見出し画像

読書ノート「すごい物理学講義」(著:カルロ・ロヴェッリ 河出文庫)

1.はじめに

本書は「ループ量子重力理論」の一般向け解説書です。ループ量子重力理論とは一般相対性理論と量子力学の統合を試みる未完成の理論で日本で比較的有名な「超ひも理論」とは別系統の理論です。2017年邦訳出版で2019年12月に文庫化されました。私が購入したのは2020年3月の第6版なのでこの手の本としてはかなり売れているのではないでしょうか。

本書では古代ギリシアの哲学者やダンテの引用が多用されておりヨーロッパ的教養を感じさせるとともに数式に先立つ直感的理解を重視する著者の姿勢が随所に感じられます。このようなスタイルが数式が苦手な一般人にも受け入れられているのでしょう。

本書は「世界は何からできているか」という視点から物理学の歴史を振り返りつつループ量子重力理論へ至る構成となっています。

2.デモクリトス

古代ギリシアの原子論者デモクリトスは万物は原子で出来ており原子と空間だけが存在すると説きました。原子は寸法を持った「粒」であり大きさのない点ではありません。著者は、デモクリトスの原子論は同じく古代ギリシアの哲学者ゼノンが唱えたアキレスと亀のパラドックスに対する答えとしてたてられたと考えているようです。

ゼノンの説では俊足の走者アキレスは前を進む亀に永遠に追いつけないと言います。亀がある時刻にいる場所にアキレスが到達した時、亀は少しは前に進んでいるとします。次にその時点で亀がいた場所までアキレスが移動します。しかしその場所に到達した時、やはり亀は少しは前に進んでいます。これを永遠に繰り返してもアキレスは亀に追いつけないというのです。

現代数学を学べば亀に追いつくまでの時間と距離を無限に分割したとしても、そうして作られた無限の合計は有限な時間と距離のままであると分かりますが、当時はかなりの難問であったようでデモクリトスはパラドックスを避けるためにそれ以上分割できない「粒」を考えたというのです。

デモクリトスの著作は全て失われていますが古代ローマ時代の唯物論者ルクレティウスが残した詩から間接的にデモクリトスの思想が伺えます。それによると空中の塵が浮遊する様子を観察し、これを空気の原子が塵に衝突して起こる現象とみていたようです。著作はデモクリトスは理屈の上だけで原子論を唱えていたわけではなく観察を重視しておりブラウン運動の原理まで発見していたとみています。

3.ニュートンとファラデー

時は下ってコペルニクスが地動説を唱えた後、ケプラーが地動説の数学を完成させました。天体の運動を記述するケプラーの数式を検討したニュートンは天体の周期運動は軌道の中心への加速だと気づきました。その加速度を計算すると、先行してガリレオ・ガリレイが実測した地上における落体の加速度(1秒あたり9.8m/sの加速度)と一致しました。天体だけなくあらゆる物体が同じ加速度で互いに引き合っているのです。こうして重力が発見されました。

他方、自然界で物体を押したり引いたりする力は重力だけではありません。例えば磁石や静電気などです。ニュートンは重力を離れた物体に直接はたらく遠隔力と捉えていましたがファラデーは電気や磁気を帯びた物体の間の空間に力を運ぶ力線が張り巡らされていると考えました。例えば二つの磁石の間には無数の磁力線が存在しているのです。(小学校のとき砂鉄を使って磁力線を見える化する実験をしたことがある人もいるでしょう。)

無数の力線のような物体間に働く力を伝えるものを「場」と呼び、現代物理学においては「場」も物理的存在として扱われます。

マクスウェルはファラデーの「場」のアイデアを数学として整理し、マクスウェル方程式と呼ばれる方程式にまとめました。この方程式によると電気と磁気の力線は振動し、空間の中を振動が伝わることが分かりました。その伝播の速度を計算すると当時すでに知られていた光の速さと一致しました。光は電場と磁場のゆらぎだったのです。

「場」は目に見えない何かではなく、むしろ人間の目は「場」の振動しか感知していないのです。目に映る光の強さと振動数から物体の形や色を感じ取っているのですから実際に目が見ているのは「場」だけだともいえます。【本文から図を引用】

画像1

4.アインシュタイン

マクスウェル方程式によると光の速度は一定になります。他方、ニュートン力学では速度とは何かに対する速度であって物体自体には固有の速度というものありません。地球が自転していても自転の速度を感じないのは私たちも地表と一緒に回転しているからです。光が常に一定の速度であるという事実はニュートン力学では説明がつかないのです。

ここでアインシュタインが登場します。光が一定の速度になっているのであれば離れた場所の間には現在でも未来でもない時間が存在すると見抜きました。そうした時間は速度によって変化します。時間と空間が結び付けられ時空間とされました。物体間の速度に応じて時間も相対的に変化することで光速は一定を保ちます。アインシュタインは時空だけでなくエネルギーと質量も結びつけました。有名なE=MC²です。

