読書ノート「カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学(著:蔭山宏 中公新書)

カール・シュミットはナチスのイデオローグとして悪名高い政治学者です。しかし同様に悪名高い哲学者ハイデガーと並んで後に再評価が高まった人物でもあります。さらに近年、世界中でポピュリズムのうねりと政治の不安定化が懸念され第二次世界大戦前の状況を彷彿とさせることからシュミットへの注目が高まっているのではないでしょうか。そんな中2020年6月にカール・シュミットの入門書となる新書が刊行されました。

本書の構成はまず最初にシュミットの生涯と思想を軽く概観し、その思想をナチスに積極的に協力するに至った前期と次第にナチスと疎遠になり敗戦を迎えた後の後期に区分しつつ、時系列に沿って主な著作の内容とその時々の時代状況及びシュミット個人の立場を併せて紹介していきます。

そこから読み取れるのはシュミットが極めて機会主義的かつ自己弁護的な人物であるということです。この場合の弁護される自己とはシュミット個人でもありまたドイツ民族でもあります。共通するのは被害者意識の強さであり、思想の底流にドイツ民族は英米仏に嵌めらめたのだからこれにドイツ・ライヒが抵抗するのは当然の権利という認識を持ち、また戦後はナチス政権当時の選択はやむを得ないものだったという自己弁護につながります。これは日本の右派にも共通する心理であり徹底的にドイツ民族にこだわったはずのシュミットの態度に皮肉な普遍性を感じます。

前期シュミットはホッブズに依拠しつつ「自由」と「民主」の緊張関係を暴き出します。万人の万人に対する闘争状態を終わらせるために生み出された国家主権は国家が危機に陥り秩序が失われる「例外状況」においては何者にも拘束されずに「友と敵」の区別を「決断」することによって秩序を回復しなければならない。しかし主権者は単なる暴君ではなく「人民の意思」に基づいてこそ正統性がある。すなわち民主的主権者の決断は自由及び法の支配に優越する。しかしこうした思想は容易に全体主義の擁護に転化するのです。

論理というのは形式的なものであり共通の前提を持たない論理が衝突しても単なる水掛け論に終わります。他方、シュミットの凄みはいったん英米仏が依拠する主権国家と条約システムの法理を是認した上でその根本に遡り、内部矛盾を暴き出して突き崩す論法にあります。この論法は共通前提から出発するが故にリベラルな陣営からも一概に否定できないものがあるのです。

しかし問題の解決を主権者の実存的契機ともいえる「決断」に委ねるならこの本の筆者が指摘するように「機会原因論(規範や因果性を否定する思考)」を批判しながら自らも機会原因論に飲み込まれる点でシュミット自身も矛盾しています。これがナチス擁護という誤りを犯した根本原因でしょう。

後期シュミットは主権者の実存的決断に代わり法の始源として「ノモス」という概念を持ち出します。かなり分かりにくい概念ですが民族が土地を取得しこれを内的に分配することころに起因するようであり、取得原因は無主物先占であっても略奪であっても問われないようです。ノモスが形式化したものが法であり、大陸の土地に起因する法がヨーロッパ公法だということのようです。

ヨーロッパ公法の特徴はヨーロッパの文化的優位(植民地支配)の是認と無差別戦争観にあります。戦争におけるルール(=戦時国際法)を守るのが人道であり戦争自体の善悪は問われません。これは宗教戦争を経て教会(=神の法)から欧州の国民国家が勝ち取った成果でもあります。しかしイギリスが海洋国家として覇を唱えるようになると話が変わってしまいます。海は陸と違い占有、取得、分配ができません。重視されるのは航海の自由であり7つの海を最も自由に航海できる者が覇者になります。

実存的契機である決断主義からノモスへの転換は何となくハイデガーの転回を想起させます。ある種の天才達がドイツの時代精神の変化を敏感に読み取ったということでしょうか。いずれにせよ海という空間に支配された法は変質します。海の覇権は自由の普遍化を志向し再び戦争の善悪が問われます。これに空という空間が加わりアメリカに覇権が移りつつ、その傾向はますます加速しヨーロッパの特権は失われます。技術進歩に伴う空間利用と覇権の変遷を国際法の歴史的展開に結びつける論法にはなかなかの説得力があります。

二度の世界大戦においてドイツは事後法により加害者として裁かれる立場になりました。戦争犯罪だの普遍的な人道の法などは覇権国の自己都合にすぎないとシュミットは言いたいのかもしれません。しかし戦争の違法化や戦争犯罪の追及といった国際法の発展は二度の世界大戦においてドイツ(第二次大戦においてはその同盟国であった日本も)が引き起こした惨禍の凄まじさと二度とこれを繰り返してはならないという反省から生まれたものです。

シュミットが公法学者としてのキャリアを出発した頃のドイツで主流だった法実証主義は法の根源を問うことなく形式的な法治のみを重視してしまう点で問題があったとは思いますが法の支配を否定することでは問題は解決しません。私は法の支配の根源とは他者の尊厳と権利を是認し、尊重することだと思っています。自己弁護と自民族弁護に終始したシュミットに欠けているのはこの視点ではないでしょうか。

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