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【MLB】歴史に隠れたスキャンダル?「ピッツバーグ薬物裁判」

" Say it ain't so, Joe! "---「嘘だと言ってよ,ジョー!」
というフレーズで有名な『ブラックソックス事件』。1919年のワールドシリーズにおいて,賭博師やマフィアと共謀の上,わざとチームが負けるようにプレーしたシカゴ・ホワイトソックスの主力8人による八百長が発覚。当時のホワイトソックスオーナーが極端にケチであったことが一因であったために,処分を受けた8人はのちに「アンラッキー・エイト」と呼ばれるなど,日本においても著名なスキャンダルとなっています。

21世紀に入ってから「バルコ・スキャンダル」や「バイオジェネシス・スキャンダル」といったドーピング関連の事件が発覚し,”MLB史上最悪のスキャンダル”とされることは少なくなりましたが,スポーツと八百長を語る上では今でも欠かせない事件となっています。

また,ブラックソックス事件を背景とした映画「Field of Dreams」にインスパイアされた試合がアイオワ州ダイアーズビルで2度も行われるなど,もはや”MLBの汚点”といった切り取られ方はされていない印象で,"Shoeless Joe"ことJoe Jacksonらの汚名は徐々に薄れつつあります。

(↑の試合は,Judge-Stantonのアーチによってヤンキースが逆転勝利を収めました。。。ヒヒン😓)

実はそんなブラックソックス事件と並ぶほどの処分者を出したにも関わらず,現代MLBにおいてあまりフォーカスされない事件が存在します。
その名も”Pittsburgh drug trials”(ピッツバーグ薬物裁判)です。1985年に巻き起こったこの事件においては現役選手11人が処分を受けるなど,MLBの歴史において決して無視できないものとなっており,聞く人によれば「ブラックソックス事件に次ぐ大スキャンダル」と評すことも。正直,Wikipediaに記載されている以上の文献も少ないですが,それに付随するエピソードなども紹介していきます。

(1)1979年の覇者・パイレーツ

Sonyが初代ウォークマンを発売し,今や業界大手のESPNが開局を迎えた1979年。シーズン98勝64敗の好成績でナリーグを圧倒したピッツバーグ・パイレーツは,のちに殿堂入りを果たすWillie Stargell,キャリア4度の首位打者に輝いたBill Madlock,前年にMVPを獲得したばかりのDave Parker,2年連続盗塁王に輝いたOmar Morenoらを主力にワールドシリーズ優勝を成し遂げました。さらに当時のチームには複数ポジションに就けるJohn MilnerDale Berra(Yogiの息子)といった強打の控え選手も擁しており,非常に厚い選手層であったことが伺えます。

ユニフォームも強烈であり,今でも復刻再現される3本のストライプがあしらわれた「ピルボックス・キャップ」がトレードマーク。1978年,チームの核であったStargellはチームを盛り立てるために,その日活躍した選手へ戦闘機の撃墜マークにインスパイアされた星形のワッペンを授与することに。

のちに”Stargell star”と呼ばれるワッペンをキャップに付けて試合に臨む選手が続出することになり,それ以降チームの士気上昇を支えることとなります。これは現代の「スワッグチェーン(パドレス)」や「バーリオジャケット(ブルージェイズ)」などに通ずるものがありますよね。

1979年に優勝を果たしたものの,Stargellの衰えやPhil Garnerの移籍なども重なり王朝は築けず。1985年はシーズン57勝に留まり,平均観客動員数も1万人を下回る程に。その後Barry BondsやBobby Bonillaらが台頭するまでは低迷期を迎えることとなります。

(2)『ピッツバーグ薬物裁判』

時を同じくして1985年5月,Curtis Strongというケータリング業者の男が違法薬物であるコカインを売買した罪で起訴されます。ここまでは1980年代のアメリカでは珍しくない事件でありましたが,Strongがケータリングとして食べ物や飲み物を卸していた内の一つがフィラデルフィア・フィリーズであったことが事件を大きくしていきます。