時空間を結びつけた特殊相対性理論では重力が扱えていなかったのでアインシュタインは重力を電磁場と同様の「場」によって伝わるものとして扱える理論について研究を進めました。若くして特殊相対性理論を編み出した天才もこれには苦労し、10年の歳月をかけて一般相対性理論を完成させました。

原子論によれば原子は何もない空間の中を運動しています。しかし何もない空間とは何なのでしょうか。ニュートンにとっても空間が何であるかは謎のままとなっていました。

一般相対性理論によれば「重力場」が空間であるとされます。質量を持つ物体があると重力場は歪みます。つまり時空が曲がるということです。電磁場の振動である光が目に映る実体だったように、重力場である空間は空っぽの虚無ではなく曲がったり振動したりする実体だったのです。【本文から図を引用】

画像2

物体が落下するのも惑星が太陽の周りを回るのも時空が曲がってるからなのです。曲がった時空の中を直進するとそのような運動になります。では曲がった時空とは何でしょうか。リーマンという数学者が「リーマン曲率」という要素によっていかなる次元でも空間の屈曲を表すことができるという理論を完成させていました。アインシュタインは時空の曲率がその場所にある物質のエネルギーに比例することを見出しました。相対性理論ではエネルギーと質量は結びついていますから質量が大きいと重力の効果である曲率が大きくなります。

曲率がゼロのとき時空は平らですがゼロでないときは曲がります。四次元の時空はイメージしずらいので地球を例に取ります。球面は平らでないので曲がっています。飛行機でまっすぐ飛んだルートを地球を平面で表したメルカトル図法の地図に書き込むと曲線になります。曲がった時空を直進すると曲線になるのです。質量を持つ物体があると時空は物体を底にした漏斗のようなイメージで曲がるそうです。重力は空間を曲げているのですが運動を曲げたのと同じ結果になります。

一般相対性理論は水星の近日点、ブラックホール、重力波など多くの予見を的中させており「重力場と時空間が同じものである」という理論の正しさを裏付けます。空間は実体を備えており、空間の物理はアインシュタインの手によりシンプルな方程式に姿をあらわしたのです。

ここで三次元球面の解説が出てきます。先ほどは曲がった空間について地球で例え話をしました。球面は2枚の同じ大きさの円盤を縁で貼り合わせ円盤を曲げてやれば作れます。貼り合わされた縁が赤道になります。球面上のどの点からでも出発して直進するといずれ元の地点に帰ってきます。曲がった円盤として球面は張り合わせた一方の円盤がもう一方の円盤に取り巻かれ、互いに取り巻き合う構造になっているのです。

ここで球体を2つ張り合わせることを考えます。この場合はそれらの球体の球面が先ほどの円盤の縁に当たりますので二つの球面の各点を一対一になるように張り合わせて四次元空間の中で曲げれば「三次元球面」になります。

ここで大事なポイントは閉じた空間である球面は空間の曲がりを考えると必ずしもより高次元の空間の中で曲がっている必要はないのです。曲率は面の内部で測定できるからです。

再び地球の例に戻り、北極から出発するとします。矢印を手に持って南の方向に固定したまま赤道まで進みます。ここで矢印の方向を固定したまま赤道に沿って東へ進みます。そして矢印の方向を南に固定したまま北極に戻ります。するとしっかり固定したはずの矢印の向きが出発時と到着時では赤道を進んだ分だけ回転していることが分かります。この回転の角度をもとに曲率を測定できるのです。

このように三次元空間を前提としなくても球面自体の曲がりを考えれば曲がった面を定義できます。これは三次元球面と四次元空間の関係にもあてはめられます。宇宙が閉じた三次元球面ならば「宇宙の外」について考える必要がなくなるのです。

重力場が時空であるとすると重力は引き合う力しかないためいずれ時空が収縮して潰れてしまいます。そうならないためには宇宙空間自体が膨張している必要があります。アインシュタイン自身はこうした結論をなかなか受け入れられず宇宙の膨張を必要としない理論を構築しようと努力を重ねたようですが天文学的観測により宇宙が実際に膨張しているという事実が確認されてアインシュタインの最初の洞察が正しかったことが実証されました。現在の宇宙論では約140億年前のビッグバンで宇宙が始まり、膨張し続けているとされています。

なお何が宇宙を膨張させているかは現在においても定説はないようです。

5.量子力学

一人の天才が構築した相対性理論とは異なり、量子力学は様々な実験結果を説明するために多数の研究者によって少しづつ発展してきました。電場の研究をしていたプランクは実験結果から電場のエネルギーが「量子」の中に分布していると仮定しました。量子とはひとまず小さな箱のようなものとされます。量子の小箱の持つエネルギーはプランク定数と振動数の積で表されます。電場のエネルギーは小箱の単位でしか変化しません。プランクは実験結果と整合する計算上の細工として量子を仮定しただけなので量子が何であるかは全く分かりませんでした。

