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第二部「What is doping?」 Vol.2「アデノシン三リン酸(ATP)を作り出せ」

 前回のVol.1「トランスジェンダーのスポーツ参画とスポーツマンシップ」では直接的にいわゆる「薬物ドーピング」との関連はなかったが,今回のVol.2「アデノシン三リン酸(ATP)を作り出せ」では今後の「薬物ドーピング」の根幹にかかる基礎知識としてお話しさせていただきたい。

①アデノシン三リン酸(ATP)とは?

 理系の皆々様であれば生物でしっかりと理解されている分野であると思うが私含めまともに生物をやってこなかった一部の人のために簡潔に説明させていただきたい。

 そもそも人間はどうやって歩いたり,走ったり,はたまたどうやって生きているのだろうか。筋肉が動いているから?心臓が動いているから?もっとミクロな話をすればその筋肉や心臓は無数の細胞から成っており,人間は実に60兆個もの細胞から成り立っているアデノシン三リン酸(以下,ATP)は,その細胞のはたらきに大きく関わっており,このATPが無ければ細胞は機能せず,筋肉も動かせないし,心臓も止まってしまう。いわば心臓よりも大切な物質なのである。

 ATPという物質はそれぞれ1つのリボースとアデニン,そして高エネルギー結合によって結合された3つのリン酸から成る。この3つに連なったリン酸の内,1つのリン酸が化学反応によって途切れることでエネルギー(kcal)が発生するのだ。(リン酸が1つ途切れたのでアデノシン二リン酸(ADP)となる)

 体中の細胞内ではこのATPが作られ→リン酸が途切れ→エネルギーが生まれるという一連の流れが生じることによって細胞のはたらきを維持している。

 注意したいのがあくまでATP自体にはエネルギーはなく,リン酸が途切れることでエネルギーが発生するという点だ。

②アデノシン三リン酸(ATP)を作り出せ

 ではATPはどのようにして生成されるのだろうか。まずは材料が必要である。材料は基本的に糖質(炭水化物),脂質,タンパク質となっており,人間はこれらの栄養素を食事にて摂取している。これらの栄養素はあくまでATPの材料であって,そのままではエネルギーとは成りえない。自転車をイメージしてもらうとわかりやすい。炭水化物(糖質),脂質,タンパク質を摂取することを「ペダルを漕ぐ」ということに置き換えてみる。ATPは自転車の「チェーン」に該当するもので,筋肉や心臓のはたらきは「タイヤを回転させる(自転車を走らせる)」というものに該当する。「チェーン」がなければ「ペダル」の動力は「タイヤ」に伝えることはできない。また「チェーン」だけが手元にあっても何もできない。こういう関係性のもと,ATPを取り巻く環境は成り立っている。

 さて,ATPの生成について,糖質を例に挙げて解説してみよう。(実際には以下のような単純なものではないが簡潔に述べさせていただく)

A.解糖系
 糖質は体内に入るとグルコース(ブドウ糖)に形をかえる。このグルコースは小腸などから吸収され,血管などを通って細胞まで運ばれる。ここで最初に細胞質基質という場所で最初のフェーズ「解糖系」を迎える。
 解糖系でグルコースは分解され,ピルビン酸と2個のATPが生成される。(このフェーズではATPの生成に酸素を必要としない
B.クエン酸回路
 解糖系にて生成されたピルビン酸は細胞内のミトコンドリアの「クエン酸回路」にてアセチルCoAなどの物質に変換され,その過程の中でFADHやNADH+H(+)とともに2個のATPが生成される。(このフェーズではATPの生成に酸素が必要
C.電子伝達系
 クエン酸回路と同じく,ミトコンドリア内にて最後のフェーズ「電子伝達系」を迎える。
 ここではクエン酸回路にて生成されたFADHやNADH+H(+)などから28個のATPが生成される。(このフェーズでも酸素が必要

 以上の3つのフェーズでは1つのグルコースから,それぞれ解糖系にて2個,クエン酸回路にて2個,電子伝達系にて28個,計32個のATPが生成されることがわかる。

 冒頭にてお話ししたがATPを生成する上で材料となるのは糖質(炭水化物)以外にも脂質とタンパク質がある。特に脂質はATP生成の効率が良く,1つの脂質から106個ものATPが生成できる。また脂質からATPを生成する場合は解糖系を通らず,いきなりクエン酸回路からATPが生成できるため,糖質よりもより早く,多く,ATPが生成できるのだ。

③短距離走と長距離走

 陸上競技においては100メートル走・200メートル走といった短距離走,マラソンのような長距離走があるが,短距離走と長距離走は使用する筋肉の違いなどからしばしば「無酸素運動(→短距離走)」「有酸素運動(→長距離走)」という風に言い分けられることがある。
 ATPの話に戻るが,ATP生成にかかる3つのフェーズにおいては解糖系では酸素を必要としないが,クエン酸回路及び電子伝達系では酸素が必要不可欠である。例えば無酸素運動時においてグルコースからATPを作りだそうとすれば解糖系のみしか機能しないため2つしかATPを生成することができない。逆に有酸素運動時においてはグルコースから解糖系・クエン酸回路・電子伝達系をフル活用することが可能なので32個のATPを生成することができるのだ。