フィリーズへのケータリング業務を通してMLB選手らとの関係を深めたStrongは,同じペンシルベニアに属するパイレーツとも縁故に。そして飲食物に留まらず,選手に対してコカインを売買するまでに至ったというのです。

まず,Strongの証言を受けて大陪審に召喚されたのが1979年にパイレーツに所属していたJohn Milner。このMilnerによる告発が更なる火種を生むこととなります。

John Milnerの証言
①1978年から1984年までの間にチームメイトとコカインを常時使用していた
②1981年9月30日のアストロズ戦の試合中に,クラブハウスのトイレで売人からコカインを購入した
③パイレーツ在籍時にはWillie Stargellからグリーニー(アンフェタミン系の興奮剤)の提供を受けた
④同じくパイレーツ在籍時に,匿名の誰かが自分たちのロッカーにグリーニーを入れていた
⑤メッツ在籍時にはWillie Maysから提供を受けたアンフェタミンの液体(通称レッドジュース)を使用していた

といった衝撃的なものばかりであり,大きな波紋を呼びます。

まず①についてはJohn Milnerと同時期にパイレーツに所属していたDave ParkerやDale Berraがコカインの使用を認める証言を行います。

Dave Pakerの証言
⑥コカインの使用が社会に浸透していたから自分たちもやっていた

Dale Berraの証言
⑦匿名でロッカーにグリーニーを入れていたのは恐らくStargellだろう(Dave Parkerも同様の証言)
⑧StargellだけでなくBill Madlockからもアンフェタミンの提供を受けた
⑨パイレーツ在籍時にはMilnerやParkerだけでなく, Lee LacyやLee Mazzilli ,Rod Scurryと共にコカインを使用していた

といったように,選手の具体名まで挙がる事態となり,さらに多くの選手が大陪審に召喚されることとなりました。

例えば1979年にStargellと同票であったために史上唯一のMVP同時受賞となった名手Keith Hernandezや,MLB歴代5位の通算808盗塁を記録したTim Rainesは以下のとおり証言。

Keith Hernandezの証言
⑩メッツに在籍した以降の過去3年間,コカインを使用していた
⑪コカインを使用した次の朝,鼻血や身体の震え,そして体重が10ポンド減った状態で目覚めたこともあった
⑫MLBの40%の選手がコカインを使用していると思う

Tim Rainesの証言
⑬常にズボンの後ろポケットにコカインを入れていたため,盗塁をする時はコカインを入れたガラスバイアルが破損しないよう,あえてヘッドスライディングを行っていた

HernandezはMLBにおけるコカインの蔓延を示唆し,Rainesに至ってはコカイン常用のためにプレースタイルを変えていたというのです。

証言が増えていく中,さらに波紋を呼んだのはコカインの蔓延に携わっていた更なる衝撃の人物。なんと1979年からパイレーツのマスコットである”オウム”の中に入っていたKevin Koch氏もコカインの受け渡しに深く関与していたと言うのです。

(3)スキャンダル後のMLB

コカインの売買に関しては,「大陪審で証言した選手については,証言と引き換えに法的な処分は行わない」とされたために関与した選手は誰一人起訴されることはありませんでした。
しかし1986年2月,当時のMLBコミッショナーPeter Ueberrothユベロスは事態を重く受け止め,コカイン売買や使用について確実な証拠が出揃っていたDave ParkerやKeith Hernandezら11人に出場停止処分を下します。(実際には条件であった社会奉仕活動などをクリアして出場停止は免れたよう)

このように,大勢が処分を受けたことで,ピッツバーグ薬物裁判が『ブラックソックス事件に次ぐ大スキャンダル』と報じられることとなりました。

一方で,たびたび証言で名前の挙がったWillie StargellとWillie Maysの2人はアンフェタミンやグリーニーの提供・使用を否定。証拠も不十分であるとして全く処分を受けることはありませんでした。(ご存知の通り,二人ともにアメリカ野球殿堂入りを果たしている)

