗にまで放置していたことを非難します。そして、これ以上、勤勉に対して罪を犯さぬように祈ります。
私はすぐに『De Burgh's Delusion』を完成させます。早ければ、貴方はこれを二月には受け取るでしょう。
それから、叡智の卵については、孜々としてそれを扱うことを祈っています。
照らし給え、sanctissima・Sapientiaよ。私の舟は、1909年の偉大なるヴェニスにおいて主の降誕祭の1週間後に、聖ジョージ島で賜ったものです。】
ボブーゴには、できるだけ紳士的に、無茶な要求に怒りを覚えても、気持ちに嘘をついて、その手紙を書いた。
【ヴェニスを不在にしていたため、十二月の貴方の書簡への返信が遅れました。なぜ、私の債権について怒鳴り散らし、貴方には何もないのでしょうか?この手紙の新しいスタイルはどういう意味なのでしょうか?こんな代物を読んだのは人生で初めてです。
もし貴方が暴君のように威圧的な唸り声を上げるのなら、言っておきますが、私は彼らにも、貴方にも反抗し、忌み嫌うでしょう。もし貴方が、本当に私に対して貴方の言う通りにしろと言うのならば、私は貴方を吊し上げます。自発的な提案の義務への侵略者、自発的な約束の破壊を意図する者、(こっそりと這いずってくるように)不吉な場所とアンチキリスト的な幻想でもって代償を支払わせるように謀る者、そして、私の散財を拡大させようとする者だと、ね。
私は、貴方の頭が、(貴方が言う)説教がもたらす賞賛によって膨れ上がったと信じることは吝かではありません。
貴方は、王室の王女たちが、私の説教壇の下にベールを被って座るために、私の後を追いかけてくると、こう私に囁いた若い司祭がいたことを知るべきです。
スペインの司教たちが、ミトラと、keeper of the conscience of Queen Victoria of Spainとして教皇の任命を受け入れるよう、彼の気持ちを誘惑しようとしていることを知るべきです。(※翻訳者注Keeper of the King's Conscienceは、議会制代議制の民主主義が登場する以前のイギリスの司法の役職。通常司教が任命されていた)
ですから私は、この戒めのための湿ったカッピング療法が貴方の腫れを抑え、冷ますまで、待つことは|吝かではありません。貴方《あなた》が私に何をして欲しいのか頼んだことを、じっくりと貴方に考えて頂きたいのです。その時に、貴方はきっと、このようなことを提案すべきではなかった気付くことでしょう。
ところで、貴方は今年、私宛に、いつものように新年のお祝いを送っていないことに、お気づきでしょうか。】
とりあえず、今このときは、これで全てだと思われた。クラッブは、疑惑を避けるための手綱をしっかり握るように想像力を強く働かせるよう自分に説いた。
この先、どうしていくのがいいのだろうか。ジルドの将来についてはどうすればいいのだろう。
彼の懐は決して空っぽではなかった。なかなかの資産を持っていた。彼の資産は変わらずの価値を持っているようで、彼らのマネジメント達をまだ繋ぎ止めていたし、トポはカラブリアから来たもので、全部で1万リラもしたが、最低合計半分の金額で売るべきだと、多くの人が言っていた。
他のことに関しては、「橋に着くまでは、その橋を渡ろうとしてはいけない」と、彼は自分に言い聞かせた。
彼らが昼食のためにホテルに着くと、ティアサークがオフィスの電話越しに叫んでいた。
「Per piacere、 Per piacere。」
彼は楽しそうに、Pap pitch hairyからPippy cheery」まで、発音を様々に変化させた。
クラッブを見つけると、彼はギョッとするような笑みを浮かべながら手招きしてきた。
「親愛なる人よ。」
彼は言った。
「私達の病舎の婦長が、君と話したがっているようですよ。」
彼が言うには、昼餐の後、彼女と看護婦と一緒にズエッカ運河とマリッティマ港に停泊しているイギリス船すべてに漕いで行って欲しいとのことだった。
クラッブは彼女に、14時前くらいに一緒に行きましょうと伝えて、食堂に入ろうとした。
ウォーデン氏はクラッブを待ち伏せをしていて、
「親愛なる人よ、君の部屋を取ったことを許してくれないか。」
