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ブレードランナー2049/天使と悪魔

私は『ブレードランナー』と『ブレードランナー2049』が大好きなので、偶にブレラン関連の雑文を書くが、あくまでも自分の為に書いているので赦されたい。
所詮は、暇つぶしであり、作品へのラブレターを書いているだけだ。

『ブレードランナー2049』における、天使とは誰であろうか。
今作には、明確に『天使』と作中で呼ばれる人物がいる。
それは、最新型のレプリカントの女性である、ラヴである。ラヴはその名の通り愛であり、レプリカントの造物主を継ぐものである、ニアンダー・ウォレスの右腕として、彼からは天使と呼ばれる。

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彼女は、自分こそが『ベストワン』、天使だと自覚していて、最上のレプリカントとして神の任務を遂行する。
それは、既に死んだ神であるタイレル博士の遺したレプリカントのアダムとイヴ、ネクサス7型であろうデッカード(人間かもしれないが、些末なことである)とレイチェル、この二人の御子を捜し出すことである。
神は、生殖の秘密を躍起になって探していて、彼女はその秘密を追う。

物語上の天使、デッカードやレプリカントにとっては、主人公であるKこそが天使だろう。彼は運命の導かれるままにデッカードを探し、そして、彼と、その娘とを再会させる。
続編が作られれば、或いは、レプリカントに人権が認められる未来が来るのであれば、Kはまさしく、キリスト教圏などでも度々登場する、歴史的な聖人(セイントであろう)。
雪の中で死に行くKは、『フランダースの犬』よろしく、真の天使が迎えに来る未来のアンドロイドだが、最上の天使と、そう神に呼ばれていた、最上に美しい人であるラヴはどうだろうか。

前作『ブレードランナー』では神に弓引く堕天使ルシファーとしての役割を、ウィリアム・ブレイクの詩を諳んじながら(この時点で、ロイが如何にインテリジェンスな存在かわかる)現れたロイ・バッティは、まさに悪魔である。

ウィリアム・ブレイクはイギリスの偉大な詩人であり画家で、幻想的な神話の世界を多く描いている。その作風に大江健三郎は多大な影響を受けていて、『新しい人よ目覚めよ』なんか、いちいちブレイクのことを持ち出し物語が進行する。

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『ブレードランナー』における敵役のレプリカントは、悪魔から天使へと、明らかに意図的に設定がなされている。
デッカードは、悪魔と戦い、天使に連れて行かれそうになるわけだ。

ラヴは、真面目に任務を遂行しようとする。
彼女は、神(父親)に愛されたい、少女の魂を持つ女性である。
彼女は、作中で何度も人を殺す。特に、二度目の殺人の際、彼女は落涙するが、それは、彼女が汚れてはいても、純潔の魂を持つからであろう。不本意の殺人であるから。ただ、愛されたいがための、殺人である。
ただ、神(父親)に褒められたいのである。

悪魔(ロイ・バッティ)は、反逆こそ人間の本能であり、自由意志への象徴であることを表す存在だが、天使(ラヴ)は、どこまでも従順で、それは逆説的に悪魔のような残酷さ、無慈悲さを表出する。
そして、愛されたいという、承認欲求こそが、天使の存在理由である。

ラヴは、今作の最後、海での戦いで、水死する。それは、Kに渾身の力で首を締められて、溺死させられるわけだが、ここではぎょっとするシーンが現われる。

下記は完全なネタバレ動画である。

意識を失い、目を見開いたまま水中に浮かぶ、ラヴのアップショットで、2カット、合わせれば10秒近い時間、彼女の死に顔が流れる。映画館で観た人は居たたまれない気持ちになっただろう。私はなった。然し、美しいシーンだったのも本当だ。ここで、スローシネマ演出の本領が効いてくる。

この死に様は、まさに、ウィリアム・シェイクスピアの書いた『ハムレット』におけるオフィーリア、それも、ジョン・エヴァレット・ミレーの描いた『オフィーリア』のイメージだろう。

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オフィーリアは作中、狂ってしまって、狂気の淵で、様々な花を兄や王たちに渡すことになるが、。それらの花には、様々な花言葉があり、それがメッセージとなっている。そうして、彼女は最後は川で溺れ死ぬが、天国で天使になっているだろうと、そう言われる。

つまり、ラヴは、死に、本当の天使になっていくのである。
『ブレードランナー』は未来の映画だが、そこには、人間よりも人間らしい、レプリカントが存在する。
だからこそ、彼らもまた、悪魔にも天使にもなれるのである。


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