誰かに分かって貰えなくてもいいって思えたのは
そもそも自分が自分だから悪いんだって思考だったから、自分の価値観なんて全部信じられなかったし、全部まっさらにして全部抑圧して成功者が言う価値観をインストールしてしまえば私の人生が変わるって本気で思ってた
私が誰かに分かってもらわなくてもいいって思えるようになってきたのは、「誰かは私を変えてくれない」という現実を味わったからだったかもしれない
人生の正解は、この世界にいる人間の数だけ存在する
今まで、私はこう考えるけど本当に正しいんだろうか?周りにそんな人がいないとさらに不安になって、周りが言うように生きた方がいいんじゃないかって更に不安になって、、、結局周りが選ぶとおりに真似して選ぶ人生を送っていた
でも、結局自分の人生の責任を負いたくないだけだった
だって証拠に、たまたま自分の「こうしたい」っていう方針と同じ考え方の人を見つけると「じゃあいっか!!」ってスっと腑に落ちる自分がいたから
じゃあ、別にそれって誰かに認めて貰えなくても自分が「いっか」って思えるなら腑に落とせるってことじゃん?って
腑に落とすか落とさないかは自分次第ってことじゃんかって
ただ、後援者がいないと怖いよねって話
それで人生うまく行かなかったら怖くて怖くて仕方なくて、だから私は他人に責任転換する感じで生きてきたんだと思う
つまり、私には「人生を上手くこなさねばならない」っていう強いルールがあったってこと
人生が上手くいってるかどうかなんて、「この生き方模範例」みたいなのに則ってるか否かってことでしょ?人がいいねって言ってくれるような人生とか、多分そういうことだよね
それこそ他人軸過ぎない?って思った
でもどんな人生だって、別にいいじゃんって思うの
人それぞれ価値観違うんだから、色んな人生あっていいじゃんって思うんだよ、他人から口出しされる義理なくね?てめーはてめーの人生、そうやって彩り付けて素敵な人生送ってください〜〜って感じやん
結局自分の人生納得して生きてる人はね、他人の人生に口出しなんてしないのかなって思った
自分は自分で納得した人生を描いてるし、それがみんな当たり前だと思ってるから、他人の人生に口出しする必要が無いし失礼だってこと分かってるし、その人生っていうバックグラウンドを含めた「その人」をトータルで愛してくれるから
口出しする人は、自分の人生を納得してデザイン出来ていない人なんだと思う、少なくとも私はそうだった
自分が嫌々(その当時は気づいてなかったけど)選んだ価値観とか選択肢を人生に取り入れ過ぎて消化不良起こしてる人達は、道から逸れた人達を指差して笑うことでしか「自分のこの生き方は正しいんだ、苦しいけど正しいんだ」って正当化出来ないんだよ、そうやって自分の人生から目を逸らしてるの、
そうやって正当化しないと苦しみを感じてるこの人生の現実を直視することになってしまうから、
その時の楽しさと思いやりを忘れなければいい
もっと自由であるべきだし、私はそう生きたい
周りに分かってもらいたい気持ちもないし、分かってもらえるとも思ってない、だけど別にいい、私だけ分かってればいい
私はそう生きたいって、今は少なからず思ってるから今はそう生きる
もしかしたら明日には進路変更してるかもしれないけど、それでもいいじゃない!
正しい生き方なんて本当はないのよ、みんなが思ってる正しい生き方はただの幻想、なら何にも囚われず生きてみよう、私の感覚だけを信じて生きてみようじゃないの!!!!
人生は今の連続、だから今満足してなくて楽しくないなら未来も楽しくない
自分が「これでいい」って思えるかどうかなんだよ、人生の楽しさ充実さは、きっとね
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