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授業で心がけていること

へっぽこ日本語教師の私にも常々授業で心がけていることがあります。

まずはこの二点。

1. 説明は短く

2.教師の発話量は少なく

これは研修時代に指導教諭から常に言われていたことです。

「留学生にとって日本語は外国語、外国語の説明は長いと訳が分からなくなるから簡潔に」と、

「教師が発言ばかりしていては、学習者のせっかくの発言機会を奪うとになる」

という理由です。

だからなるべくこちらの説明は要点を絞った簡単なものにして、発話量を減らす努力をしています。

教務主任時代の校長を含めベテラン先生の授業をいくつか見学させてもらいましたが、うまい先生であればあるほど説明は簡潔なのに無駄がなくて、学生はどんどん話す。どんどん吸収していく。

正しい言い方がわからないけど、すごく燃費の良い授業。

しかし、これが頭でわかっていてもなかなか難しい。

つい定着が難しい文型の練習となると説明が長くなるし、

それに伴いこちらが話してばかりで学習者のせっかくの日本語で話すチャンスを奪ってしまう。

だからこそ念入りな準備が必要なのですが、準備しすぎてもそれに凝り固まって柔軟性がなくなる。板書も書きすぎるとそれを写すことに一生懸命になってしまって口がまわらない子もいるので、気を使います。

難しい。でも、基本中の基本。

ですが、私にだってできることはある。これもこだわりも一つ。

3.学生の発言は小さなものでも拾う

「うるさい!💢」とこちらが大声を上げなければならないクラスもあれば、「し、静か…」なクラスもあるのですが、どちらにおいても発言は拾う。

それが素朴な質問であろうと全体の理解につながる大切な質問だろうとすべて拾う。

狙ったボケも、天然のボケもすべて拾う。できるものは的確にツッコむ。(←これ大事)

声が大きても小さくても拾う。

最初の二点はなかなか達成できなくても、三つ目に関しては「聞いているよ」という姿勢を見せることさえできれば、学生も「この先生は自分のことも気にかけてくれている」と思ってくれると思うので。

でも、これもまた難しい。まだ全員を拾いきれないときもある。

さらにクラス全体の反応が良くてもテストの出来は最低だったり、反応は薄くてもテストは良かったり、バラバラ。

難しい。

日々、修行です。

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