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仕事への情熱を 映画『AIR』は職人芸


映画『AIR』はベン・アフレックの監督最新作であり、マット・ディモン主演のお仕事映画である。
夜に観る映画はいいものだ。

以下、普通にネタバレを書く。


内容としては、舞台は1984年、エア・ジョーダンが如何にして誕生したのか、そして、NIKEがマイケル・ジョーダンとの契約を勝ち取るまでの物語である。
ベン・アフレックと言えば、2003年くらいには『ジーリ』でジェニファー・ロペスと出来てパパラッチを吸い寄せた男であり、2013年くらいの『アルゴ』で一時監督として大ブームになった男であり、『アルマゲドン』のAJであり、そして、最近のバットマンでもあるし、過去のデアデビルでもある。

『バットマン』単独作を監督する話も何処かへと消えて、6/16公開の『ザ・フラッシュ』ではマイケル・キートンのバットマンが予告で出ていたが、DCユニバースの世界はMCUよりもカオスのマルチバースと化しているため、
私には把握できていない。

然し、アフレックとマット・ディモンである。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』コンビである。
この二人の共演が久しぶりに……!と思ったら、普通にリドリー・スコットの『最後の決闘裁判』で共演してたな。

権力のあるバカを演じるのが好きな男だな。

今作は、当時バスケシューズのシェア17%のNIKEがその部門での進退を賭けてマイケル・ジョーダンとの契約獲得を目指す物語である。
ライヴァルはadidasとConverse。

マット・ディモン演じるソニー・ヴァッカロはバスケ部門の立て直しを命じられている。そして、今期のスポンサー予算を三人のドラフト5位以下の選手と契約し注ぎ込もうとしていた部署の方針と対立し、NBAに入る前のマイケル・ジョーダンに全ベットすることを提案、CEOであるフィル・ナイト(アフレック)や上司のロブ(ジェイソン・ベイトマン)らと激しく口論しながらも、今まではシューズの宣伝でしかなかった選手に対して、シューズを選手に合わせるエア・ジョーダンを作成して、ジョーダンにプレゼンしようと計画する。彼は、ジョーダンはトクベツヴェルタースオリジナルな人として、心底惚れ抜いているのだ。彼の直感が、全ベット!全ベット!と、現実味のない狂気のプランを推し進めていく原動力となる。
靴は靴でしかなく従、ジョーダンこそが主となるべきだと、直感を信じて冒険する。

NIKEだけは嫌だと言うジョーダンを口説くために、彼を仕切る母親を口説きにノースカロライナまでアポ無しで行くが、これはご法度行為でありジョーダンのエージェントが激キレしてしまうが、まずはその熱意でプレゼンの俎上に上がることに成功する(ここは罵倒のオンパレードなのでいいね)。

私は、この映画を観ながら『ハケンアニメ!』を思い出していた。『ハケンアニメ!』もお仕事映画である。

終始、何を考えているのかよくわからない主人公。いや、吉岡里帆さんの演技はとても良かった。問題は、『サウンドバック』はどうすることで『リデルライト』に勝つのか、そこらへんが漠然としてしまっていること。作り手の情緒に流れた点ではないか。


アニメ監督同士、アニメ制作者同士の、熱い闘いの話である。誰かの心に届く作品を作りたいんや……。そのような話だったが、この『AIR』を観るとよくわかるが、私が『ハケンアニメ!』をつまらないなと思ったのは、アニメ制作があまりにも抽象的に描かれている点である。抽象化は詩情をもたらすが、エンタメにはそぐわないし、抽象化のような高尚なものではなく、描き込みがたりないだけのような気がする。
『ハケンアニメ!』は主人公や、その職場、ライバルのクリエイターたちの『思い』に肉薄しすぎていて、情緒に逃げているきらいがある。まぁ、村社会の日本的な感覚であり、明確な目標を掲げて、それに到達するまでのプロセスを描くのは、やはり欧米の得意とするところなのであろう。とはいえ、実話ベースなので、一概には比べられないし、今作は雑な箇所はあるが、作劇の上手さでそれをあまり感じさせない。