アンフェタミンやグリーニーは,コカインなどのドラッグに分類されないものの,一時的に集中力を上げる興奮剤として2000年代中盤まで使用されていた薬物。2004年にMLBの禁止薬物に指定されて以降も多くの選手が手を染めていたとされています。(Barry Bondsや新庄が使用していたことで有名)

Hernandezの「40%発言」などの薬物汚染の現状を受けて,Ueberrothコミッショナーは「年に数回の抜き打ち薬物検査(尿検査)の導入」を提言。今思うと至極真っ当なプランに思えますが,当時のオーナー・選手会双方は「そんなのはコミッショナーが決めることではない」として突っぱねています。

<補足>
この時Ueberrothが提案した『薬物検査』というのは,ステロイドなどのドーピングというよりも,コカインなどのドラッグを指していると推察できますが,労使双方が難色を示したというのはMLB史の観点からみて重要な事実。
そんで,赤字続きのオリンピックを黒字化した過去や,コミッショナー職における本件までの流れをみると有能に見えるUeberrothコミッショナーも,1985年-87年にオーナーと結託してFA市場をヒエヒエにさせる共同謀議を働いたことがバレます。後年,自身と結託していたはずのオーナー達を「馬鹿」「まぬけ」と散々罵っていて草。

そして悲しいことに,この事件に関与し処分を受けていた内のRod Scurryは裁判後もコカイン使用をやめることができず。引退後の1992年にオーバードーズによって救急搬送,そのまま意識が戻らずにこの世を去ることとなりました。
また,裁判で証言を行った元パドレスのAlan Wigginsも,薬物の注射の際にHIVに感染し1991年に死去しています。

パイレーツでの薬物蔓延ばかりが証言されていますが,1986年にワールドシリーズを制したニューヨーク・メッツも,Keith Hernandezを筆頭にDarryl Strawberry,Dwight Goodenといったレジェンドらがコカイン中毒に陥ってたとされており,「ジャンキーの集まり」と揶揄する記者もいたほど。裁判を終えてもなお,薬物規制が進むことはありませんでした。

(4)もう一つの悲劇「Len Bias」

同時期,コカインの蔓延に苦しんでいたのはMLBだけではありませんでした。同じ北米4大スポーツのNBAもまた,悲劇を迎えることとなるのです。

NBAのGOATの一人であるMichael Jordanが1984年にドラフト全体3位で指名されたのは言うまでもありませんが,その2年後である1986年に「Jordanに比類する」と言われるような有望株がドラフト全体2位でボストン・セルティックスに入団したのです。彼の名はLen Bias。身長2m3cmのスモール・フォワードです。

Biasはメリーランド大学時代に,ノースカロライナ大学に在籍していた2年先輩のJordanと3度も対戦しており,苛烈な点取り合戦を演じています。その類い稀なるシュート力を武器に大学4年時には平均23.2点 7.0リバウンド フリースロー成功率86.4%を記録。ESPNのMichael Wilbon記者は当時を振り返り「JordanPatrick EwingChris Mullinといった最上級の大学選手がいたが,Biasはその中で最も優れた選手であった。当時のJordanも,Biasのシュート力には殺意を覚えただろうね。」と述べるほど。

名門Duke大学で長年指揮を執り,2008年の北京オリンピックアメリカ代表の監督も務めた”コーチK”ことMike Krzyzewskiシャシェフスキー氏も「いままで対戦した大学生の中で一番才能があったのはJordanとBiasだった」と舌を巻きます。

そんなスーパースターを2位指名で手に入れたのは,なんと数ヶ月前にチャンピオンリングを手にしたボストン・セルティックスだったのです。当時のセルツにはLarry BirdKevin McHaleRobert Parishという後に全員が殿堂入りを果たすBIG3に加え,ベンチからはBill Waltonというレジェンドセンターが登場するような最強布陣。そんな王朝全盛にあっても,トレードで得た指名権が全体2位に化けるなど,運すらも味方していた状況でありました。(通常であればシーズン成績の悪いチームが上位指名権を手にするが,ドラフトピックをトレードできるNBAにおいては稀にこういったことが起きてしまう)