そして、状況によっては、肩を揉まれたかもしれなかった。
「ああ、そうですね。」
と、クラッブは言った。本能的な不快感に刺されて、それを隠すわけでもなく、
「私は許していますよ。けれども、忘れましたと言うにはまだ早いですが。」
「どうも、ありがとうございます。」
と、もう一人が呟き、より新しく、より不快な、より真剣に引っ叩きたくなるような笑みを浮かべた。
昼食後、突然に冬は冬であること主張しだした。跳ねるような風と共に刺すような突風が吹き、 海はうねり、波は暴れるようだった。
パッパリンは急いでブチントーロ・クラブから幅広いズウェッカ運河を横切り、診療所へと向かった。しかし、最初の1時間が過ぎると、その軽快な漕ぎ出しは心地のよいものではなくなった。
ニコラスとジルドはこの船にカーペットとクッションを敷き、二人の女性を乗せた。そして、婦長の愛する、一見すると細菌めいた白いプードルも一緒に乗船した。
「本当によく来てくれたましたね!」
と彼女はお喋りの調子を発揮した。彼女は、ヴェニスにいる英国商船隊の全将校を、診療所での新年の恒例行事である歌会に招待したいのだと説明した。クラッブは、なぜこのような催しが船員協会で行われないのか不思議に思った。彼女は膝の上いっぱいに招待状を抱えていた。
彼女は薄汚い蛾のように魅力的な毛皮と腐敗した色合いのクシャクシャになったフランネル生地の、貞淑な女性が纏うような服装だった。
クラッブは、この航海の楽しさに気づいた。たびたびの波のうねりとの戦い、気流の反逆、突風は、彼の筋肉を喜びで満たした。
痩せたネズミちゃんのような看護婦は明らかに怯えていた。しかし、彼女は静かに座っていた。婦長も彼女の積極的な社交性を示そうとして、身悶えしたり、くねくねと痙攣したり、ピクピクと動くようなことは全くなかった。
後者は、縄梯子を急いで登ろうと躍起になっていた。クラッブは泳げるかどうかを尋ねている石炭塗れの浮浪者の側にいた。
「私は少しも異存はありませんよ。」
と彼は言った。
「貴方がこの海に身を投げ出すことにね。そして、30分以内に貴方を助け出すことを保証します。」
「30分!」
彼女は悲鳴を上げた。
「どうして!そんなにかかったら溺れてしまうわ!」
「いいえ。」
と彼は指摘した。
「ご存知でしょう。貴方のファーやフランネルの服は水を吸いますから、貴方をボートに投げ入れることが出来ません。だから泳いで岸壁の階段まで行ってもらいます。いいですね、だから邪魔しないでください。私はかなり有能ですから。」
自分たちはマリッティマの岸壁にある石油タンクの近くに上陸して、安全な地上から様々な船舶やボートに乗り込みますと、彼女はそう意見を述べた。
クラッブは彼女たちに同行し、ジルドはパッパリンに乗り込むとそれに着いていき、彼らはその大きな港を一周した。船長や航海士たちは彼らの訪問に対してポカンとしてはいたが、礼儀正しかった。
クラッブは、彼らに博愛主義者ではないかと疑われているのを知っていたが、トラクト(翻訳者注※宗教や政治にまつわる主張をまとめた小冊子)をポケットに入れ、理由もなく、感情の赴くままに、平然と賛美歌を口走った。しかし、彼らは院長の半分も感情的ではなかった。
彼女は訛りがあり、豪快で、晴れ晴れとしていて、面白おかしくさせるために、太ももを叩くことさえあった。
彼らは再び岸壁の端の下から舟に乗った。ジルドは彼らを舟に乗せてスコメンツェラ運河を渡してやった。
この訪問は石炭まみれの浮浪者が横たわる、炭鉱のあるリオ・ディ・サンバクセージオの河口で終わりを迎えた。
管理人に見えた唯一のオフィサーは、船は翌朝に出航すると言ったが、灰色のプードルに目を細めながら、老人が女性の手紙を持っていることを喜んで確認すると言った。
一行がジルドがパッパリンを停めている橋側の階段を降りて行くと、サンバスティアンとサンタレアンツォラファエラの鐘楼から16時の鐘が鳴り響いた。
「本当にありがとうございます。」
婦長はお喋りな調子を崩すことなく、顔を顰めながら小鹿の手袋をはめた手を突き出してきた。クラッブは驚いた。