ここでもアインシュタインが登場します。アインシュタインは「光電効果」を説明するため光が本当に「粒」であるとしました。光電効果とは物体に光を当てると微弱な電流が流れる現象です。電力を伝える電場の振動が光であることが分かっているので光電効果が起こること自体は不思議ではないです。量子以前の常識的考えでは光電効果が起きるかどうかは光のエネルギーの強さによって決まりそうなものですが実際には光の振動数の高さによって決まります。

そこでアインシュタインは光が物体に当たるとき実際に粒として当たっていると考えました。1粒の持つエネルギーは先ほどのプランクの式により振動数に比例するので振動数が高いほど1粒のエネルギーが大きくなります。光電効果は光の粒が原子から電子を弾き出す効果だとするとこのようなミクロの世界のレベルでは粒の総数は関係なくて1粒の大きさが決め手になると考えられます。

光の粒を光子と呼びます。光は電場と磁場の振動の伝播であり電磁波と呼ばれる波ですが同時に光子という粒でもあるのです。

ここでまた別の話が出てきます。光の色とは電磁波の振動数ですが元素から出る光を分析すると元素ごとに固有の数種類の振動数しか含まないことが知られており「スペクトル」と呼びます。元素が固有のスペクトルを持つ理由も量子以前の考えではよく分からなかったのですが、ボーアは原子の中の電子が量子化された特定の値を取るのであればうまく説明できると気づきました。原子は原子核と特別の距離を取る時だけ原子の中に存在できます。電子が存在できる軌道が限られているということです。電子の持つエネルギーが変化すると電子は別の軌道に飛び移ります。これを「量子跳躍」といいます。跳躍先のエネルギーの値も決まっているので放出する光の振動数も一定になります。

量子跳躍とは何を意味するのでしょうか。ハイゼンベルクは電子がある軌道から別の軌道に飛び移る間は本当の意味でどこにも存在していないと考えました。量子は別の存在と相互作用しているときだけ姿を表すのです。量子の考え方の基礎となる「相関性」です。ハイゼンベルクは量子のあらゆる瞬間における運動ではなく量子が別の何かと相関した特定の瞬間の状態を計算する理論を組み立てました。それは電子が起こしうる相互作用の一覧を行列という数学にまとめたものでした。

ハイゼンベルクの研究をさらに推し進めたのがディラックです。ディラックによれば量子の位置だけでなく速度や角運動量など量子の運動状態の変数は他の物体と衝突した時だけ発生します。次の衝突までの間の変数の値は特定できません。また衝突する場合、変数は限られた特定の値をとります。変数の取りうる値の総体を「変数のスペクトル」と呼びます。ディラックの理論は次の衝突でスペクトルのどの値が生じるかの「確率」だけが計算できます。これを量子の「不確定性」といいます。

ディラックは自分の方程式が「場」にも適用できることに気づきました。プランクやアインシュタインの考えたことがディラック方程式でも確認されます。電磁場が量子になると光子になります。場が量子となったものが粒子なのです。ディラックは電子などの素粒子ついても電磁場のような場の方程式を作り上げました。これを「場の量子論」といいます。場の量子論は重力を除くあらゆる事象を取り込んだ素粒子の標準模型を発展させました。標準模型の完成までに多くの研究者が寄与しました。【本文から図を引用】

画像3

6.量子力学 まとめ

量子の「粒性」は変数の取りうる値の幅が有限であることを示す。これはプランク定数によって制限される。したがって状態が不確定なときに私たちが持っていない情報も有限である。

量子はなにかと衝突した時だけ特定の場所に姿をあらわす。いつどこに現れるかを確実に予見する方法はない(不確定性)。計算できるのは確率だけである。未来は過去から一意に導き出されるのではなく厳格な規則に従うように見える事柄も統計的な結果に過ぎない。

量子論は事物が「どのようであるか」ではなく「どのように起こり、どのように影響を与え合うか」を描写する。事物が関係を選び取るのではなく、関係が事物に根拠を与えている。量子力学は過程と過程の関係である事象のみを描く。自然界の全ての事象は相互作用であり、ある系における全事象は別の系との関係のもとに発生する。(相関性)

著者がここで示した量子力学の解釈は「関係解釈」の名で呼ばれ、著者にとって不合理の度合いが最も低い解釈であるそうです。しかし現時点では量子力学をどう解釈すべきかについて物理学者にも哲学者にもはっきりとしたコンセンサスはありません。著者はこじつけの解釈を考えるのではなく理論を真摯に受け止め、私たちの直感を制限しているものは何なのかを問わなければならないといいます。

7.量子的時空間

場の量子論と一般相対性理論には矛盾がありますが、今のところどちらも問題なく機能しています。それは扱う事象のスケールが違いすぎるからです。原子のような軽い存在を扱う限り重力は無視できます。しかしブラックホールの内部の様子やビッグバンの瞬間に何が起きていたかを考える場合、統一された理論が必要となります。「量子重力」を考えるには時空間の量子化が必要です。