BIG3が20代後半ということもあって,世代交代が可能なほどの若きスターを欲していたセルツの前に現われたのは,同じ東のライバルであるブルズのJordanに匹敵する圧倒的な才能。監督時代も合わせれば16度の優勝を経験しているRed Auerbachゼネラルマネージャーがその好機を逃すはずもありませんでした。

そしてドラフト当日の1986年6月17日,無事上位指名を受け,満足そうな笑みで王朝に足を踏み入れたBias。次のファイナルで宿敵レイカーズのMagicやKareemとしのぎを削る姿が浮かんだ瞬間でありました。

しかしドラフトから2日後の6月19日。あまりにも悲惨なニュースが全米を駆け巡ります。

なんとBiasは6月19日の早朝に発作を起こし,急死してしまったというのです。原因はコカインの使用によるオーバードーズ。自身の名が全国に知れ渡るにつれて付きまとう重圧や,それまで会ったこともない親族からの金の無心によるストレスが,コカインという薬物にすがる原因を作ったと言われています。

スターの原石の死去は,薬物が蔓延するアメリカ国内に多大なる影響を与えることとなり,1988年にアメリカ合衆国議会が「Len Bias法」と呼ばれるアンチドラッグ法案を可決しました。

その後,Biasを失ったセルツはBIG3が緩やかに衰えていったこともあり,東の王座はピストンズやブルズに譲り渡すことに。その後2008年に優勝するまではプレーオフにすら中々出場できない,暗い暗い低迷期に突入することとなります。「もしBiasが生きていれば・・・。」と思わざるを得ない結末です。もしかしたらピストンズの2連覇も,ブルズの2度の3連覇も,はたまたJordanのGOAT論争にも大きな影響を与えていたのかもしれませんね。

ちなみにBiasが亡くなった8日後にはNFLのクリーブランド・ブラウンズに在籍していたDon Rogersが23歳の若さで死去。これもコカインによるオーバードーズが原因であり,少なくとも「Len Bias法」成立の一助となっていたはずです。

(5)そして現代のMLB

現代において,選手がドラッグによる処分を受けることは減りましたが,それでもゼロではないのが現状です。現代において「ドラッグとMLB」で連想される選手が3人思い浮かびます。

1人目はJosh Hamilton。2010年にアリーグMVPを受賞した大選手ですが,彼とコカインにまつわるエピソードは切っても切り離せません。
1999年に「高校生でナンバーワンの選手」と謳われ,タンパベイ・デビルレイズに全体1位指名を受けます。すぐにマイナーで結果を出すなど,Baseball Americaの№1プロスペクトに君臨。

しかし2001年の開幕前に,両親と共に乗車していた車が事故に巻き込まれ,怪我を負ってしまったことで,歯車が大きく狂い始めます。
完治したはずの患部が痛み,精密検査でも原因が分からず,Biasのように重圧に押しつぶされたHamiltonはあろうことかコカインに手を出してしまいます。翌2002年にはそれまでの純粋な姿からは想像もできないような全身のタトゥーと暗い目を纏ったHamiltonが写真に残っています。
そのまま更正とドラッグ使用を繰り返す中,2004年には事実上の球界追放を受けて野球を引退。そのままプロスペクト史の闇として残るはずでした。

ですがHamiltonは2005年末ごろに薬物に打ち勝ち,野球を再開。2006年にはデビルレイズに復帰し,翌ルール5ドラフトでカブスに指名されると,シンシナティ・レッズへトレードされます。
オールド・ルーキーとして2007年にMLBデビューを果たすと打率.292 19本塁打と衝撃のスタッツを残します。その後レンジャーズに移籍し,2010年には首位打者・MVPを受賞するなど輝かしいキャリアを取り戻すことに成功しました。