「いえいえ、私たちを連れ戻してもらうのはそんなに面倒じゃありませんわ。私達、Ca’ Pachelloでレディ・パシェとお茶をご一緒するのよ。その後、フェリーでスピナロンガ島に渡ろうとかと思っています。大切なレディ・パシェの為に、たくさんお知らせしたいことがありますのよ。そしてもちろん、明日の夜、貴方も船員さんたちを手伝いに来てくれますわよね?貴方は本当にたくさんの可笑しな手品を知ってるんでしょう?とても愛らしくて、とても善良で、とても活発な人ね!」
彼女は喋り終えた。
ジルドの爽やかな顔は、まったく穏やかで、無邪気で、何も知らないように見えた。彼は雑巾を丸めて片付けると、それを抱きしめて立ち上がり、主人の舟の中に入っていった。
「あの女性についての貴方の考えに10centesimi払いましょう。」
とニコラスは尋ねた。
「色々と考えていますよ、旦那様。」
少年はゆったりと答えた。ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、船尾の彼の止まり木の元まで行った。
「一つで構わないよ。」
ニコラスは、服従が遅れたことに閉口し、顔を顰めて言った。
「旦那様、聖母マリアは、一つのベッドと一つのベビーベッドがある彼女自身の小さな家が欲しいのだと思います。」
「Noa!Noa!」
ニコラスは叫んで、オールをフォルコラに押し付けて、激しく漕ぎ始めた。ジルドは、彼の追及の果てに、自分が燃えるような名文句を口にしたことを知る由もなかった。風の強い午後の一時で(神よ、彼女を助けたまえ)、彼は、クラッブよりも優れた地位にいた。確かに、ジルドのことは冗談抜きに、真剣に考えなければならないとクラッブに思われた。
クラッブはクラブに戻るまで延々と彼のことを考えていた。
クラブの吹き抜けには、小型ボートが二人乗り、四人乗り、八人乗りと蔵められており、それと一緒にヴェニス製のスリムで薄いヴァレサンとオールの束が保管されており、それは軍隊の槍立てのようで、その場所で製造や修理が行われている。
掲示板付近は何時になく混雑していた。クラッブは貯蔵庫のお偉い海軍中尉の知人に会釈をした。そしてこっそりそこに入っていくと、彼らの注目の的になった。もちろん、地震について聞かれるのだ。
ブチントーロはいつものように、若いヴェネチア人たちを勝利に導こうとしていた。今回は慈善事業である。指定された三日間、夜明けとともに選手たちがクラブ横の王宮の小庭園に集合する。各中隊は、楽団と船団を同行させ、割り当てられた地区を一軒一軒訪問する。カラブリアとシチリアの飢えた裸のホームレスたちのために、金、衣服、食料品、建築用木材などの寄付を集めるために、街中を物色することになっていた。
クラッブはパッパリンを馬車として扱いこの事業に関与することに、激しい喜びを感じた。そして同時に、彼の心配事の全ては何処かへと行ってしまった。
その夜、ホールでティアサーク(普通の場所で一人で食事をしていた)は、椅子に座り、タバコを彼の側に置いていた。クラッブは我慢出来なかった。そこでは、マリッティマを一周した航海と、ブチントーロの慈善事業について話をしていた。
「レディ・パシュのことは、ご存知だとは思いますが、彼女は私たちの修道会のメインメンバーであり、イスラエルの母親でもあります。彼女はこの地震で苦しんでいる被災者たちのために懸命に働いているんですよ。」
と紳士は穏やかに、そしてためらいがちに言った。
「私がローマ・カトリック教徒であることを貴方にお伝えしなければなりませんね。」
クラッブが話し始めた。
ティアサークはアーチ状の眉を顰め、何かを言わんばかりの笑みを浮かべた。
「そのことに、私は全くショックを受けていませんよ。」
クラッブに、本能的な反感と嫌悪感が沸き上がった。彼は色目使いの藪攫いの狩人の胡散臭い匂いを感じ取り、この砂糖バターのようなサンプルを試みに飲んでみるのもいいかもしれないと感じていた。
「それから、私は貴方の修道会のメンバーを知らない。」
クラッブは続けた。
「でも、今日、ボートクラブで、レディ・パシュの慈善事業のコネクションについての話を耳にしました。そして、その名前に気付いたとき、恐怖で叫んでしまった。頭の中の全てが一瞬にして丸裸にされました。」
「それは本当に素晴らしいことですね!親愛なる方、それではちょっと失礼しますよ。ゴンドラのことで妻に電話しなければならないことを思い出しました。彼女はレディ・パシュの所で働いているんです。」
