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「才能は、試行錯誤しないと見つからない。見つけたなら、そこを磨け。そして、誰にでも、残る部分はある」

前書き

発達障害(ASD)の認識から発展して、最終的に才能論について書いていました。
賛否両論あるかと思いますが、ちょっとした視点としては面白いかなと思います。

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唐突な話だが、僕は「自分がASDという発達障害だ」と仮定して、昨日今日と生きてみた。

常に頭に「発達障害」という単語を浮かべてみるのだ。
(少しおかしいのはわかっている。実験的なものだ。)

発達障害にも色々ある訳だけれど、僕の場合はASD、つまり自閉症スペクトラムだ。福岡の心療内科で診断された。

ざっくり言うと自閉症気質ということなのだと思う。

これが真実だとして暮らしてみると、割と全うに生きてこれたな、とまず思った。

32年間気がつくことはなかったし、それなりに友達はいたし、勉強やスポーツはできた。

彼女もできて就職もして、結婚して子供もできた。

職場にはイマイチ馴染むことはできず、そういえばいくつもコミュニケーショントラブルを抱え、それが原因となった異動もあった。

この発達障害、いわゆるASD(自閉症スペクトラム)だということを受け入れる。

もう会社には戻れないかもしれない。

コミュニケーショントラブルが起きることはわかりきっているからだ。
まあ、先のことはゆっくり考えよう。

そんなことを考えていたら、ふと高校のとある授業を思い出した。

数学の先生の話だ。
「昆先生」といい、昆が名字の少々変わり者と生徒に認識されていた先生だった。

昆先生は授業中、数学の話しかしなかった。
僕にとっては、ビブンセキブン、サインコサインタンジェント、シグマなどの謎の呪文を唱える変わった人だった。(#失礼)

そんな昆先生がたった一度だけ、数学以外の話をしたことがある。

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先生はその日、黒板に一本の線を縦に引いた。

その後、2つに分かれた黒板の片方をチョークで雑に塗りつぶした。



そして、塗りつぶされていない面を横断するようにまた線を引き、今度は下段を塗りつぶした。

黒板の左上だけが塗りつぶされずに残った。
そこに、先生は斜めに線を引いた。また、片方を塗りつぶす。

それが、何回か繰り返された。

黒板には、その黒板の面積の20分の1ほどの塗りつぶされずに生き残った部分ができた。

先生はここを指さし、

「これが君たちの才能だ」

といった。


そういえば色々としゃべってはいたが、先生は滑舌も悪く、僕は数学は嫌いで、初めは真面目に聞いていなかった。

それでも、残された塗りつぶされなかった一部と、「これが君たちの才能だ」という格言めいたメッセージだけは覚えている。

ひねくれた当時の僕は「嫌な先生だ」と思った。

才能は伸ばすもので、そんな風に消去法で決まるものじゃない。この先生は間違っている。信じない。

16才の僕は否定しながらも、数学の先生が唯一数学以外の話をしたことに驚いていた。

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僕が大学生になり、昆先生は病に侵された。
病は僕の高校時代から発症していたそうだ。

そういえば、昆先生は数学教師+1クラスの担任の先生という通常の教師のシステムから外れ、数学専門の先生になった後に、その「才能論」の授業を行ったのだった。

「これがダメで、ここもダメで、ここもダメ。そうして消えていった後、それでも残っている部分。そこが才能というものなんだよ」

発達障害を受け入れてみて、この話をよく思い出す。

今の僕なら、当時の先生が、「未来の僕ら」に向けて話しかけていたことがわかる。

これから数多の人生の苦難を迎え、堪え忍び、乗り越える。そんな僕らへ向けて話しかけていたのだと。

「消去法の才能論」は、当時の僕は受け入れることができなかった。

しかし、16年が経った今、僕はこの話を再定義することができる。

伝えられたら、いいけれど、もう、昆先生はこの世にいない。


あなたは、残った塗りつぶされなかった「才能」を指して、こう言っていたんですね。

「才能は、試行錯誤しないと見つからない。見つけたなら、そこを磨け。そして、誰にでも、残る部分はある」


先生が黒板を全て塗りつぶさなかったことの意味。16年後の「消去法の才能論」の再定義。

今なら少し、理解できるような気がした。

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