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1999年の夏休み

私の中で山田章博は、『フロントミッション3rd』であり、『マーメノイド』である。
私は、ファミ通を貪るように読んでいた。そうして、新発売のゲームソフトの記事で、よく、山田章博の絵を目にしていた。

けれども、妻にとっての山田章博は『十二国記』だという。

ちょうど、これらのゲームが発売された頃、ちょうどその頃は1999年、空からアンゴルモアの大王が降ってくるという、そんな年だった。

私にとり、『1999年の夏休み』とは、ある種黄金時代だったので、そのような恐怖よりも郷愁の方が強いわけだが、山田章博に関しては、それよりも遡ること、80年代の匂いの香る作品が好きだ。
誰だって、中学生時代、というのは、一番気持ちの悪い時期であると同時、一番美しい時間でもある。

金子修介の『1999年の夏休み』、ロケ地での上映とか最高だな〜。いいなぁ。

『十二国記』、と、いえば、以前、あるパーティで、私は小野不由美先生の旦那様の綾辻行人先生にご挨拶させて頂いたことがあるが、その際、妻があまりにも『十二国記』のウルトラなファンだったので、
「私の妻が『十二国記』の大ファンなんです!」
と、失礼極まりないことを言ってしまった。

が、然し、先生は笑顔で「ありがとうございます。伝えておきます。」と仰ってくださり、爾来、大ファンである。

さて、『十二国記』の絵が目に留まった。
いや、正確には、『十二国記』の絵が使われた山田章博の本だ。昨年発売された本である。

山田章博。京都では、ノンバーバル・パフォーマンスでお馴染みの『ギア‐GEAR』のイラストなどを手掛けているが、私はまだ観たことがない。

そんな山田章博の作品の一つで、、私の本棚に収まる、『カフェ・ド・マキニカリス』。

山田章博の描く、なんともシュールな漫画であるが(まぁ全部シュールなんだけど)、これは重要な本である。

この、大正のカフエー的イラストがなんとも好きで、実際、ページを開くと、女給さんがメニューを見せてくれる。様々な物語(それも、どれもが幻想と不条理の匂いに満ち充ちた)がそこには置かれている。

『東方姫氏國たる我國の淑女心得 女子日常作法』という作品は私の好きなタイプの作品で、鈴木みそを思い出す。
鈴木みそは、こういう、説明書漫画、乃至はカタログ式漫画、というのを、よく『あんたっちゃぶる』や『大人のしくみ』で描いていたけれども、こういうのはセンスがいるのである。


然し、山田章博の描く世界は、本当の意味で異世界に思える。それは、中世ヨーロッパ風であろうが、中華風であろうが、和風であろうが、どこまでも、どこまでも無国籍性が漂うからだろうか。
その無国籍な國に憧れるのは、少年少女の特権であって、夢であり、未来なのである。

『夢の博物誌』において、様々な架空の國が登場するが、それらを嘘、だと断じてしまう度に、もうそこに、その國が存在しない、そのようなエピソードがあるが、まさに、まさに、少年少女、或いは、永遠少女、永久少年となった大人たちでも構わない、架空の國、架空の動物、架空の建造物、架空の言葉、それらを、嘘だ、そんなものはない、と言った瞬間に消えてしまう儚いものたちは、常に彼らの中に輝いているのだ。
イマジネーション、という魔術、それは空白の地図であって、今の世界地図などとは比べようもないほどに、色彩に溢れている。
魔術を失うのは容易い。それは、大人になるだけで事足りる。

けれども、その匂いを、魔術を、山田章博の描いた作品は仄かに纏っている。


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