彼は光沢のある電話を手に取りをかけると、それを鳴らしながら叫んだ。
「(※ラテン語で何かを話しているー)さて、誰が話していますか?(※イタリア語で)、誰が話していますか?(※英語に切り替わる)、ああ、君か。ああ、今聞こうと思っていたんだ。ああ、彼に直接ね。うん。ああ、とても疲れてる?君はとても勇敢だからね。え、湯たんぽを3本?ああ、うん、レディ・パシュは元気かい?それは良かった。彼女に私の敬愛の念を伝えておくれ。うん。少し待っててくれ。もう終わるからね。」
彼はクラッブをじっと見つめた。
「君が今話してくれたことを妻に話しても構いませんか?」
「僕についての話を除くのでしたら、どうぞ。」
「どうもありがとう。彼女はとてもこの話を聞きたがっているんです。親愛なる友人!ああ、かわいい君、まだそこにいるのかい?君はとても勇敢だ。私は君にとても素敵なことを伝えたくてね。私達の素敵な友人からとても興味深い賛辞を聞いたんだよ。きっと君も喜んで聞いてくれると思うよ。そこにいるのかい?ああ、今日の昼頃、ブチントーロでレディ・パシュの名前が出たんだ。ブチントーロ、ブ・チ・ン・トー・ロ、ボートクラブでね。ああ、王宮小庭園のボートクラブで名前が出たんだ。会議でね。私が思うに、慈善事業の参考としてだと思うね、ああ、ああ、必要だと思わない限り、繰り返す必要はないから。(※イタリア語に切り替わり)おお、あなたの最愛の人を見ましたよ。シニョリーナ、祈ってください。(※また英語に切り替わり)ああ、ここにいました、愛しい人よ。ああ、馬鹿な女の子が私の話を遮ったんだよ。私が彼女の名前を呼んだんだ。ああ、それでだ、なんだったかな、レディ・パシュの名前が、ベニー・フェチェンザに関連して出たんだよ。そしたら、若者たちが皆帽子を掲げたんだよ。そうだ。高貴な行動のオマージュだよ。たしかそういう意味だったろう?君に伝えたいと思ってね。私たちの友人や、私達の『かわいい友人』が聞きたいかと思ってね。ああ、そうだそうだ。もちろん。もうすぐヴィンチェンゾを送るよ。」
クラッブは、彼の本能を証明した苦しみによって、肘掛け椅子の上で固まった。口の中に、酸っぱいミルクと完璧に腐った卵と悪臭を放つ油と錆びたヒレ肉の混ざった味が広がった。そして温かい痛みが彼の中で喘いでいた。それはもちろん、要するに、怒りの侮蔑が腸煽動を一時的に麻痺させたために引き起こされた消化不良だった。彼は熱湯を頼むと、不機嫌そうに薬を口にした。彼の卑屈な隣人は、待機していたゴンドリエーレに命令した。そして、彼は自分の場所で会話を再開させた。
クラッブは、この身じろぎしてしまうような小さな生き物に猛烈な(しかし、純粋に学術的な)興味を抱き、例えるならば、彼をガラスの間に押し当てて、じっくりと顕微鏡で観察した。
私のパトロンが、神父や教会の関係者、あるいは教会に関心を抱く関係者に対してどのように接するのかは既に述べたとおりである。
「|Bozu ganikukereba, kesa made nikui《坊主憎けりゃ袈裟まで憎い》」は日本語の諺で、「神父が悪ければ、彼の頭巾までとてもに憎い」という意味である。
いつでも、どこでも、そして、その全てにおいて、彼自身の選択によって、召命によって、 トンスラの正式な儀式によって、彼は教会的地位に属していることを忘れてはならない。
彼は彼自身(20年間に渡り)婚姻という踏み慣らされた方法で世俗に戻る自由を拒否したのである。彼は聖職者であり、事務員であった。
事務員であり聖職者でもあった彼は、辛抱強く、高みからのその言葉を待ち続けていた。
親愛なる読者よ、貴方はどう思うだろうか?なんという野生の執念、なんという不滅の決意、そして盲目的で狂気じみた不屈の精神でもってして、彼は20年間も教会論の梯子段の最下層にしがみつき続けたのだ。
その上、ヒエラルキーの蹄と神職のパッドが彼の指の関節を跳ね回り、顔を踏みつける。世間は悪魔とその肉体をもって彼の踵を掠め、引きずり降ろそうとする。
親愛なる読者よ、その不屈の精神と決断力と粘り強さは、単に人間的なものだったのだろうか?それとも、超人的なものだったのだろうか?