旧ソ連の物理学者マトヴェイは電磁場のような形で重力場を量子化しようとすると空間の一点では重力場を記述できないことを発見しました。空間の一点を観測するためには粒子を一点にとどめ続けなければなりませんが不確定性原理によると粒子を狭い領域に留めようとすればするほどその場から逃げ去ろうとする速度が大きくなります。速度が大きいということはエネルギーが大きいということなので粒子を一点に留めると一般相対性理論により空間の一点がブラックホール化してしまいます。

逆に言えば量子力学を考慮すると観察できる空間の領域の大きさに制限があるということであり「空間の分割には限りがある」のです。最小の領域を決める長さは計算できて「プランク長」と呼ばれます。プランク長より小さい領域ではいかなる物理現象も観察できません。プランク長はプランク定数と重力定数の積を光速の3乗で割って平方根をとった形をしているので非常に小さい値です。

「量子化された空間」を扱う理論には多くの研究者が挑戦していますがまだ途上にあります。その中で、ブラックホールの名付け親でもあるホイーラーと同僚のド・ウィットは屈曲した空間が観察される確率を計算できる方程式を考案しました。この方程式は意味のない解が出てくる欠陥のあるものでしたが最大の問題は時間を変数に含まないことでした。時間を含まない物理学理論が何を意味するのか誰もよく分からなかったのです。

ホイーラー=ド・ウィット方程式の研究が進むと空間の中の閉じた輪(ループ)を対象にすると解を求めることができると分かってきました。これが「ループ量子重力理論」に発展していきます。 

8.空間の量子

ループは重力場の力線と考えられます。電磁場と異なるのはループ同士がリンク(節)によって繋がりグラフと呼ばれる構造をなしているところです。

重力場の変数として体積を考えます。ループ量子重力理論の研究者たちは大変な時間と労力を費やし、ディラックの方法を利用して体積のスペクトルを計算したそうです。その結果、離散的な体積のスペクトルが得られました。グラフのリンク1つ1つが離散的な体積を持つとするとリンクは空間の量子となります。

リンクが1つの小さな領域とすると隣り合ったリンクとリンクの間は小さな表面で隔てられていると考えられます。この表面には面積があります。面積もまた物理量であり離散的なスペクトルを持ちます。

体積と面積のスペクトルに出でこない体積や面積というものはありません。ループ量子重力理論における体積や面積の測定は粒を数え上げる行為になります。私たちに空間が連続的なものに見えるのは空間の量子のスケールが極めて小さいからであり私たちが測定する体積や面積も多数のリンクから形成されているのです。

ループ量子重力理論は一般相対性理論にディラックの方程式を適用したものであり空間を量子化します。著者はゼノンのパラドックスに対して空間を無限に分割できないと考えた古代の哲学者デモクリトスの直観は正しかったといいます。

空間の量子的状態を記述するグラフはリンクに割り当てられた体積とリンクを結ぶ線に割り当てられた半整数によって性質が決まります。これを「スピンネットワーク」と呼ぶそうです。スピンネットワークはそれ自体が空間であり空間の中にあるわけではないので、リンクは位置を持ちません。リンクはどのリンクと隣あっているかというリンク同士の関係性によって所在を特定されます。

スピンネットワークでは、あるリンクから出発して幾つかのリンクをつたって元のリンクに戻ってくることができます。リンクをつたったループを描けるので先に説明した球面の曲率を測る方法と同じようにしてループの曲率を測ることができます。曲率が分かれば重力場の大きさが分かります。

スピンネットワークは空間の粒性を表すものですが空間そのものではありません。量子には不確定性と相関性があります。空間は可能性として考えられるスピンネットワークの確率の雲であり量子が相互作用するなかで個別の粒が現れてくるのです。

9.時間は存在しない

ループ量子重力理論のもとになったホイーラー=ド・ウィットの方程式は時間を変数に含んでいませんでした。時間が存在しないというのは変化が存在しないと言う意味ではありません。共通の時間がないということはそれぞれの量子が固有のリズムで変化しているということです。

時間をあらわす物理変数「t」はある物理変量(位置など)を測定したとき、それが時間の中でどう変化するかを表します。運動をあらわす物理法則は時間の関数として表されます。例えばガリレオ・ガリレイは落体の位置の変化を【x(t)=(1/2)at²】という数式に表しました。

時間を正確に測るための振り子時計もガリレイの発明と言われます。伝承ではガリレイは天井から吊り下げられて揺れている燭台を脈を測りながら観察して振り子の等時性を発見したことになっています。しかし別の伝承では当時の医師たちが脈拍が一定であることを知った方法は振り子と比較することだったらしいのです。これは一体どういうことでしょうか。

