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生きるとは、自分の物語をつくること
人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いている
朝起きて、
顔を洗い、
歯を磨く。
水をいっぱい飲む。
おいしい。ああいい日だなと呟く。
それだけで幸せになる日もあれば、
家のことやら、
仕事のことやらで頭がいっぱいになって、
何をしても上手くいかないような日もある。
人間は、なんてわがままな生き物なのだろうと、よく思ったりするのです。
全てがうまくいくわけじゃないのに、
全てがいくように願い、それを信じていること
それが、全ての不幸の始まりのような気もしているのですが、
本当のところはわかりません。
河合さんと小川さんが、冒頭に紹介した本で語るように、現実で受け入れられないことを受け入れるために物語化することは、よくよくやっているような気がします。
スティーブジョブスのスタンフォード大学での有名なスピーチで、過去の点と点が繋がる瞬間がある、それまで自分の情熱を追い続けろという内容があります。
もし、点と点がつながらなかったら、怖いなあ。
そんなことを大学生の時に考えたものですが、人間は結局どんな点でも、それがかっこよくなくても、どうしようもない繋がりに見えてしまったとしても、人間は結局点をつないで、自分の人生という絵を自分なりに捉えるのでしょう。
点を作ることも、結局は自分でコントロールできることばかりではなく、
点を結ぶことも、偶然できた点を結ぶことにしか過ぎません
そう考えると、いかに毎日が偶然で、奇跡的な出来事(それが毎日のルーチンで退屈に見えたとしても)だと、思わず考えずにはいられません
ありふれた毎日が愛しいと思うのは、
毎日の出来事全てが、偶然の産物で、
それでも、成り立っている奇跡的なバランスに魅せられているからかも知れません。
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