私は貴方にお聞きしたい……。信徒から切り離され、聖職者からも拒絶された魂の孤独の中で、彼は自らの理想を探し出した。私は、彼ならば、その理想に限りなく近い生き方を送れたのではないかと思う。
さらに踏み込もう。私の意見では、もし、盲目の案内人たちが、グラッブの理想を公的に実践することを(彼を任命して)正当化していたなら、この世界の何処かで(出来るだけ解りにくい片隅において)鮮烈で穏やかな教会的美徳の前兆が発芽していただろう。
雑草を取り除いた牧草地に不滅の種を蒔き、人々の前で宣伝をする代わりに聖なる明かりで僅かに照らすことができただろう。
しかし、それはそれとして、他の聖職者たちに対するクラッブ事務員の表面上の態度というものは、あからさまな嫌悪で描かれていた。いつも嫉妬深く、しばしば攻撃的、せっかちで激昂していた。彼は、世間知らずのまま世間を渡り歩く術をよく知っていた。そして、そうできない、あるいはそうしない人々に対する彼の哀れみは軽蔑よりも攻撃的なものだった。
彼には「アレテ」があった。素早く、軽快に飛ぶのに必要不可欠な翼で、罪の沸騰した穴底に張られた揺れ動く伸びたガタガタのワイヤーをその翼で渡った。
人々はーそのような多くの立派な司祭や人々は、彼の道化じみた態度に息をのんだ。そこから離れて、彼が凄惨な身投げをするのを見たいと思っていた。高慢なプライドが圧し折られるのを見て満足したかった。
しかし、彼は揺らぐことなく進み、いや、時々は揺らいだが、見事な直立をみせた。誰も彼をどこかへ連れて行くことは出来なかった。そう、彼が彼らに|猿轡《さるぐつわ》をはめられ、枷をはめられた時でさえも。
彼は聖職者とその同類を嫌悪していた。非国教主義者の柔和な帽子や、司祭によって支配と管理された偽りの良心、聖書批判、カトリック終末を受け入れたエラスティアン、そして、カトリックの証言と認識に対する彼らの小煩く、安っぽく、むさ苦しく、世俗的な憂慮がそれに当たる。)
彼は、彼のロマンティックで聖書的な理想に合致する雛形が姿を見せないかと、いつ如何なるときでも機会あるごとに彼らの隊列に目を走らせていた。善良な司祭、誠実で、尊敬に値し、芯のある司祭、世俗に染まらない司祭、|無私《むし》の司祭、すべてのことを望み、信じ、慈愛を見失わない。忠実な召使い、ひとえに、ただシンプルにそこにいるー。
クラッブはそれについて、一瞬たりとも疑ったことはなかった。彼は狭量で卑劣な愚か者ではなかった。しかし、彼はそのような司祭に会ったことはなかった。彼には理想だけがあった。彼の驚天動地の信仰の強さのために、(期待されているものの実体、見えないものの証拠に対する)Domeniddioが、彼の人生に蔓延る聖職者とその教会の支援者たちの警告の数々を、彼に提供しているようだった。
そして、その誰かの極めて人間的な呪文や啜り泣き、悲鳴よって、(他の多くの)ページを汚されているのだ。
今説明したように、若しくは少なくとも特徴づけたように、私が正当化しようとは夢にも思っていないような態度で。
ウォーデンは地震について語った。
もちろん、イタリアでは一月の間、「L’amore」や『polenta』を除いては、誰もが地震の話しか話さなかった。
クラッブは彼の爪を準備すると、冷厳で神秘的な目を向けた。それから、彼の様々な言葉を集めた矢筒を用意した。全ての蟹は聾者である。彼らの耳底には初歩的な聴覚器官さえ備わっていないのだ。Chrysostomが歌った言葉も、いじめっ子が喚き散らした悪口も、ユダが囁いた言葉も、単なる言葉でしかない。蟹には、少しだって響くことはない。我らが蟹には言葉は無用である。彼には行動こそ必要なことなのだ。
クラッブはこの男に対して、カラブリアで起きた自分の最近の出来事を、彼らをまるでいない者でもあるかのように、注意深く隠した。
クラッブはすぐにウォーデンの話に飽きて、差し挟むように大欠伸をした。
「どうでしょうか?」
彼の隣人は少しぎこちなく言った。
「もしよろしければ、アドバイスをくださいませんか?私たちの教会では、元旦に教会でカラブリアとシチリアのための募金がありました。有り難いことにサン・マルコ教会を除いて、ヴェニスのどの教会よりも多かったのです。それをどう使うべきだと思いますか?」
「なぜカトリック教徒に尋ねるのですか?お答えしましょうか。貴方の質問に答えない誘惑に耐えられそうにありませんから。宗教的な供え物は全て、その地域の宗教の長の手に委ねられるべきである、そのように枢機卿兼リスボン総主教宛に、小さなメモ書きを書いて渡すのです。彼に|貴方にお金を払いたいと。そして、"Kissing the Sacred Purple "することを忘れずに。」
「ああ、哀れな人だ。私もそれと似たようなことをしました。」