それぞれの伝承の正確さはさておき、実は時間を測るというのは時間を直接測っているのではなくある物理変量を別の変量と比べているのです。万物を支配する時間「t」は直接観測されるものではなく仮定の上の存在なのです。

ニュートンは自著の中で次のように述べているそうです。『私たちには真の時間「t」を計測することはできない。しかし、それが存在すると「仮定」すれば、自然を理解し描写するにあたって、きわめて有効な図式を組み立てられる可能性がある。』

量子重力理論において「時間は存在しない」というのは、ニュートンの図式はきわめて小さな事物を相手にするときは機能しないということなのです。量子の世界は時間「t」の中で展開する方程式では記述できないのです。

ではどうするかというと本当に観察している変量だけを対象にして変量の関係性を記述しなければならないのです。「時間のない物理学」とは、ガリレイの伝承を例にすれば時間を用いずに燭台と脈拍の関係性を記述するものです。量子重力理論によって記述される世界には世界を収容する空間も事象の発生を順序づける時間も存在しないのです。

ではどうやって変化の過程を記述するのでしょうか。本書ではビリヤード台の比喩を使って説明されます。ビリヤード台の上で2個の球が衝突するとします。空間が存在しないのでビリヤード台も過程に組み込んで、ビリヤード台の上で球が近づいて衝突しまた離れる過程を登場する3者の関係で起こった順序に積み重ねると時空間の小箱が構成できます。時間は構成された過程そのものです。この過程は時空間の中にあるのではなく、過程が時空間を「含みこんでいる」のです。

10.スピンフォーム

ハイゼンベルクの行列力学は過程の中で何が起こったかを教えてくれくるものではなく過程の終わりがどうなるかの確率を与えるものでした。確率の計算方法としてファインマンの「経路総和」の考え方があります。過程の中で起こりうる全ての経路の確率の総和が過程の末端の状態の確率になります。

量子重力理論においても時空の小箱の中で何が起こったかではなく、小箱の始まりの状態から終わりの状態の確率を求めます。その方法は経路総和と同じだそうです。

ループ量子重力理論では空間を形作る量子のリンクは不変ではなく結び目が開いて2つ以上の結び目になったり2つ以上の結び目が合流して1つになったりします。こうしたリンクの変化の様子は時空の小箱の中では線として描けます。そうするとリンクを結ぶ線は面となり、リンクの結びつきの変化に応じて石鹸の泡のような構造を生み出します。リンクを結ぶ線は半整数が割り当てられるスピンでした。時空間はスピンネットワークの結びつきの変化が生み出すスピンの泡(スピンフォーム)なのです。小箱の末端の確率を知るためには生じうる全てのスピンの泡の確率を足し合わせます。

著者は場の量子論の中でうまく機能している2つの理論、量子電磁力学と量子色力学が量子重力理論によって1つになる可能性があるといいます。量子電磁力学の計算に用いられる「ファインマン・ダイアグラム」は互いに影響を与える2つの場の量子について粒子の分裂と合流の過程を記述したものですがスピンフォームをファインマン・ダイアグラムとみなせるといいます。それはどちらも量子の歴史を表すものだからです。量子色力学の計算には空間を近似的に格子として捉える「格子ゲージ理論」を用います。しかし量子重力理論からみれば格子は近似ではなくスピンフォームそのものとなります。著者は研究中の方程式も提示していますが、正直言って私にはそれが正しいものなのか全く分かりません。

量子の場は時空間の中に存在しているのではなく他の量子の場にもたれかかって存在してします。場の支持体としての時空間は必要ありません。時空間も場によって生み出されているのです。こうした場を「共変的量子場」と呼びます。世界は何からできているかという問いはついに1つの答えにたどり着きました。著者はこれを古代ギリシアの自然哲学者アナクシマンドロスが万物の根源とした「アペイロン」になぞらえます。

11.ループ量子重力理論の見通し

宇宙は約140億年前にビッグバンで始まったといいます。時間を遡って宇宙がまだ小さかった頃を考えると、宇宙がプランク長より小さくなると一般相対性理論は適用できなくなります。 

古典力学では原子核に近づきすぎた電子は原子核に落ちてしまいますが、量子力学では量子は一か所にとどまることができないため原子核に近づきすぎた電子は別の場所に逃げ去ってしまうので原子核の周りの一定の軌道にしかとどまれません。一般相対性理論ではビッグバンに遡り宇宙が小さくなりすぎると自重で潰れてしまいます。しかし量子力学では宇宙が無限に小さくなることはできません。著者は、量子を一点に留めようとすればより大きな速度で逃げ去るので宇宙の収縮が進むと「反発力」が働いて膨張に転ずるのではないかと言います。ビッグバンの前にあった宇宙が収縮して反発する、著者はこれを「ビッグバウンス」と呼んでいます。ループ量子重力理論で宇宙が収縮から膨張に移行する過程の確率を計算しようと取り組んでいるそうです。

