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noteの居心地の良さの正体ってなんだろう?

ここ最近感じていること。
なんだろう、Instagramとも、Twitterともちがう、居心地の良さ。
それについて、考えてみました。


最近、投稿しない日でもほぼ毎日noteサーフィンをしている私。エッセイだったり、子育て系、ライティングにまつわることなど、いろんな分野であれもこれもと気になる記事を見つけては、読み進めて・・・。これが楽しいんですよね。

その中で、「あー、こういう文体で書けるようになりたいな」とか、「この人の文章はどうしてこんなにもスルスル読めるのだ?」とかって刺激をもらっては、自分もがんばろうー!と勝手に鼓舞されています。



それで、ここ最近感じるようになったんです。InstagramやTwitterもやっているけど、noteの、このなんとも言えない居心地の良さはなんだろう?って。


例えばInstagram。いろんな記事を眺めるのも投稿するのも好きだし、情報を集めるのにも活用している。私にとって生活に欠かせないアプリのひとつです。

ただ、インスタを一通りいじってアプリを閉じたとき、なんとなーく、ちょっと疲労感?というか、消耗した感がある。

「あー。やることあるのに、こんなに長時間もInstagramみちゃった・・・」。という罪悪感?みたいなのもあったりする。

よくよく考えてみると、目的があって開いたはずなのに、10秒後にはそもそもの目的(例えば、子どもが砂遊びしている様子をストーリーズにあげよう!とか)をすっかり忘れてしまう。笑

オススメの記事や広告とか、見たいわけでもない画面が次から次へと流れてきて、そっちに無意識に気をとられるというか、思考停止でずっと見ちゃうというか。そうなってしまうことが多いんですよね。なんか疲れちゃう。(大好きなアプリだからこそ、距離感は大事にしようと最近思ってます

noteの話に戻ります。

noteって、そもそも書きたい人、読みたい人に優しい。
書きたい気持ち、読みたい気持ちをやさしく、さりげなくプッシュしてくれる感じ

読み手と書き手の距離感がいいんですよね。

noteとかブログって、タイトルという“とびら“があって、この記事読みたいかな、どうかな、って考えて、そのとびらを開いて(クリックして)やっと読むことができる。ワンクッションですね。

この機能って精神衛生的にすごく良い気がします。

今あるどのSNSも(これが持ち味なのだけれど)、とびらなんてなくて、パッと、瞬間的に、本能的に?、目から脳へ心へ、フィルターを余裕で突き抜け、次から次へと運ばれてくる。


そうそう。
好きなブロガーさんの1人、イトウカヌレさんの記事。
これを読んで、ホッとしたというか、私もブログが好きなんだって実感できました。


“読むかどうかは相手が決める“

イトウカヌレさんのブログより


カヌレさんの表現が、私の言葉にできていない思いを言語化されてて、そうそう!それそれ!私もなんです!!!って読んでてすごく心が軽くなった。
(カヌレさんの記事に出会えてよかった。ありがとうございます)


あ、だから、私はnoteが心地良いんだって、気づくことができました。


まあその他にも、細かいところをいうと、
・記事を更新したことを褒めてくれる
私にとって重要ポイント笑
・DM機能がない
・コメント欄が遠い
→ページの1番下の「え?どこ?」ってとこにあるから(いい意味で)好き。コメントするハードルは上がるかもしれないけれど、だからこそ本当にコメントしたい人だけがやりとりし合えるっていうのがわたしには合ってる。

・一回で目に入ってくる情報量がちょうどいい(目と脳に優しいデザインだと思います!)
・広告がない(あったとしてもそれも含めてデザインが良い)
などなど・・・

だからこれからも私はnoteをもっともっと書いて、どんどん読んで、スキしていこうと思います。


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