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タルホと月⑰ タルホの映画論①    パテェの赤い雄鶏

これは、タルホ=パテエ創刊準備号である。

タルホ=パテエ創刊準備号の表紙

何を言っているのか一切理解出来ないと思うが、稲垣足穂にとっては、パテエというのはとても重要なものなのである。

パテエ、或いはパテェとは雄鶏のことであり、フランスの映画会社のことであり、今もまだ、パテェのロゴは現役である。この雄鶏はもう消えてしまったが。


タルホにとって、この雄鶏は幼少時の記憶と分かちがたく結びついており、それは即ち、彼にとっての『幼心』の表象であり、象徴である。
タルホは映画に関しては一家言ある男であり、白いエクラン、即ち、スクリーンに焦がれていた。

然し、タルホが愛したのはあくまでもその白いスクリーンや、映写機などの機械類、フィルムなどの物質そのものであって、映画そのものはつまらないものとして一部のものを愛好する以外、いつものごとくとても貶している。

この、タルホ=パテエ準備号とは、小谷孝司が企てた小冊子であり、その創刊の準備号である。この冊子はなかなかにレアなので、入手して嬉しいなぁ。

こんなロゴやエッセイが書かれたカードが10枚ほど、封筒に収められている。

これに関して言えば、稲垣足穂追悼の雑誌、『遊 objet magazine 野尻抱影・稲垣足穂追悼臨時増刊号 われらはいま、宇宙の散歩に出かけたところだ』にエッセイとして小谷氏の文章が認められているのでそれを読んで頂きたいが、このように、一人の作家に焦がれてそのためにその人の探し求めるただ一つのロゴを探し求めるということは、非常に尊いことに思われる。

『遊』の追悼号。この号に、タルホと野尻抱影が初対面した話が載っていたが、両者の会話は最後まで噛合ことがなく、若干野尻が「このひと、あ○ま大丈夫?」的なノリなのが可笑しい。


タルホが探しているロゴは、この雄鶏が二羽向かい合っていて、蔓が絡み合いロゴを形成しているものだが、終ぞそれに該当するロゴは発見されていないが、フィルムアート社から発売されている『Filmemoria TARUHONIA』に、そのロゴを使用してのパテェ社の撮影風景のスチールが掲載されている。
タルホが本当に欲しかったロゴはそれであるが、1948年にその昔のロゴを見つける術なぞ無名になっていた彼にあるはずもない、同年の『ヰタ・マキニカリス』初版本には、編集者の伊達得夫が見つけてきたロゴが使用されている。

表紙に描かれているのが、勝手に拝借して使ったパテェロゴ。タルホはこれに不満だった。
フィルムアート社から敢行されている『Filmemoria TARUHONIA』。大変に良書で写真もたくさん。タルホの映画に関してのエッセイも盛り沢山だが、基本的には1920年〜1960年くらいの映画の話なのと、エッセイの映画にまつわる部分の一部抜粋なので、全体を通して読まないことには難あり。ただでさえタルホなので、非常に読みづらいことこの上ない。

タルホは映画に関して言えば、エッセイである『東洋の幻想』において、いくつか気に入りの作品を書いている。

タルホ自体は、幾つかの映画化作品を作ろうと画策していて、無論、彼にそのような友人も知遇もないためそれはただの夢想でしか過ぎなかったが、例えば巨大な弥勒菩薩が最後に登場する作品など、構想めいたものを書き飛ばしている。
だからこそ、谷崎潤一郎のように、実際に映画作りに乗り出した人間などはある種尊敬と嫉妬と羨望があったであろうが、タルホには所詮大谷崎と言えども箱屋であり、伽藍堂の御殿、書割の御殿を書くだけの存在にしか捉えていないからこそ(逆説的にタルホは三島、谷崎に関しては悪口を言いながらもかなり意識していたように思われる)、谷崎が作るような映画に関しては興味がなかったように思われる。
谷崎は大正期にまじで映画会社に深く関係していため、そっちの道にいく可能性もちょっびっとあったのである。
映画作りというのは、文学系、オタク系男子にはいつの時代でも憧れである。

そういえば、マーティン・スコセッシ監督の2011年公開の映画、『ヒューゴの不思議な発明』は映画作りにまつわる映画で、何故かあの映画は大ヒットしていたのだが、3D映画がヒットしていた時期だったので、それもあるのかもしれない。然し、このポスターを観た人は、少年少女が汽車か何かに乗って冒険する的なファンタジー映画を想起してしまうだろうが、実際にはあの汽車が迫るというフィルムの話であって、ジョルジュ・メリエスの話である。

これが映画の誕生期の話やと誰が思うねん。
重ねて言うが、こんなんファンタジー映画やと思うやろがい!まぁ、ファンタジー要素も多分にあるんだけどね。

タルホは映画に関しても、やはりオブジェめいた、作り物めいたもの、或いは星空が殊更強調された作品を偏愛していて、その中の一つが1924年の『バグダッドの盗賊』であり、彼はこの千夜一夜物語の映画を24歳頃の時に観ているのだろうか、『一千一秒物語』を書いた時期頃になるわけだが、今作でも冒険譚よりもオープニングに語られる白髯の老人と少年の語り合う星空に心奪われたことを語っている(白髯の老人とタルホは書いているが、実際にはそうではないように見えるが……)。
オープニングの導入部で老人から語られる物語はエンディングに同様の構図をもって作品を永遠として閉じ込めるわけだが、タルホはこのボール紙で作った星空に永遠を観ていて、同様のことを戦後間もなく封切られた『肉体と幻想』の予告編の中に見出している。

1924年版の『バクダッドの盗賊』ポスター。1940年版とかもある。


『バグダッドの盗賊』における星空。タルホはこの星空を愛した。

いい時代なもので、こういう遥か彼方の映画の予告編というものもYou Tubeで観ることが可能な時代である。テクストを紐解きながら、その場所、その映像、その肉声、汎ゆる情報でその発掘作業を敢行できる現代は最早サイエンス・ファンタジーの世界に入りつつある。

タルホが指している場面はこの動画『肉体と幻想』予告編の1:57〜2:05のタイトルクレジットが登場するまでだと思われる。

前述した『バクダッドの盗賊』において描かれる星空同様、こちらもボール紙で拵えられた星空に思える。つまり。ボール紙の穴を開けて、そこから光が指す古典的な手法の夜空だが、この作り物の感覚こそがタルホが最も愛する感覚であり、つまりは、人心や情緒といったものが抜け落ちた根源的郷愁、これこそが『一千一秒物語』などに見られる人間不在の世界である。
この人間不在の世界は、所謂世の中の人間至上主義、或いは人間の心の機微こそを最上とした純文学というものに真っ向に対立したものであり、だからこそ稲垣足穂は純文学たり得ているという皮肉にもなっている。

そして、恐ろしいのは、この人心不在、星空に心をときめかせた少年の頃の工作細工のその時間こそが、何よりも郷愁に満ち満ちていて、その郷愁こそがタルホの指摘するように、三島由紀夫が一切持っておらず、本当には持ちたかったものであり、それがあるからこそタルホの作品は永遠性を勝ち得ていることである。

『天体嗜好症』におけるキネオラマ作りに通底する感覚、タルホの感覚においては、映画というものもまた人心の情緒とはかけ離れる必要性がある。そこには星空、或いは幼心の情緒が必要であり、世界の危機もドタバタコメディなら可笑しいが、シリアスになると途端につまらなくなる。

今回はこのへんで。





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