科学理論には実験による裏付けが必要です。著者は観察による証拠を持たない理論は審査に合格していないと言います。他方、新しい実験がなければ前へ進めないというわけではありません。ニュートン力学はケプラーの法則とガリレオの観察結果だけを材料にして作られました。アインシュタインもまた既存の理論を材料に一般相対性理論を構築しました。量子重力理論は一般相対性理論と量子力学だけを材料にして未知の領域に目を向けようとしています。発見された理論が本当に優れた理論かを判断するためには証拠が必要ですが量子重力理論はまだ審査に合格していません。

著者の見立てでは自然は量子重力理論に好意的に見えるそうです。1つはLHCが超対称性粒子を発見できないでいること、もう1つはヒッグス粒子の発見など標準模型の正しさを示す証拠が出ていることです。著者は、自然は私たちに「新たな場や、奇妙な粒子や、追加の次元や、別の対称性や、並行宇宙や、ひもやその他いろいろな事柄を夢見ることはやめなさい。」「一般相対性理論、量子力学、標準模型。肝心なのはこれらを正しい仕方で結びつけること《だけ》です。」と語りかけているようだと言います。

とはいえこれらのことは「兆候」に過ぎず「証拠」ではありません。ループ量子重力理論を支持する研究者は宇宙背景放射のゆらぎの統計分布からビッグバウンスの痕跡を探そうとしているそうです。また重力波の背景放射が観測できれば新たな証拠が得られるのではないかと期待しているそうです。

またスティーブン・ホーキングがブラックホールが理論的に「熱い」ことから「蒸発」することを発見しましたが、熱力学では熱とは原子の振動です。ブラックホールが「熱い」として何が振動しているのでしょうか。著者は、ループ量子重力理論ではブラックホールの熱は空間の原子の振動として解釈できると言います。ブラックホールの地平線は振動してるのです。地平線はブラックホールの外側との相関性を示します。量子の不確定性は地平線の内と外にまたがって存在しておりこれが振動の原因になると言います。ビアンキというイタリア人物理学者は、この振動の確率を表すループ量子重力理論の方程式からホーキングの方程式を引き出せることを示したそうです。

一般相対性理論ではブラックホールに落ちた物体は無限に圧縮されます。しかしループ量子重力理論では密度に一定の限界があり限界を超えるとビッグバウンスと同様の反発力が働くと言います。ブラックホールの内部は時間の進行が遅れるので反発の過程は私たちから見ると数十億年続く可能性がありますが、いずれブラックホールは爆発すると予想します。もしブラックホールの爆発が観測されれば理論の正しさが劇的に裏付けられると期待しています。

さらに著者は、一般相対性理論における特異点や場の量子論における計算の発散の問題は空間を無限に分割することに起因するためループ量子重力理論を前提にすれば解消できるし、このような関係にあることで一般相対性理論や場の量子論とループ量子重力理論が理論の信頼性を補強し合うことができるとみています。著者は指数的手法で浜辺の砂浜を数えた古代ギリシアの哲学者アルキメデスの逸話になぞらえてループ量子重力理論は無限と思われたものを有限として数え上げるといい、神秘に屈しない人間の知の歩みの系列に位置付けます。

12.情報

シャノンの情報理論では、情報とは「起こりうる選択肢の数を計測したもの」です。選択肢の数を数える場合は2を底とした対数で表す方が便利です。これば「ビット」と呼ばれます。例えば独立の選択肢が増える場合を考え、ルーレットを例に取ります。赤か黒かだけを当てるなら情報は1ビットです。これに加えて奇数か偶数かを当てるなら2ビット、さらに18以下かどうかを加えれば3ビットになります。2人の人がいて白か黒かのビー玉を持っているとします。色が独立に決まるなら選択肢は2×2=4ですが何らかの理由で2人が必ず同じ色を持つ場合は情報は1ビット減ります。同じ情報を持つということで「通信」を表せます。

デモクリトスの原子論に対し、プラトンとアリストテレスは「形」が欠けていると批判しました。馬が馬であるとき馬を構成する原子自体は重要ではなく馬の「馬性」とでも呼ぶべきものが必要と考え、それをプラトンはイデアと呼び、アリストテレスは形相と呼びました。形相は材料としての実体に加えられるものであり実体に還元されないとされます。例えば石を彫って像を造ったとき、像は石に加えられたものであり石に還元されません。

しかしデモクリトス自身は「原子の組み合わさる仕方」が重要と言っていたそうです。アルファベットは有限な個数しかないが組み合わせると文章になるという比喩で説明していました。

しかし原子のアルファベットを誰が読むのでしょうか。ポイントは原子の配置は必ず他の原子の配置と相関していることです。情報理論の観点から原子同士が情報を通信しているとみなせます。衝突する原子の網は相関性を通じて情報をやり取りする物理系の網なのです。