 また脂質からATPを生成しようとしても,無酸素運動下の短距離走では脂質からATPを生成するためのクエン酸回路・電子伝達系が機能しないため,そもそも脂質を材料にできないのだ。材料にできない脂質を体に付けておく必要のない短距離ランナーの肉体というのは必然的に筋肉質となってくる。

 長距離走においては脂質を使えるというのが大きな特徴となっており,短距離ランナーのように筋肉質というよりも比較的バランスのとれた体型となっている。(ただし遅筋が発達するために腕などが細い選手が多い)

 糖質と脂質が体内にある場合,通常は糖質から優先的に分解されていく。そして糖質が体内から尽きかけた時にはじめて脂質が材料に使われるのだ。これが糖質制限と有酸素運動を組み合わせることで脂肪を効率よく減らせるメカニズムである。

 脂質1個からは106個ものATPを生成できるとお話ししたが,これは何も良い話ばかりではない。マラソンなどで長い時間走っている時に糖質が尽きた時にATP生成の材料が脂質に切り替えられるが,この脂質すら尽きてしまったらどうなるか。細胞はATPを生成できなくなり,走ることができなくなるのだ。長距離ランナーにとって脂質は切り札であり,生命線でもあるのだ。

④カーボローディング

 今説明したように長距離ランナーにとってはローパワー(ATP32個)の糖質とハイパワー(ATP106個)の脂質を比較したときになるべく糖質を使いたいのだ。では長距離を走る直前の栄養補給だけでその糖質がまかなえるかといえば答えはNoだ。あらかじめ糖質をグリコーゲンという形で筋肉や肝臓に蓄えなければいけない。そこで長距離ランナーは短期的にカーボローディングという方法でグリコーゲンを貯蓄している。

 あるマラソンの大会を控えているとしよう。普段は練習のために糖質が多めの食事,すなわち炭水化物の豊富な食事をするが,カーボローディングを試みる時には大会1週間前~4日前まではあえて低糖質の食事をして,軽い運動を行う。そうすることで筋肉や肝臓に蓄えられていたグリコーゲンが放出され,グルコースとなってATPの材料となり,これを続けると次第に体の中からグリコーゲンが枯渇する。
 そして大会3日前からは炭水化物が豊富な高糖質の食事に切り替えることでグリコーゲンの過補償が起こり,従来よりもかなり多くのグリコーゲンを筋肉や肝臓に蓄えることができるのだ。この効果は絶大で,我々素人であっても効果が望めるのだ。

⑤疲労物質「乳酸」の今昔

 ATP生成にかかる「解糖系」のフェーズに話は戻る。グルコースを分解する際に2つのATPとともにピルビン酸というものが生成されるという話をした。有酸素運動時であればピルビン酸はクエン酸回路にてアセチルCoAなどに変換され,ATP生成の材料となる。しかし無酸素運動時であるとクエン酸回路が機能しないために「乳酸」という物質に変化する。

 運動部などに所属していた皆様はこの「乳酸」という言葉にどんな印象があるだろうか。数十年間,この乳酸は筋肉のpHを低下させ,筋肉の収縮を阻害する疲労物質であると考えられていた。同級生が「あーやべえw乳酸溜まってきたわ~」などと言っていたのを思い出す。pHの低下を防ぐためにアルカリ性である重曹を摂取して中和させる試みをした短距離ランナーもいたくらいなのだ。

 しかし近年,その定説が覆され,乳酸は筋肉の疲労に何ら関係がないことが証明されたのだ。「乳酸溜まってきた」系男子も真っ青であろう。(じゃあ何が疲労の原因なんだ!という方のためにも後日詳細についても解説する。)

⑥最後に

 読み始める前と読み終わった後で少しでもATPをご理解いただけたのであれば嬉しい限りです。私は高校時代に理系科目を全く履修していないコッテコテの文系野郎(文系が得意とはいってない)であったために今回のATPをアウトプットするのには苦戦を強いられましたが,やはり本などを読んで理解するだけでは知識は定着しづらいが文字に起こすとここまで定着するものなのかと新しい発見もありました。

 Vol.3ではいよいよ核心に迫っていきます,がまだ「薬物ドーピング」までたどり着かない話になるとおもいます。ゆっくりなペースではありますが第二部「What is doping?」が完結したときに単に「薬物ドーピング」だけではなく,そこに付随する身体のしくみなども併せて理解していただければ私の「計画通りッ…!」でありますので何卒お付き合いください。

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