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台風と美少年

台風が近づいてきている。

台風といえば思い出すのは相米慎二監督の『台風クラブ』だろうか。相米慎二監督と言えば半ば伝説化しているが、長回しが有名だろう。そして、めちゃくちゃ厳しかったというのも本とかで読んだ。

『台風クラブ』は中学生の思春の爆発を台風という自然現象に表象させて描いている。感情を自然現象に仮託するのは日本人は特に得意としているところだ。俳句も短歌も、そして映画も。
そこに性的要素が介在するのが現実的であり相米的な味なのだろう。


細田守監督が相米慎二の大ファンで、『おおかみこどもの雨と雪』の台風のシーンは『台風クラブ』の影響は大きいだろう。
以前、他の記事で書いたのだが、カーテン越しの告白こそを描きたいシーンだったのではないだろうか。
細田守監督はシナリオはダメだと叩かれていて、特に『バケモノの子』から自分でシナリオを書いているため、確かに破綻しているというか、雑な物語運びである。
然し、そもそもは演出が監督の仕事であり、シナリオは優秀な脚本家が担当するのが自然なのであり、そこをどちらもこなすのが格好良く思えるが、映画という媒体においては2つは異なるヴェクトルであり、どちらも有しているのは確実に独自世界を形成した作家性の強い監督に許された天賦である。

前述のカーテンシーンなど、見せ方が最高に素晴らしく、細田映画の中でも一軍入り間違い無しの名シーンなのである。演出家としての細田監督は最高級の感性の持ち主である。

細田守は『時をかける少女』でバズってしまってから、

①女子高生 
②入道雲
 

というスタジオ地図のキーとも言える要素を必ず作品に打ち込んでいるが、あれは私に言わせれば過ちである。何故ならば、細田作品の女子高生は全く愛らしくなく、本当に可愛いのは少年だからであり、獣たちであるから。

だから、

①美少年
②ケモナー

という要素で映画を作るべきであり、然しそれは『バケモノの子』は脚本を担当したせいで、『未来のミライ』では客観性を失ったため、どちらも傑作には成り得なかった。
美少年の獣幻想を描くことこそが、最高の作品に繋がることになるのに……と私は常に不満を抱いている。

台風が似合うのは美少年である。それも思春期の少年ならば最高だ。


『台風のノルダ』のGalileo Galileiの特別映像に、二人の少年が登場してくる。
私はこれはガリレオガリレイの曲『嵐のあとで』も相まって最高に好きな予告編の一つではあるが、本編は観ていない。いや、観たいな、観に行こうかなと思っていたが、レビューでつまらないと書かれていて、自分の目で確かめるべきなのだが、少し逡巡している間に公開が終わってしまっていたのである。
だが、私の中では既に予告編で『台風のノルダ』は完結しているため、もう観なくても良いかな、という境地である。
何故ならば、愛した異性とは仲良くなるちょっと前くらいが最高の時間だからだ。

二人の少年が仲違いをしている。一人は美少年である。そこに台風が近づいてくる。互いの心のすれ違いが嵐に呼応していく。
うーん、ええなぁ。やっぱりこういう純粋な感情の交差こそが物語の醍醐味やで、と思いながら何度も観ている。
この予告編を観ていると、ちびまる子ちゃんの映画版、『大野君と杉山君』を思い出す。

あれも完全にBL映画でしかないと思うのだが、少年の、それも親友との仲違いからの少し大人になって仲直り、的な話は、神話的な美しさすら感じる。
それは、僅か数年だけの儚い季節に訪れる、特別な時間だからかもしれない。

なーんてことを台風予報を観ながら思った次第。

台風14号はとても強力らしいので、皆様をお気をつけ遊ばせ。

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