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高嶺の花、女、そして本

世の中には、信じられないほどに高い本、というものがたくさんございまして、本の魅力に取り憑かれて人間であるのならば、いくつか自分のお眼鏡に適う、そういった本に思い当たることでしょう。

けれども、美しい恋人と同様に、そういった本を手に入れるには、少しばかり、いいえ、大変に苦労を伴うものでございます。

あるコレクターが、芹沢銈介の『絵本どんきほうて』を探しているのだと、私に言いました。芹沢銈介は人間国宝の、染織工芸家でございます。私は、その本の名前を彼から初めて聞いて、その夜にウイスキーを飲みながら、色々と調べたものです。
『絵本どんきほうて』は和装本で、限定75部の特別本がございます。価格帯はなんと200万円前後だというから驚きではございますが、それはもう本ではなく、芸術、工芸品でございましょう。
今もある古書店では取り扱っておりますから、興味のある方は是非お求めになってはいかがでしょうか?

然し、美しい本でございます。このように、美しい、世にわずかしか存在しない稀覯本、そういったものを手にする感慨とは如何ばかりでしょうか。

それから、このように美術と書が一体となった作品の稀覯本に、瀧口修造の『妖精の距離』がございます。
これは詩集ではございますが、限定100部で、現存するのはそれを大きく下回る本でございます。
彼はこの本もどうしても所有したいと言っていましたが(彼は、このような限定本に取り憑かれています、それも、アートブックのような体裁のものを)、この本も100万円以上しますし、何より、まずはお目にかかれないというのが、この本を手にする一番むずかしいところでございましょう。

稀覯本、それも高価なものとなれば、手に入れるために、①資産 ②知識 ③タイミング ④根気 これらの資格が必要になりますから、生半可では太刀打ちできないのです。

私が以前持っていた稀覯本、江川書房から発行されていた180部限定の『伊豆の踊り子』ですが、こちらは小穴隆一の装丁で、それは見事に美しいものでした。私はそれを西宮の古書店で買いましたが、その価格は30万円ほどでした。一昔前には100万円はする本で、今でもネットには50万前後で何冊か出品されています。

けれども、なかなか買い手がつかない様子で、やはりある程度出てくる本、というのは、つまりはお金で買える本、というのは、情熱を滾らせることがないのかもしれません。無論、数万であるだとか、或いは、何十万円だとかいう本は、書物の中身以外に興味のない人間には、正気の沙汰ではないと思われるでしょう。
けれども、お金で買える本ではない、僥倖でしか相まみえることのない本というのは、やはり美しい恋人そのものなのでございます。

私も、今も本を集めています。先程、お話しました『伊豆の踊り子』、彼女はもうどこかへ行ってしまいました。30万円もの本、というのは、どうしても手に余るものでして、私は大切な恋人を他所様へ流してしまったのです。そうして、今もまた凝りずに稀覯本を探している……。結局は、人はそのような美しい人を仰ぎ見て、恋い焦がれている時が一番楽しいのでしょう。
思いの成就とは、それを頂点として、今度は緩やかに堕ちていくだけでございますから……。


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