統計力学の創始者ボルツマンは、熱の正体は分子の運動だとしました。熱い紅茶が冷めるのは「熱い紅茶と冷たい空気」に一致する分子の並び方の総数が「冷たい紅茶と少しだけ温められた空気」に一致する分子の並び方の総数より多いからです。情報理論に翻訳すると「冷たい紅茶と少しだけ温められた空気」に含まれる情報が「熱い紅茶と冷たい空気」に含まれる情報より少ないのです。紅茶がひとりでに温まらないのは情報がひとりでに増えることがないからです。ボルツマンが定式化したエントロピーを表す式はシャノンが定義した情報を表す式と一致するものでした。

量子力学では物理的系を計測することで求められる起こりうる結果の総数は有限です。これは情報は有限であるということです。量子力学における「情報」の意味を考えると物理的な系は別の物理的な系と相互作用したときのみあらわになります。物理的な系の記述は相互作用の片割れとの比較であり、系の描写は「その系が別の系について持っている情報の描写」だと考えられます。

この考えに基づくと量子力学は次のように要約できます。
公理1 あらゆる物理的な系において有意な情報の量は有限である
公理2 あらゆる物理的な系からは常に新しい情報が引き出せる

公理1にある有意な情報とは相互作用の結果、私たちがある系について所有する情報です。これが有限とは「粒性」を表します。公理2は「不確定性」を表します。次の相互作用において予見不可能(一意に決まらないという意味だと思われます。)な事態が発生するから新しい情報が引き出せます。そして新しい情報を得るときは古い情報の一部(実現されなかった事態のことだと思われます。)を「消去」しているのです。ループ量子重力理論の父であるホイーラーは情報の重要な役割に気づいておりこれを「イット・フロム・ビット」と呼んだそうです。

量子重力理論は「過程」を記述します。過程は時空の領域であり系の相互作用である情報のやり取りは過程の末端を通じて行われ、過程の内部は記述されません。系と系のとの相関性は末端をまたぐ形で存在し事物は常に「統計的」な状況にあります。著者は、世界の全体像を理解するには量子力学と一般相対性理論に加え「熱の理論」を加えなければならないと言います。熱の理論とは統計力学であり情報理論でもあります。

既にみたとおり根源的な次元では時間は姿を消します。では私たちが日ごろ経験している「時間」とは何なのでしょうか。同様に根源的な次元で姿を消す概念として「高い」「低い」があります。これは重力源により近いかより遠いかに帰着します。「熱い」「冷たい」も同様です。熱は構成要素(気体の分子など)の平均速度であり「熱い」「冷たい」とは平均値の違いに帰着します。

それでは世界を描写する基礎的な方程式に含まれない「時間の経過」とは何を意味しているのでしょうか。筆者は時間と熱にかかわりがあると言います。時間は不可逆という性質を持ちます。石を落としてみます。多少は跳ねるかもしれませんが結局、地面にとまってしまうでしょう。その後ひとりでに跳ね上がることもありません。では石が落ちている時に持っていたエネルギーはどこに消えたのでしょうか。それは地面を少し温めるために使われたのです。熱が生まれた瞬間に不可逆的な事象が発生します。これが過去と未来を分ける目印だと言います。ロウソクが燃えると煙になりますが煙がロウソクになることはありません。これらは紅茶がひとりでに温まることがないのと同じことです。熱の消費が時間を生み出しているのです。

ボルツマンの統計力学が教えてくれるのは、私たちが相互作用を与えあっている相手は様々な変数の平均値だということです。これは「事物」とは「平均値」であるということです。量子の次元で系を完全に記述する場合は時間は消えてしまいますが、様々な変数の平均値によって系を記述するとその平均値が時間を表すように見えてくるのです。そして熱の発散とともに流れる時間が私たちが日常的に経験している時間なのだと言います。

ある系について「私たちが知っていること」と系の絶対的状態は区別されなければいけないと言います。「私たちが知っていること」は関係性にかかわっており知は主体と客体の双方に存在しているのです。紅茶の温度などについて情報を持っているとか情報が欠けているというとき、精神や心の働きの話をしているわけではありません。紅茶の温度を温度計で測っても私たちは個々の分子の速度に関する情報を持ちえません。私たちは平均値を知るのみであり、平均値とのみ相関関係が成立しているのです。

系と系との相関性としての情報はこの宇宙に偏在しています。現実を語るとき私たちは対象を切り分けます。しかし現実が対象からできているわけではないのです。現実は関係の網であり情報の網です。私たちが対象を切り分けるときその境界は私たちの都合で決められているのです。「物理的な系」という物理学に登場する抽象的な議論もまた例外ではないのだと著者は言います。