然し、突然町中を走り出したり、シュークリームを食べられる食べられないネタを入れたり、演出や小ネタの出し方に難がある『ハケンアニメ!』とは違い、今作は演出も丁寧で、ギャグは滑っているところは『AIR』にもあったが、リアリティを削ぐものではなかった。

また、『ハケンアニメ!』では制作進行の後半、ギリギリで監督判断により演出を変更し、より良いものを作ろう!的な展開になったのだが、
これは日本のお仕事映画あるあるの、今まで敵対(とは言っても皆いい人なので)していた人物や仲間たちが、「やれやれ、しょうがないなぁ。」と呆れながらも熱く一緒に難局を乗り越えてくれる……そのような、あんなこといいな的な職場幻想が描かれており(然し、現実は真逆である)、結果いいものが出来て、皆幸せ…という、あの、どうしようもない奇蹟がテンプレート的に描かれていた。

斎藤監督のワガママなわけだが、それには多少のリスクを伴うわけで、今作の『AIR』においても、同様にマット・ディモン演じるソニーの無謀なプランが伴うリスクに、上司のジェイソン・ベイトマンが訥々と説教をかます。
「いや、お前はリスクっていうものをわかってねぇよ。お前のせいで、失敗したら職を失って、俺は離婚して離れた7歳の娘にも、前みたいに会えなくなるんだよ。」
ジェイソン・ベイトマンは、ソニーが他人を巻き込むことで、皆にどれだけの苦労やストレス、また犠牲を与えているのか、それを諭すわけだが(然し、彼は苦言を呈すものの、味方である)、『ハケンアニメ!』ではその辺りは、なんとなーくのムーブで流されてしまう。

やっぱりね、説教ってのも大事だよ。最近は揉め事が嫌で説教しないんだって?

まぁ、立場が違うので、これもまた一概には言えないが、要は、作品における仕事への労苦や葛藤の説得力が違うのである。
仕事において他人を動かすために必要な情熱の描写、そして阻むハードルの高さをきちんと設定しているために、物語の流れに瑕疵が少なく見やすいのである。

クライマックスはマイケル・ジョーダンへのプレゼンになるが、ここでソニーが演説ぶるわけだが、今作ではマイケル・ジョーダンは顔を出さない。ほぼ喋らない。それがこのクライマックスにおけるソニーの演説シーンでそれが巧く機能する。巧みに演出される。ソニーの演説は、マイケル・ジョーダンが単純にお金だけの契約をするのか、それもエア・ジョーダンを作り、ジョーダン本人自体の価値を高めていくのか、それを迫る(そこはジョーダンの母が一枚上手なところを見せてくれるのだが)。
そこに、実際のジョーダンの映像が重なり、彼が今後味わう栄枯盛衰が流れる。然し、NIKEと組めば、エア・ジョーダンならば、ジョーダン本人が確固たるものになり、打ち勝てる、というのである。
つまりは、君は、人生をどうするのか、ただのスポンサーとアスリートの関係ではないと、ソニーは言うのである。君たちはどう生きるか?ということである。
結局は、人生をどう考えていくのか、それこそが、何を営みに据えようとも変わらない重要なことである。
それは、スポーツという藝術や、文学、アニメ、映画、漫画などの文化藝術でも同様である。

思いもがけずホットな映画で、これと『ザ・ホエール』のどちらにするか迷ったものの、こちらを選択して、結果良かったと言える。まあ、ブレンダン・フレイザーが観たいのと、ダーレン・アロノフスキーが好きなので、『ザ・ホエール』も要チェックや!

ベン・アフレックとマット・ディモンは、MeToo運動の際などでもダメージを受けていて、世代交代は確実に進んでいる。
然し、彼らの映画制作、そこに賭ける実力は本物だ。

やはりトップスター、斬新な輝きはないけれども、いぶし銀な1本である。

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