「ほう!」
クラッブは熱狂的に叫んだ。
「私のお世辞話にクリスチャンとして恥ずかしくない振る舞いをしてくれて、どうもありがとう。それで?」
「総主教はとても親切に私を迎えてくださいました。彼は私に、それはもう熱烈に感謝の言葉をかけてくださいました。けれど彼は、分派から公的に供え物を受け取れるということは、自分たちにはそれらと同じだけの価値があるということだな、そうも言いました。」
クラッブは熱湯の入っていたグラスを叩き割って、別のグラスを持ってくるように命じた。
「牧師の仮面をかぶった愚鈍で馬鹿な年老いた羊め!」
と彼は衝動的に叫んだ。そして、
「どうして彼に内密に金を渡さなかったんですか?」
「ああ、そういうことは出来ないと思いますね。私たちの信徒は公の場での承認を期待していますから。」
クラッブは鼻を鳴らした。
「もちろん、もしあなたが枢機卿リスボン総主教を死に追いやりたいと切望するのなら......まだカトリックの手に寄付をすることに熱意があるのなら……。」
「私は国家基金には送るつもりはありませんよ。だって、国政震災基金が最後まで不正に運営されていたことに衝撃を覚えましたからね。もちろん、国の教会が、その国のクリスチャンたちを最も適した方法で管理する権利があることには同意していますよ。ええ、もし何か公的な方法があればそうしようかと思いますが。」
「カトリック・ジャーナリズムの基金ならば、私たちの最も神聖な父である教皇ピウス10世の足元にお金が敷かれることでしょう。貴方のお金をヴェニスのカトリック雑誌『La Dipesa』宛に、ヴェニスに住む英国のErastiansとして、送金してください。そして、そのことを無料で宣伝してもらえばいい。」
「おお、ありがとうございます。そうします。」
クラッブは洗練された態度で振る舞った。
「貴方はとても公正なクリスチャンですね。」
とクラッブは言った。
「でも、実を言うと、私は貴方に興味をそそられるのです。お尋ねしてもよろしいかな。かの国の教会について貴方はどのように責任を持って考えているのかー、貴方の教会と貴方の牧師はここで何をしているのですか?あなた自身の、ここでの公式の立場を正当化する根拠は何なのでしょうか?」
「神の、思し召しですかね。」
と、もう一人は穏やかに呟いた。
「彼らはここにはいません。出しゃばらないことを望みたいものですね。私は単に、英国のエラスティアンの為に、彼らの儀式を執り行うために来たのです。」
「なるほど、そうですか。」
とクラッブは話を締めくくった。
ローマン・キャンドルが照らす光は、常夜灯を凌駕する。彼は暫定的に、この熱狂的な教会員を、夜の光を浴びながら首尾一貫して歩き続けている人種として整理棚に入れた。まだその途上ではあり、遠くには行くことはできていなかったが。しかし、夜の明かりは無いよりはあったほうがいい。
ウォーデン婦人がホールに入ってきて見回りを始めた。婦人は、非の打ち所のない、薄っぺらなヒキガエルとニャアニャアと鳴く猫の口とを褐色に型打ちしたうような、ベルベットのティーガウンに毛皮のマントを身につけていた。
彼女は自分の財布がクラッブと話しているのを見つけて、二人のほうに向かってきた。彼女の笑顔は、窮屈で乏しく、公共の場所のパフォーマーのようで、小さな金歯が彼女の顔の前を一周していた。彼女はクラッブにお辞儀をして、彼の側に座った。プレゼンテーションを試みることはなかった。ティアサークのヒキガエルのような口が嬉しそうに空いたり閉じたりした。
「親愛なるー」
彼は牛のように鳴いた。
「クラッブさんは私たちの少額の地震への募金についてとても親切にしてくれたんだよ。とてもいいアイデアをくれたんだ!」
「ああ、エクセター、外に出て煙草を買ってきてちょうだい。金箔付きのボール紙の長いやつをね。」
彼女は彼の喋りに割って入り、
「ねぇ、クラッブさんは私といちゃつきましょうよ。私達はこれからFeniceに行くのよ。親切な友達がボックス席を貸してくれたのよ。『アイーダ』の最終幕を聴きに行くの。」
と彼女は付け加えた。
はっきりと、如才なく、外交的に、彼女はクラッブに、彼が何者で、どこにいて、誰を知っているのか、いつものように異端審問を行った。
そのいずれかの答えから、彼女のようなタイプのカテキスタは、そのcatechumenの金銭的価値がどのようなものであるのか、自分なりのイメージを抽出するのである。
服従を正当化するために、子牛に充分な金箔が施されているかどうかが、彼らの知りたいことだからだ。
彼女の全てを丸裸にしてやるために、彼女の幻覚のはじめのうちに、クラッブは即座に胸の内を明らかにした。
