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笑って、流して、やり過ごす、失礼を私は

突然。世界が身近にやってきた!
縁あって、アメリカ人の方と生活を共にすることになったのだ。

話せる日本語は、「アリガト」と「オイシイ」。
それ以外は、オール英語。

これはまたとない機会!!

日中は別行動だが
夜は、できるだけコミュニケーションをとってみた。
    
 

ある晩のこと。
彼は、その日に訪れた浅草での出来事を私に話してくれているようだ。

そこまでは分かった。

が、

私の語学力では、彼が何を言っているのか、まったく分からない。

視覚情報から把握できたのは
涙を流したんだな、ということと
それを笑顔で話している、ということ。

話している内容はまったく分からないが

私は、

なんとなく、
笑顔をつくり、
声を出して、
笑った。


実際のところ、
その、私の反応を
彼がどう思ったかは、分からない。


だけど、自分の中で、
もやああああっ
とした気持ちが、残った。


「これ、もしや、笑っちゃいけない話だったのでは?」


彼が置かれている状況を考えると
涙を流した、というのは
もしかしたら
辛い気持ちのあらわれ、だったのかもしれない。

そんなことが頭をよぎったのが
「笑っちゃダメだったんじゃ?」と考え始めた発端なのだが

そもそも

『よく分かっていないのに
 反射的に笑って
 やり過ごした』

という反応そのものが
もんんんんんのすごく彼に対して失礼だし
不誠実だと感じたんだ。


しかも…
これ…

私、日本語同士の会話でもよくやってる~~~~~~(´;ω;`)

笑顔を見せることで場がやわらぐこともあるし
悪いことばかりではない、んだけど
それを意図してやっているのと
分からないことを分からないまま、
クセで、反射的に笑って、流して、やりすごすのとでは
全然意味が違うわよね。


なんということでしょう…

語学力以前の問題。

人と向き合う姿勢の問題。
もっというと、自分と向き合う姿勢の問題。


私は。

やっとのことで浮かび上がってきた
自分の気持ちすら
流して
やり過ごしている。


その事実を
大いに突き付けられたのだ。


その日から
彼が何を言っているか汲み取れないときは
もう一度話してほしいとお願いするか
反射的に笑ったりしないように
アクションを変えた。



ちなみに
普通の会話だけじゃなく
翻訳アプリを使っての会話も楽しんだよ!

政治の話題からはじまり
エイリアンの話
行ってみたい国やお勧めの国、
彼の故郷の話まで。


お互いに頭にクエスチョンが浮かびにくい状態で話せたので
色んな話ができました。


何かを伝えたくて
自分がそれを示す表現を持ち合わせていないとき
Google先生のお世話になったりもしたのだけれど


旅立ちの日、見送りに向かうとき
翻訳サイトに頼るのではなく
自分の持ちうる、自分の言葉で
メッセージを伝えたいと思った。

Next Japan, My home come on!

文法的なところが適切かどうかは分からないが
ちゃんと伝わったし
君もアメリカに遊びにおいでよ!
的なことを言ってもらえて
笑顔で別れを告げた。


この一週間近く
相手の伝えたいことを汲み取ろうとしたり
自分が何を伝えたいのかを模索したり
分からないときに反射的に笑ってやりすごすのをやめたり
他者とどう向き合うかに重きをおけた期間だったと思う。

不器用ゆえ
何かを同時進行するのが苦手。

そういうときって
他のことが置き去りになっている。

外側に意識が向きすぎて
自分のことや、自分に近い物事が
ところてんのように
後に後に追いやられていたことを
私は知っている。

(確定申告もやらなきゃだ…)


いいのよ!

そういう自分に気づけたから。

反射的に笑って
うやむやにしちゃう自分。

浮かび上がってきた感情や
ちょとした違和感とか
そういう自分の言葉を
うやむやにしちゃう自分。

気づけたから
ここからは、流さずに
「いったん止まって見つめてみる」
という選択肢がとれるようになったはず。

自分の感情を
行動を
自ら選択できる自分への道のりに
ちゃんとつながっている!

#100本チャレンジ 26本目
#ワールドスピーカーへの道のり

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