殿山泰司ベスト・エッセイ
今、殿山泰司のエッセイを読んでいる。タイトルは『殿山泰司ベスト・エッセイ』。
私が殿山泰司について初めて識ったのは、『愛のコリーダ』からである。『ラストタンゴ・イン・パリ』かバターを使ったアナルセックスシーンがあって、藝術かポルノかと論争になった。ベルトリッチ監督に騙されたと後年マリア・シュナイダーが告発して、作品も叩かれている。
『愛のコリーダ』は大島渚監督作だが、普通にバンバンセックスをしているため、ポルノか藝術か、と問われるとポルノでもあり、藝術でもある。その中で、殿山泰司は老浮浪者役を演じていて、その一物をスクリーンに見せている。萎びた一物である。それが殿山泰司との初邂逅である。
殿山泰司は三〇〇本以上の映画に出演している。彼はジャズを愛していて、酒を愛していて、女を愛している。まだ思春期の頃から遊郭に通って性病になっている。然し、殿山泰司のエッセイを読んでいると、その底抜けの明ると開けっぴろげな様に安心させられる。彼は自分を飾ることはない。だから、一物を晒せる。
彼は中学三年の頃に淋病を患い、毒を抜くために女郎買いも酒も止めて、ひたすらに太宰治を読んだという。世界に小説家は太宰治しかいないとばかりに太宰治を読み、あまりにも読みすぎたから自分が太宰治じゃないかとすら感じるようになったという。
エッセイには、戦争のこと、映画のこと、ジャズのことを中心に、時折、あまりにも文学的な文章が顔を覗かせることがある。
通過していくヒロシマの、その荒涼たる風景は、真夏であるのに、おれに月世界の冬を思わせた。
この後、彼は戦争に対しての怒りをぶち撒けている。
彼の言葉の中に、子供たち孫たちのためという政治家に対しても怒りをぶちまけるシーンがある。その考え方は間違ってはいないが、そもそも二年先三年先の未来も見通せないのだから、政治家はまず目の前のことをやれというのだ。
役者のエッセイは非常に面白い。私は北野武監督のエッセイは欠かさず読むが、あの人の語りおろしも最高である。映画本に関しては、短い言葉の中に重要なことがポンポンと含まれている。
本稿とは関係ないが、その中で『キッズ・リターン』続編の顛末を語るシーンがあったが、まさに最高の出来で、わずか数行で展開を説明しているのに、これしかないと思わせるのは唸るものがある。
結局続編の『キッズ・リターン』の出来は微妙なものだったが……。あれは1990年代、そして北野ブルーが醸し出す空気感こそが重要なものだったのかもしれない。
さて、殿山泰司の出演している映画を私はそれほど観ていないので、これから鑑賞していこうと考えているが、彼のジャズ好きな面には恐れ入った。相当な通のようで、ジャズの聴き方楽しみ方をわかっているようだ。こういうエッセイが、識らない世界への手引となっていて、私には読むのがやめられない。
私もジャズは好きであるが、『ブルージャイアント』の最新巻で大とは方向性の違うスムース・ジャズを好んでいるので、殿山泰司の好みとも違うのだろう。
『ブルージャイアント』もアニメーション映画になるが、これは英断だろう。というよりも、アニメーションでしか表現できないものだと思う。また、それも映画という密度の濃い媒体、劇場という真空の場所というのが重要なポイントである。
殿山泰司の生涯を、盟友の新藤兼人が映画化している。
竹中直人が殿山泰司を演じているが、どちらの役者も本当に渋い男である。