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【無我霧中-4】芽と目

生命の貪欲さには、恐れ入ります。

この写真、先月倉敷でもらってきたミントなんですが、カンカン照りの太陽を浴びせていたら枯れてしまい、一縷の望みで栽培を続けたらなんと息を吹き返してくれました。
5本中1本ですが、それでもパッと見で枯れているから死んでいる。という、主観で判断することはよくないなと改めて感じました。

人間から見たら、「枯れる=死んでいる」って思ってしまうかもしれないけど、植物からしたら、「いや、必死に生きてるわ!生きるために余計なところは、切り捨ててるんだわ!」って感じかもしれない。

そう考えると、あまり使うべきではない表現の「植物人間」という言葉は、生命としては一番生きる意志がある人間の状態なのかもしれない。

ところで、僕は昨年からヨガやストレッチに興味を持ち、1年続けている。その中で、一番意識しているのが姿勢改善だ。
腰痛持ちで腰に凝り固まったしこりがある。これがなかなか治せなかった。

けど、気長に取り組んでいたある日、とあることに気付いた。
「体をほぐす動き」はしているけど、「体を伸ばす動き」はしていないということ。

どういうことかと言うと、例えば、腰の裏にストレッチポールを置いて、そる運動で腰をほぐす。
確かにこれで腰はほぐれるのだけど、緩んだ状態で終わってしまう。
ここにもう1つ付け足さないといけない。

朝起きて、両手を上げて頭上で思いっきり引っ張り上げて伸ばすと気持ちいい。その動きだ。

腰に限らずどこのストレッチをやるにしても、ほぐす+伸ばしてさらに間接に空間を作ってあげる意識。
これをやると、体が腰を中心に上下に引っ張られて、姿勢が改善してきた。

上に伸びるということが一番大事なことなんだと気づいた。

さて、目隠しをして真っ暗の中で生活できるだろうか。
できないよね。
ただ、その状況になったとしたら、夜だと分からないけど、昼間だったら光が見える方に動きたくなる。
なぜなら、それしか目印がないから。

植物はどうだろうか。そもそも、目がない。目がないけど、芽が出てきた時からずっと陽の光の方へ伸びていく。ただまっすぐ上に。

人間はどうだろうか。人間には目がある。いろんなものを見ることができる。太陽のある真上にまっすぐ伸びていくだろうか。いや、いかない。
太陽のような強烈に光を発する物が目の前に現れたからだ。
スマートフォンだ。目の前の光に引っ張られて、今やスマホ首と呼ばれる症状まで生まれている。

ここで2つの共通点に気付いた。
芽も目も光に引っ張られるということだ。
本来は人も太陽に引っ張られて背筋がピシッとするはずだ。
最近、姿勢がよくなってから感じる。
確かに、皆背中が丸い。

人工的な光に騙されないで、自然の光を浴びて、新芽のように生命力高めて生活することが大事なのではないだろうかと、ふと思った。

とりあえず、朝太陽を浴びて、両手を上にあげて、5秒伸びる。
できることなら、体を枯らすことなく生きたいものだ。

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