残念ながら,ここで話は終わりません。大型契約でロサンゼルス・エンジェルスに移籍すると怪我や不振で期待外れに。そのストレスがまたもやコカインという逃げ道を選択させてしまいます。2015年に薬物使用が報じられるとファンは大きく落胆。その後薬物を再度断ち,2019年5月にはレンジャーズの殿堂入りを果たす嬉しいニュースが流れますが,同年10月には娘への暴行容疑で逮捕。またもやファンを裏切ることとなりました。

2人目はJosé Fernández。キューバ出身ながら,2008年に決死の亡命に成功。2013年に21歳の若さでマイアミ・マーリンズからデビューすると,ルーキーながらオールスターゲームに選出。防御率2.19で12勝を挙げ,その年の新人王に輝きます。Max100mphの直球に,切れ味鋭いスライダーを中心とした投球で,若い才能が集まっていたマーリンズのエースとして君臨しました。

2014年にはトミー・ジョン手術を受けたものの,翌年に復帰。そして2016年には9月時点で16勝,防御率2.86,253奪三振を記録するなど,MLBを代表する投手に成長していました。
まさか,8回無失点の投球を見せた9月20日の登板が最後の雄姿になるとは思いもよりませんでした。

9月25日の深夜,マイアミのビーチに友人2人とボートで出かけたFernández。かなりのスピードを出していたボートは,海岸の岩礁に激突し大破。彼を含む3人全員が死亡したのです。
検死の結果,Fernándezの体内からは高濃度のアルコール,そしてコカインが検出されました。オーバードーズではないにせよ,直前に妊娠中の彼女と喧嘩してかなり苛立っていたという証言もあり,それが起因してコカインという手段を選んでしまったのかもしれません。イチローの同僚として日本でも有名な選手であったために,大きく取り上げられましたよね。

もう1人はTyler Skaggsでしょうか。皆さんも記憶に新しいかと思いますが,2019年7月1日,吐瀉物による窒息で急死したエンジェルスの投手です。7月12日の追悼試合ではチームが継投ノーヒッターを達成するなど,感動を呼びました。

しかし事件の全容が明るみになるにつれて,決して美談にはできない内容が浮かんできます。
そもそもSkaggsの誤嚥は半合成麻薬であるオキシコドンの服用によってもたらされたものであり,その薬物を提供したのは元エンジェルスの広報部長Eric Kayであったことが衝撃を呼びます。
そのことを法廷で証言した元エンジェルスのMatt Harveyは,併せて以下の証言を行います。

Matt Harveyの証言
・メッツ在籍時からコカインを常用していた
・麻薬の売人から強力な鎮痛剤であるパーコセットを入手し,Skaggsに提供していた
・Skaggsとともに,エンジェルス・スタジアムのクラブハウスで薬物を使用していた

また,HarveyだけでなくC.J Cronなど,かつてエンジェルスに在籍していた選手などもEric Kayからの薬物提供を認める証言を行い,同チームの一部選手に薬物が蔓延していたことが発覚したのです。Kayはこれにより実刑判決が確定しました。事案の深刻さと比較するとさほど大事になっていない印象ですが,Hamiltonという前例があったにも関わらず薬物蔓延を防げなかったエンジェルス。どうか3度目が起こらないことを願っています。

最後に

メインはピッツバーグ薬物裁判でありましたが,それだけではあんまり内容がなかったので色々関連したトピックを挙げてみました。特にBiasの一件はNBAの潮目が変わった瞬間ともとれます。
個人的にFernandezの一件はいまでも鮮明に覚えています。就活中,東京駅でやっすい夜行バスを待ってる最中,訃報が飛び込んできました。初めは悪い冗談としか思いませんでしたよね。
依然としてMLBはドーピングに厳しい一方で,ドラッグにはゆるゆるの状態なので,悲劇が繰り返される前に手を打ってほしいものです。

あと,うんちっちヤンキースのプレーオフはもう見ません。

【当時のアーカイブ】

https://www.washingtonpost.com/archive/sports/1985/09/11/stargell-madlock-named-in-drug-trial-testimony/7c11bb50-90a3-4133-853b-c3b3a48496ef/

https://www.newspapers.com/clip/11070384/pittsburgh-drug-trial/


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