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7日間ブックカバーチャレンジ DAY.3 『ブレードランナー2099』ってどうなるんじゃろ

プロフィールにも書いているように、私が最も愛するものの一つに『ブレードランナー2049』がある。汎ゆる映画の中でこれを一番愛する。
で、その親である『ブレードランナー』、これも愛している。

3日目の本は、2004年刊行、筑摩書房、加藤幹郎 『ブレードランナー」論序説 映画学特別講義』、である。

この本は、まぁ、評論本だが、評論、というよりも、『ブレードランナー』という作品を読み解いていき、そこにある意図や偶然、表象を古今の映画と照らし合わせて、一つの『薔薇の蕾』へと至る、そのような本である。

私はこの本が好きで、まぁ、Amazonでは酷評されている。と、いうよりも、賛否両論の激しい本だろう。

私はこの本に猛烈に賛のふだを掲げたい者である。いや、この本の語る評論、というのは、途中からある種の神の啓示ともいえる、いや、妄執とも呼べる答えにジリジリと近づいていくような、一種の詩である。
優れた評論というのは2種類あって、一つは制作者の意図を詳らかにしていきその作品の本質を抉り出すもの。もう一つは、制作者の意図しない潜在意識を作品から読み解いて評論を超えた詩として人々に語るもの、である。

この本は明らかに後者である。
まぁ、前者、の本はたくさん存在しているのだ。

例えば、この本のAmazonレビューでも言及されている、町山智浩氏の『ブレードランナーの未来世紀』。これは前者である。そして、非常に優れた本であり、私も貪るように読んだものだ。

町山氏の本は非常に整理されていて、読みやすい。各映画の監督に軸が置かれていているため、迷子になりにくい。
反対に、まぁ、この、リュミエール叢書の本は、まぁ、読みにくいである。その読みにくい本が、何故ここまで心を打つのか、というと、非常に、まぁ非常に、『ブレードランナー』の持つ虚無、懐かしさ、寂しさ、というものに触れているからであって、この本に触れていると、それは、『ブレードランナー』という映画に触れている、あの時間に触れている、そのような心地があるのである。

『ブレードランナー』、とは何か、と、問われると、それは懐かしさである。
そのことにに触れているのは『ブレードランナー2049』という、続編そのものだったことが感動的であり、また、そういう意味で、この本も『ブレードランナー』の懐かしさに触れている、稀有な一冊である。

そう、脚本を書いたハンプトン・ファンチャーは続編の『2049』でもマイケル・グリーンの書く脚本の前段としては、詩のようなスケッチを書いたのだ。詩と何か。ブレードランナーは詩であり、詩とは懐かしさなのだ。
ハンプトン・ファンチャーはつねに詩人であり、ルトガー・ハウアーも詩人であり船乗り、そして、ドゥニ・ヴィルヌーヴはライアン・ゴズリングをこの作品の詩神としている(それは、叶わなかった詩神であるデビッド・ボウイの後継者として)。

然し、まぁ、『ブレラン』の本は山程あり、下記に列挙されているものは全て読んだうえで、是非とも、現在撮影中?の『ブレードランナー2099』に備えるのだ。

5月13日(Monday) 3日目

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