彼は誰でもなかった。彼は貧しく立派な商人の4代目の息子で、14歳まで私立の学校に通い、それ以後は独学で、大学にも行かず、望ましいコネクションは全く無く、暮らしの中でチャンスがあれば歴史を書き、チャンスが無いときは倒錯した歴史小説を書いた。
彼は特定の友人だけ持ち、知る価値のある人物を誰も知らず、そして逆に、彼には誰も知る価値がなかった。
実際、彼は彼女の首を絞めようとした。彼は彼女に、自分がジャムでも蜜柑でもなく、甘い肉体でもないと知らしめた。もし彼女が望めば、彼女は他の誰かの耳元へ行って口遊だろう。
彼女の旦那が戻ってきて、3人は煙草を吸った。彼女のDearesは、お茶の時間に起こった出来事が告げた。
「ある若い紳士がー」
ウォーデンが喋り始めた。
「私に助けを求めてきたんです。彼は言いました。馬鹿な様になってしまった。彼はボローニャにファーコートを置き忘れてしまったのだと言いました。彼はここではそれを買おうとは思わなかったそうです。なぜなら、彼は自分の為に電報を打っていたからです。何か、1日か2日、彼を暖かくするものをなんでもいいから貸してあげたら嬉しい。彼はブリタニカに滞在しているんです。そうそう、彼は私に名刺をくれました。」
婦人は小僧を見るように、名刺を見た。
「その人は大丈夫な人なの?」
彼女は怒りながら言った。
「これ、むしろ変なカードじゃない?どう思う?クラッブさん。」
彼女はそのカードをクラッブに見せてきた。
「Honourable・フィッツジェラルド・ヘプナー。」
クラッブはそう口に出して読み上げた。
「私はこのような名誉ある方の名刺を見たことはありませんが……、しかし、そのような血筋の方はいつも自分のことを「Hon.」でも「Honourable」でもなく「Honble」と呼ぶそうです。そして、決してカードに書くことはありません。しかしながら、この件は私の仕事からは外れていますね。」
とクラッブは言った。
「さて、エクセター、貴方がまた騙されたのでなければいいんだけど……。」
とウォーデン婦人が苛立ちながら言った。クラッブの心には、また別のひどい嫌悪感の波が押し寄せ、他者が持つキリスト教の砂上の楼閣を崩していった。
このか細い女は、すぐに邪悪なことを考えた。不気味な生き物だ!彼女の藪攫いの狩りの遊びに、彼も一緒になって興じてしまったということだろうか?
彼は急いで自分の古いグレーのベルベットのディナージャケットに、こんな恥知らずな蝿が惹かれそうな毛の束がないか、ちらっと見てみた。
そう、彼は静かで見窄らしかった。それなら、なぜこのペアの荷船は彼のもとに来たのだろうか。彼は殻を硬化させて、これまで以上に注意深く相手の印象を探った。
「ああ、私は彼は全く正しいと思ったんだ。親愛なる人よ。」
ウォーデンは謝った。
「彼は服装も良かったし、マナーも良かった。それに彼はフランクだったし、彼自身についても話してくれたんだ。彼の父親は、第10代ドロヘダ公爵の8番目の息子だったそうだよ。」
「彼はフィッツジェラルドっていうんでしょう。それに「ヴェプナー 」は?その名前はアイルランド人じゃないじゃない。」
婦人は早口に、不明瞭にそう言った。
「でも、彼はスウェーデンの将軍の養嗣子で相続人で、その将軍は彼に自分の名前を名乗らせているんだよ。」
彼女は疑っていた。
「Debrettを見た方がいいわよ。それでコートはどうしたのよ?」
彼女は付け加えた。
「彼に貸したよ。」
彼女の旦那は押し出すように言った。
「フードのついた古いペレリンを貸したんだ。新品でもたった15リラしかしなかったんだけど、彼が着ると倍の価値があるように見えたよ。うん、彼は大丈夫だと確信しているよ。もし彼が彼の言うとおりじゃなかったら、私から奪う絶好のチャンスを逃したことになる。お茶の後、仕事の用事があったので彼を船員会館に連れて行ったんだ。道中で話ができると思ってね。すっかり失念していたが、明日、前四半期の購読料を銀行に持っていくことになっていたんだ。いつもより多い1300リラをね。事実、おかしなことに、ロイスが私にそれを数えてくれるのを彼は見た。研究所とリアルトの間にある暗い小さな路地のどこででも、彼は簡単に私からそのコインを奪うことができたんだ。でも、彼はそうはしなかった。そうだろう?だから、彼は大丈夫さ。実際ね。彼には22時頃に私達と一緒にオペラを観に行くように話をしてあるんだ。」
二人は、ニヤニヤ笑いに包まれながら、刺激に満ちた様子で2階へと上がっていった。22時近くになっていた。クラッブは瞑想的に座りながら煙草を吸っていた。
彼はあのエラスティア人たちには全く興味がなかった。彼の本能が、彼らに対して再び警告を発していた。彼の嫌悪感は切実で、それは、彼の人生にあの二人自身を押し付けるようなあからさまなやり方からきていた。いったい彼らは彼の何を見ているのか?いったい彼の何を求めているのだろう?
