ブルータルでデリケートな詩人、ダンサー
先日、ブックオフにて発見した熊川哲也の『ドメイン』なる本を220円似て購入。ブックオフではよくタレント本、サブカル本、映画雑誌、攻略本を探す。文学に関しては基本は古書店であり、新古書店はやはりこの辺りが強い。
ドメインは2000年に刊行された本のようで、私は熊川哲也のインタビュー部分に惹かれたのである。
熊川哲也伝説、というのは、私はその世代ではないため詳しくはないが、彼が27歳のときに創設したKバレエカンパニーが生まれたばかりの頃の1999年の頃のツアーみ密着した本で、時代を感じるのと、やはり、27歳で世界のトップと渡り合うにはこれほどの強気が必要なのであろうと思わせる、世間では生意気と言われていたそうな熊川哲也の言葉がここにある。
バレエ、といえば、以前、セルゲイ・ポルーニンの『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』というドキュメンタリー映画を観たのだが、セルゲイ・ポルーニンはウクライナ出身のダンサーで、史上最年少19歳で英国ロイヤル・バレエのプリンシパルになった人である。
この人のアイデンティティは複雑なものがあり、彼はウクライナの南部ヘルソンで生まれて、彼をバレエの道に進ませるために、彼と母親はキーウのバレエ学校へ行き、その学費の為に父はポルトガルに出稼ぎに行き、祖母も働いていた。
子供の夢のために、特にバレエダンサーを目指す少年、という意味では、『リトル・ダンサー』という名作映画があり、今作では炭鉱のストの組合員の筆頭であった頑固の糞親父が、最終的には息子の夢のため、学費のためにスト破りをして、周囲から裏切り者だと罵られるのだが、ここが熱いところだ。このドキュメンタリー映画を観て、この映画も思い出したのだ。
このドキュメンタリー映画は2017年公開なので、まだウクライナ侵攻以前の情勢だ。ヘルソンといえば、2022年の3月にロシアに支配されて、同年11月に一部地域が開放されたが、今年の6月には記憶も新しいと思うが、ドニエプル川の上流のダム破壊の洪水で甚大な被害を受けている。
ヘルソンは歴史的にも、ロシア帝国の一部だったこともあり、複雑な場所であるが、ポルーニンが生まれた時はまだソビエト連邦だったわけで、そのため彼は自分をロシア人だと考えている。彼はロシア、ウクライナ、セルビアの多重国籍者だ。彼は身体中にタトゥーを施しており、中でもウラジミール・プーチンの顔を胸に刻んでいるのは、今の情勢を考えるとなかなかのインパクトがある、あるが、それは侵攻後の外側の人々の所感なのだろう。
本ドキュメンタリー映画の中でも、後半故郷のヘルソンに帰るシーンがあるが、ドニエプル川が美しく流れていて、妙な心地になる。
彼の実人生と繊細な性格、更には様々な自身の出自なども絡んで、破天荒なダンサーとして伝説的な人だが、基本的には天才とは破天荒で、生意気なものである。
この映画において、家族の別離が彼の精神を深く傷つけており、大切な人を愛することはもうない、と語っていたが、彼はその後結婚して子供もいるので、また変わったのであればとても良いことだ。
薬漬け、タトゥー、うつ病、パーティーボーイと、その実本当に欲しかったのは家族の愛という締めくくりの構成はまるでオーソン・ウェルズの『市民ケーン』の薔薇の蕾のようなものであるが、結局、人間とは子供時代をピークとして、そこに帰っていくのである。
さて、私はバレエダンサーが好きである。まぁ、そんなに詳しくはないのだが、然し、肉体を鍛え上げて踊るその様には詩が匂うていると思う。
天才かつ伝説、といえば、誰もが知るワーツラフ・ニジンスキーがいるが、彼はまぁ、同性愛者であり、ロシアバレエ団のバレエ・リュスのボスであるセルゲイ・ディアギレフと恋仲だった。それから、ジョルジュ・ドン。彼は43歳でHIVで亡くなったが、二十世紀バレエ団のモーリス・ベジャールの寵愛を受けていて、彼も同性愛者だった。
それから、セルゲイ・ポルーニンがその再来と謳われていたルドルフ・ヌレエフ。ヌレエフもロシアの天才バレエダンサーだが、彼も同性愛者で53歳でHIVで亡くなったが、このヌレエフがニジンスキーの生涯を演じるという映画が企画されていたが、頓挫した。その映画の監督はルキーノ・ヴィスコンティで、彼もまた、同性愛者である。
この関係性に関しては、それぞれの歴史、個人的なことなど、デリケートなことを芸術にまで昇華させており、大変に興味深く、何よりも、そのヴィスコンティの映画が実現していたら、どれほど美しい映画になっていたのだろうか。
そして、反対にヌレエフ自身が映画になった。レイフ・ファインズが監督をした『ホワイトクロウ 伝説のダンサー』である。
彼らは全員が美しい、全員が詩のような存在である。然し、それはあくまでも舞台の上、作品や書物の上だけであり、内面はそれぞれに様々な葛藤や問題、喜びを抱えている。
そういったものは、踊りからも垣間見えるが、やはり本や映画、様々な媒体に自ら触れないことにはわからないものだ。
様々な踊り手が、新世代の踊り手による再現されて、まるで、踊りという詩そのものが、依代を変えて、永劫に続いているかのようである。
そして、『リトル・ダンサー』の監督スティーブン・ダルドリーもバイセクシャルであることを告白していて、今作でも同性愛の少年の悩みを優しく包んだ、そんな美しい話が描かれていた。
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