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恐るべき子どもたち

先日、『第三帝国全史』を購入した。上下巻で合わせて17,000円もする大著である。

それと合わせて、『ヒトラーはなぜ戦争を始めることができたのか』も購入した。

最近はきな臭い世の中で、本書でも指摘されているように、今の世相は第二次大戦前の世界情勢と重なることも多い。どのように権力者が生まれて、どのように戦争に突き進むのか、それは急に起きたわけではなく、ヒトラー台頭もまた第一次大戦の流れの末にドイツの徹底的な敗北と経済の悪化からくる
地獄のような状況から極めて民主的に選ばれている。

それだけではなくそこに至るまでの様々な他国間の関係や歴史、外的内的要因も踏まえて書かれている。
そこに至るまで、というものは、結局、現在も同じような状況下なわけで、
日々の出来事や決断、そういうものが交錯していき、いずれカタストロフィが起こるわけだ。
戦争は突如起きるわけではなく、段階を踏んでいくその果にあるのだ。

第三帝国全史では上巻で1933年〜1939年、下巻で1940年〜1945年を描き、
その13年間の歴史を包括している。このような帝国がわずか80年前に存在していたことが恐ろしいが、それは個人の妄想だけで作られた帝国ではない。

この帝国の歴史を多角的に捉えている本で、何よりも写真が豊富で圧倒される。本の装丁もデザインも素晴らしいものだ。写真も美しいものが多い。美しいからこそ、その異様さが際立つわけだ。
内容はまだ読み進めている途中なのだが、濃厚すぎるので、まぁ時間がかかりそうだ。

第三帝国はそのデザインセンスも後世のものに汎ゆる影響を与えているが、
私が一番興味を抱くのは特に、ヒトラー・ユーゲントである。ヒトラー・ユーゲントはナチ党の青少年団であり、少年少女たちだが、ナチ党の思想を徹底的に叩き込まれて洗脳された子供〜若者である。
彼はその卍の旗を掲げる旗手になることを最高の誉れとしていて、そして肉体を鍛え上げることが重要とされた。知性よりも、肉体にプライオリティが置かれる。

当初はただキャンプしたりだののボーイスカウト的な青少年団だったのに、ヒトラーの側近の26歳のバルドゥール・フォン・シーラッハが指導者になり、最終的には各都市のそういう集団はすべて解体されて、義務として強制的にそこからヒトラー・ユーゲントに入れられることになる。
ヒトラー・ユーゲントは優生主義で、純血主義である。これはまさにスリザリン的である。
1932年に3万5千人ほどだったのが、1933年に200万人になり、1936年に600万人、1939年にはドイツの若者の90%が参加していたのだという。

「ヒトラーが権力を握ったとき、大きな興奮があったのです。すべての教科書、新聞、映画、ラジオがナチスの考え方を流していました。若い人たちがその一部になりたくない、などというのは非常に困難でした。」

『第三帝国全史 上巻』

この本にはヒトラー・ユーゲントに関する記述は少ないが、然し、この本は一つの体系を識る上では欠かせないと思われる。著者の言うように、ヒトラーや第三帝国、ナチス・ドイツの文献は世界中で何十万とあるが、
その中でも全体を包括するため比較的入りやすい本ではないだろうか。

ヒトラー・ユーゲントにおいて、その異常な心理状態を識るための本はいくつも出版されているが、彼らもまた、最終的に戦争の最前線に駆り出されてその幼い命を散らすことになる。

ヒトラー・ユーゲントナイフ、というものがある。ベンズナイフではない。
優良な団員である青少年に渡されていた短剣で、卍の文様が掘られていたりとデザインもなかなかいいのだが、やはりこういうものには好事家が多いので、蒐集家もいるようで、レプリカや贋作が大量に出回っているのだという。

ベンズナイフも高いのだ。でもデザイン使いにくくね?

ドイツといえば、ギムナジウム、萩尾望都的な漫画を思い出す。あれも少年たちの少年愛の話が多いけれども、制服とナチス、制服と少年愛は密接に絡んでいる。

萩尾望都にせよ、竹宮惠子にせよ、どうしてこんなに美しいのだろうか。その根底には『リボンの騎士』のサファイアがいるのだ。

コクトーの『恐るべき子どもたち』、これはフランスではあるけれども、魂は通底している。
少年たちは無垢であり残酷であり美しい。生まれついての恐るべき子供たちだ。
然し、それすらも分別のある大人たちの世界に比べれば可愛いものだ。分別のある大人たちは、分別のない大人の暴走を止めることができない。


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