生命体は外部の世界と常に相互作用を与えあいながら自身の元の状態に留まるよう絶え間なく形成を繰り返す特殊な系であり効果的にその形成を実行した系だけが存続します。だからこそ今なお存続している系については指向性や方向性という観点から解釈が可能となります。生命体は外部の系との適切な相関関係を築くため外部の情報を収集し、蓄積し、伝達し、改良する能力を進化させます。

原子のアルファベットについて語った古代の哲学者デモクリトスは、人間の定義について「人間とは、私たちの誰もが知っているもののことである」と語ったそうです。著者はデモクリトスは意味のない空っぽの定義をしたわけではなく、人間とは本人個人の物理的形状ではなく、社会的相互作用の網によって決定されるものだと解釈しています。人間もまた相互にやり取りされる情報の複雑に入り組んだ網の結び目なのです。

13.雑感

ループ量子重力理論の解説書というものを読んだのは初めてです。発展途上の理論であり理論の正しさについて判別することはできませんが、本書で語られるスピンフォームのイメージは秀逸です。著者は数式以前の直感を重視しており、また自然への直感は詩であり美でもあります。この辺りは著者の面目躍如といった感じです。

また著者は神秘への挑戦ということを重視しているようでもあり、特にこの宇宙から「無限」を排除しようとしているように見受けられます。デモクリトスを尊重しているのも彼を無限への挑戦の元祖とみているからなのでしょう。

しかし、ここで排除される無限は実無限であって可能無限ではないようです。本書を読んでも良く分からなかったのは何がリンクを増減させるかという点です。またリンクが増減するとき全体の数はどうなるのかも気になりました。リンク数に厳密な保存性がないのであればスピンフォーム自体が統計的に膨らんだり萎んだりしていそうな気がするからです。スピンフォームが膨み続ける場合、宇宙全体の情報はどうなるのでしょうか。

また現時点において宇宙が閉じた三次元球面である証拠はないと思われますが、仮にビッグバウンスが正しく、かつ、宇宙が閉じた三次元球面だとするとニーチェの永遠回帰のように本質的に同じことが始まりも終わりもなく繰り返されていることになり、これはエントロピー的にみると永久機関なのではないかという懸念が生じますが、しかしそうでないなら今度は時空は可能無限的なものになってしまうので結局、宇宙の始まりや果てに関する問題が回避できないという懸念があり、形而上学の排除はなかなか難しそうです。

また空間の量子に関する理論が正しいとして超対称性粒子やマルチユニバースがこれと矛盾するというわけでもないような気がするのでそれがどうしても必要な観察データがないなら余計なことは仮定する必要はないという姿勢の問題なのだろうと思います。

他方、本書の情報に関する考えは非常に示唆に富んでいると感じました。情報を持たない物理対象から情報が創発するとすると創発自体がなんだか神秘的なものになってしまいます。しかし最も根源的なレイヤーでは物理対象というものは存在せず物理と情報は相関性という同じ事態の現れであるというなら生命現象も非生命現象との複雑性の程度の違いで説明できるかもしれません。

意識とか精神の問題を考えてみます。相互作用のネットワークの中の部分過程である物理系は他の物理系から情報の入力を受け、内部状態と掛け合わせて変換し、他の物理系へ出力するということであるなら物理系には本来計算能力があるということなので、計算能力のない物理系から計算能力を持つ意識や精神が神秘的に創発したわけではなく構造化の問題に帰着すると思われます。リンクのネットワークは複雑系を生み出せるので共変的量子場が計算能力を持つ複雑系ならば高次構造は自己組織化により勝手に生み出されうることになります。また量子の計算結果は確率的に揺らぎ続けており計算結果は不確定ですから、決定論も自由意思も、唯物論も唯心論も否定される世界が見えてきます。

ならば意識や精神はありふれたものであるはずで、最新の研究によるとタコにもある種の社会性があるようです。そうであるならばタコに感情や自我があっても不思議はないでしょう。またAIも意識を実装できるアルゴリズムがあれば自然に意識を持つのではないかと期待できます。

最後に時間について考えてみます。以前読書ノートを書いた「時間はどこから来て、なぜ流れるのか?」(著:吉田信夫 ブルーバックス)では私たちが日常的に感じる時間を心理的な錯覚だと結論づけていました。他方、本書の著者は根源的な次元では時間は存在しないが物理変数の平均値が熱の時間を生み出すとしています。この立場からは物理系の切り取りも私たちの都合で決められる以上、ニュートンの時間もアインシュタインの時間も私たちの日常の時間と本質的には同じであり、また物理変数の平均値は外部の系との相互作用によって得られた情報ですから脳内だけの存在というわけでもありません。そして物理/情報系でもある意識が熱の時間を過去、現在、未来に区分して把握することもそれなりに必然だと思われるのです。

本書の著者は無限や神秘を排除して、科学の力で世界に関する最良の答えを見つけようとしています。そうであるからこそ、その向こう側にある形而上学に思いをはせてしまったのは私の不徳のいたすところです。

【関連記事】


この記事が参加している募集

推薦図書

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?