背中にあるのは大きな希望と感謝の心
下の写真は私の通勤リュックです。
通勤用にしてはちょっと派手だし、ちょっとデザインは社会人らしくないかもしれない。
でも、私はどうしてもこのリュックじゃないと仕事をする気になりません。
これは私にとって何もにも代えがたいものだから。
昔の記事に詳しく書いていますが、私が初めて担任したクラスは学校一の問題児クラスでした。手を焼く学生ばかりでほぼノイローゼ、対人恐怖症気味になりました。毎日が憂鬱だし、成績を出さないと上からも言われる、きちんとやらないとというプレッシャーで自分を追い込み、それができない苛立ちが学生にも伝わりと悪循環なクラス。精神的に疲弊しきって、10月の後期でクラス替えが本来はあるはずでしたがこのクラスはそのままの形で行くと決まった時点で担任を降りたクラスでした。のちに担任を交代してもらったベテランの先生にも「あのクラスは大変だったでしょ~」と言われるくらい、私のフォローとして授業に入ってもらっていた現教務主任にも「あのクラスは手ごわい」と言われるくらい、初任の私には耐えられないクラスでした。そのクラスは最初の半年は担任、あとの半年は授業担当という形で1年間携わりました。
卒業式の時、初めてこの学校で深くかかわったクラスということで何か感慨深いものを感じるものの、最初の大変さから「やっと解放される…」という思いで参加していました。
しかし、式のあと、クラスの代表者が私のところに来て「先生、これ…」と渡してくれたのがこのリュックです。クラス全員でお金を出し合って買ってくれたのだとか。
「多分私たちはたいへんな学生でした。でも先生、ありがとうございました。」
先生へプレゼントを渡すのが一般的なベトナム人には普通のことだったのかもしれないけど、疲弊しきっていた私の心には、乾いた砂漠の大地に水がしみこんでいくようにこのプレゼントが心にしみて、うれしかった。
「ありがとう。。。」
自分の器の小ささ、不器用さで彼らを振り回したのかもしれない。本当はちゃんと1年間責任もって彼らと向き合うべきだったのに、途中で放棄したのは私。最後の進路指導をしたのは私じゃなくて後期の担任の先生。プレゼントなんてもらえる立場じゃないのに、それでも「ありがとう」って言ってくれるんだ…。涙が溢れました。
この経験、この感動、無駄にしちゃいけない。
せめてこのリュックのひもが切れてどうにも使えなくなるまではこの仕事頑張ろう、そう思うきっかけになりました。大きくて頑丈なこのリュック、あと何年も使えそうです。 さすがanello。笑
しかし適材適所というか、担任を持ってからのほうが能力を発揮する先生が多いですが、私はこのクラスともう一つを担任をして以来、「船頭に立って舵を切っていくより、クラスのサポートに回りたいな」と思い、今は多数のクラスで先生の御用聞きと学生の愚痴聞きの役をやっています。目指す場所がおかしいけど、「クラス担任knk」より「学校の便利屋knk」になりたいなと。SLAM DUNKで言うなら主将赤木より、副主将のめがね君(小暮)になりたい(ネタが古い)。
ちなみに、このリュックとの出会いを知っている先生たちには今でも時々
「相変わらず先生のカバン大きいね~。これ見ると先生元気なんだなって思いますよ。これを機に変わったしね。」
と言われます。その時は
「はい!いろんな気持ちが入っていますから!これがある限り私はこの仕事やめませんよ!相方です!だから精進するので契約もよろしくお願いします!(笑)」
と答えています。
荷物が多い日も少ない日も、雨の日も風の日も私の背中にはいつもこのリュック。この事情を知らない新しい先生たちはこの会話を不思議そうな顔をして聞いていますが、いいタイミングがあったら話してみてもいいかな。
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