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吸血鬼は文学

ヴァンパイアは人を魅了してやまない。
それは何故か不明だが、吸血鬼はルーマニアの殺戮大公ブラドが元ネタで、そういえば彼は『シャーマンキング』にも出ていた。
他にも、バートリ・エルジェーベトという、とんでもない女殺人鬼もいる。この人はググったら色々怖い肖像画や、怖い話が読めるので、読んでいただきたい。

先日配信された藤本タツキの新作『さよなら絵梨』は、『ぼくのエリ 200歳の少女』を下敷きにしており、この作品はモザイク問題で一時期話題になった作品である。

『ぼくのエリ』は吸血鬼であるエリと親しくなった主人公が、彼女(彼)を守れるのは僕だけさ、ってな感じでエリとの交友関係に優越感を持つわけだが、しかし、エリを養うには血が必要であり、その血はどこかから(或いは、人をぶっ殺したりして)持ってこなくてはならなくて、以前の主人公と同じ立場であったろうおっさんが出てきて、主人公の哀しい未来を想起させた。なんせエリは200歳の少女なので、老けないわけだ。

『さよなら絵梨』の絵梨もまた、後半自分が吸血鬼で200歳だと話し、それを聞いた大人になった主人公は、明確に映画『ぼくのエリ』の主人公が大人になった姿である。

『ぼくのエリ』は話題になって、『モールス』というタイトルでハリウッドリメイクされた。クロエ・グレース・モレッツちゃんがエリ役である。
この映画の監督がマット・リーブスで、この後に『猿の惑星』のシーザー三部作、そして今年公開の『ザ・バットマン』へとつながっていく、一連のダークな映画、画面づくりが完成していく。マット・リーブスは世界観の醸成、作り込みが極めて巧みであり、『モールス』はオリジナルには及ばないものの、良い映画だった。

そして、『ぼくのエリ』はエリの股間を映すシーンが登場するが、これが児童ポルノに抵触する。これは、まぁ普通にエリに去勢された跡がある、という作品のテーマそのものに触れる重要なシーンだが、それは言葉で説明されるわけではなく、あくまでもその跡を観ることで観客が察するというシロモノなので、まぁ、モザイクのせいで意味不明なシーン、或いはただ卑猥なものを隠すだけのシーン?と勘違いさせてしまう恐れが発生し、それで映画ファンたちの間でなんか色々論争になっていた。

吸血鬼、というのは古来から非常に愛されている架空のキャラクターで、様々な作品に、吸血鬼、或いは吸血の能力を有するキャラクターが登場する。吸血は首筋に歯を立てて、その相手がうら若き乙女であったり、美しい男性であったりするから、非常に耽美に映るのであろう。

押井守いわく、ゾンビものは文芸に成りえないが、吸血鬼(ヴァンパイア)ものは文芸作品になる。これは至言であり、誠にそのとおりだろう。
いや、ゾンビものでも文芸はあるぞ、というお声も遠くで聞こえるが、しかし、ヴァンパイアものの持つ、生まれついての耽美、生まれついてのデカダンには敵わないのである。
吸血鬼ものは、美しい男女が舞台立てに必要不可欠なのである。
それは、十字架に慄く、美しい吸血鬼であったり、或いは、首筋に歯を立てられる、青い血管が透ける病弱な少年少女……。

しかし、日本にはなかなか終わらない吸血鬼討伐ギャグ漫画も存在する。あれは文芸ではないと思うが……初期は良かったのに。



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