とにかく、彼らは何も得ることは出来ないだろう。もちろん、彼らが単に鈍いだけなのかもしれない。彼らはまともでありたいだけ、文化的なものの変わり種との会話に恋い焦がれているだけなのだろう。
言葉では言い表せないほど煩わしく、人間的だ。彼らとは同じホテルで生活し、彼らとの転倒劇を演じ続けなければならない。もし彼があのホールの椅子に座りたかったら、そして、そこにただ座るだけでなく、多くの文学的な仕事をあの快適な肘掛け椅子に座り行いたかったのなら、この退屈な連中を避けるためには、どこかの葬儀屋に賄賂を渡して、彼らを葬ってもらわない限り不可能だろう。
恐らくは、ヨブ記における、「ここまで来きてもよい、越こえてはならぬ」ともいえる、ささやかな、丁寧な社交的なものなのだろう。天気についての情報の交換や、文学的な指摘(彼女はソーセージを食べた女性についての本を書いたとか、そういう類のものだ。)をたまには煙草を吸いながら、不謹慎な話を交わすこともいいだろう。不都合なことにも譲歩できるかもしれない。
しかし、これ以上は......いやはや、彼の手には彼らが関与していた仕事、それからまだ完成していない『De Burgh's Delusion、そしてジルドというこの上なくデリケートで喜ばしい危険な問題で手一杯だった。
そんな彼の前に、20歳そこそこの、上品な若い見知らぬ男性が現れた。
欠点のない装いで、いみじくも馬車の中にいても気にも留まらない、ハンサムでもなく、エッチングで描かれたようでもない、ある種、学部生の完璧な見本のようだった。清潔で、涼しげで、純潔的にドレープを着飾って、最も気取らない絵に描いたようなペレリーヌをまとっている。その模様をホールボーイのブルーノにイタリア語で理解させるのには少し苦労した。
「ご主人、私は貴方を信じています。」
クラッブは彼を呼んだ。
「エクセター・ウォーデン氏がお待ちしております。彼はもうすぐ降りて来られます。」
控えめに謝辞を述べると、青年は座って待っていた。クラッブは個人的な印象を得るために彼に握手を求めた。彼はヴェニスを知っているのか?長く滞在するつもりなのだろうか?一週間ほどだろうか。
これが彼の初めての訪問だった。彼は自分の道楽、 シンプルで金色の小さな煙草ケースを取り出した。未だかつて、ディナースーツをこれほどゆったりと美しく着こなしているのを見たことがない。これほど素敵な無地のリネンや、黒いシルクの蝶ネクタイの天才的なまでに無造作な結び目は、これまでに見たことがない。その上、声も態度も素晴らしかった。彼は何か戯れのために、公正でインディペンデントなショーをするべき、それほどだった。
「とても素晴らしいですね。」
クラッブは言った。
「貴方がもし不都合でなければ、明日、私の船に来ませんか?私のボートクラブです。ロイヤル・ブチントーロ号は、カラブリアとシチリアの街々への救援金を集めているんです。私は運び屋になるつもりなんです。」
「ヴェニスのボートを漕ぐのを引き受けることは出来ませんが、喜んで運びますよ。」
「漕ぐのは私です。私と使用人が。貴方は舟に座ってそれに興じればいい。乗り込むときに、コレクションを私達に見せてくれれば。貴方は私達をとても助けてくれるでしょう。それから、貴方は街のたくさんの場所を見ることができる!」
「その申し入れはシンプルに素晴らしいですね。」
「では、正午にここで昼食をご一緒させてください。そしてその後、クラブに指示を仰ぎましょう。」
ウォーデン氏の頭蓋骨が現れた。彼は、彼の妻が疲れを感じて、家に残るであろうことを言った。彼は、この名誉あるフィッツジェラルド・ヴェプナーを紹介してくれるのだろうか。そうしてくれるのかもしれない。
しかし、彼と若者は頷き合って、オペラへと観劇に向かった。
クラッブはベッドに向かった。彼はそこで1時間ほど、ゆっくりとジルドの問題、それをゆっくりと、考え、考え、そうしてため息をつき、眠りに落ちるのを待ち望んでいた。
第9章へ続く。
次回更新は11/17頃になります。
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