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織田信長は生きていた!?

(※こちらの記事は全てSNS上の情報に基づく個人的な見解となります。)


「大日月地神示」というのはご存知だろうか?戦前戦後において内容が当たっていることで人気だったという神示であり、上(天)からのメッセージを下ろしている、というシャーマン(岡本天明等)が書いた本であり、戦前には第2次世界大戦の結果についても予言したこと、戦後については(シャーマンの神人氏が執筆)、今般の人口削減や目に見えないウイルスが流行る件等記載されていて、一部の間では、「当たっている」と話題となった本である。



その本を書いた歌い手であり、シャーマンである神人氏は、最近よくスピリチュアル系のYoutube番組(例:「和人チャンネル」等)に出演し、これまで裏方でいる職業であったものの、最近、「前に出て皆に真実を語ってよい」との許可が上からあったいうことで、表に出て、様々な真理や出来事現象への解釈、また物事を霊的な側面から見た場合の解釈等につき説いている。



先日「和人チャンネル」で、大変興味深い動画が流れていたので共有したい。それは、神人氏が、明智光秀と織田信長の霊と対話したことがあり、明智光秀は、謀反を起こしたのではなく秀吉に嵌められたこと、その後家康の下で明智は「天海」として生き延びらえたこと、信長が実際には自分は生きて、宣教師と共に西洋に渡っていた、という話をした、というものだ(以下、そちらの神人氏の体験を和人氏が紹介する動画)。


(後半部分:一部引用)
神人を介し、織田信長公と明智光秀公の御霊と対話されたことがあった。

信長:「光秀、おまえか?」
光秀:「いえ、違います」
信長:「ならば、サルだけが得したということか」

本能寺の変は比叡山延暦寺の信奉者たちによるかたき討ちでもあった。

明智光秀公は本能寺での謀反の計画の噂を聞き、挨拶と護衛も兼ねて行った。

光秀:「私は、生きながらえたことに深く感謝してます。家康公の恩義に深く感謝申し上げます。そして、我が家臣たちの忠義に心から感謝申し上げます。これらは私の本意であり、これまでの経緯を明らかにします。

私自身身の潔白を証明したく思います。私は上様に対して忠義を誓ったものであり、謀反等あり得ません。


本能寺に戻ったのは、家臣ほり謀反の知らせをもらい、即座にかけつけたのです。しかし、そのことが私の指示によるものであると誤報が広がり、罪人とされたのです。
もはや戦いは免れぬ状態となり、羽柴秀吉公率いる軍勢と戦わざるを得ず、軍は廃したのであります。

私は身の潔白を伝えるために生きながらえ、身を隠すことに決めました。


そして徳川家康公に天海として使えることになったのです。


秀吉公は宿敵となり、同じ上様に仕えた者同士の戦いが関ケ原でありました。私は病に倒れるまで、真実を隠して生きました。


そして天海が明智光秀であったことを後世に託し、汚名返上すべき策を講じたのです。


今こうして現代に伝えられることが、何よりも嬉しきことであります。


(今般)神山城にて、私は上様にお会いし、謀反の指示は出していない旨お伝えしました。そのことを上様はお聞き入れて下さいました。あとは歴史に残る汚名を返上していただきたく、お願い申し上げます。(2020.2.3(明智光秀公御霊より、神人を通じて記す))


【信長公】
仕方あるまい。わしの思いも伝えておこう。

わしは信長じゃ。そなたはわしの命に従って動いてくれた。礼を申すぞ。

これまでの戦は乱世故の因果じゃ。

誰かがせねば変えられるゆえの流れよ。

わしは寺で死んでおらぬ

生きてこの国を離れた

船に乗り、バテレンたちと外国に参った

まるで別世界の暮らしであった

思い切って行ってよかったぞ

このようなことでもなければできなかったこと

明智にはすまぬ思いをさせたが、全ては乱世が招いた仕組みよ

恨むな

いずれも真相が世に伝えられていなかったことが滑稽である

こうして伝えることもまた滑稽であるな

真とは滑稽なるものであるぞのお、明智

面白いわい、愉快じゃ愉快じゃ

これらのことを世に伝え広めてくれ

神人に頼んだぞ

褒美はいくらでもとらす

家康が面倒見るであろう、良いな

これでよい、サル、あやつはどこに隠れておる

ずるがしこい輩よ

さては成仏できておらぬな、女たらしめが、

おなごらの念に苦しめられよ、馬鹿なやつよのお

●明智:誠に。

●信長:これでよかろう、では参るか。世話になった。

そなたはこれから忙しいのう、世界は広いぞ、達者で暮らせ。

(2020.2.3(織田信長公の御霊、神人を通じて記す)-「みたまとの対話(神人)より))


また、他の番組(「ナオキマン」)でも、元自衛隊員の木内氏(スピリチュアルな能力を持っている人物)もまた少し話の内容は異なるが、似たような話を以下ので話している。


ここでは、木内さんは、臨死体験を3回しており、その中で一度歴史体験で織田信長の真実を見てきたという。


(以下、一部該当部分を引用)

木内:織田信長って本当に本能寺の変で殺されたのかな、って

そしたら織田信長の目線になった。

そしたら海のところにいた。福井県の小浜というところだった。

誰かを待っていた。あれ、死んでいないじゃん、って。

そしたらある人と待ち合わせをしていて、ある人が来たら、明智光秀だったかな、。「おまえ、遅かったなあ」と。

あれ、明智光秀って討たれたんじゃなかったっけ、って。

これは二人は何か企んでるな、って。

船に乗ってインドを経由して行く。バチカンに。


で、バチカンに行って思った。あれっ、織田信長と同じ何かがないかって調べた。そしたら、像があった。ある言葉に3文字入れると「オダノブ」になる。


●ナオキマン:「GIORDANOB」という人物が・・と木内さんの本で読ませてもらったが、。


●木内さん:顔つきは織田信長だが、2文字外して「オダノブ」になるじゃない。イタリアにある像がそれと同じだった。彫が深い顔で似ている。


木内氏の話では、信長は明智と会ってから船に乗ったことになっているため、その場合は神人氏の話とは若干異なる箇所もあるが、。


いずれにせよ、二人の霊的な体験談で、織田信長が西欧に渡ったという点を説いている点は共通していて、興味深い。


なお、木内氏は(上記動画で)、またキリストについても、キリスト’(イサヤ)は日本に来て、剣山に彼の遺体があり、戦後、GHQが持ち帰って、その後ご遺体はバチカンに運ばれた旨話している。


・・余談となるが、剣山を巡っては、ユダヤの「アーク(ノアの箱舟と言われる神器)」が眠っているとの話があったり(←※在京イスラエル大使がかつて調査していた)、Naokmanで、保江氏(理論物理学者)が、天皇陛下も神通力に係る聖徳太子の巻物を収めていた(が戦後GHQに没収された)、といった話もしているが、その場所が剣山であることは別で彼も述べていたが、色々と霊的な観点から興味深い場所である。


霊的な観点から覗いた歴史。歴史という目に見える文献(勝者が記載)等からの見えるストーリーとは異なる点で面白い。


・・・と、そんなことを考えさせられる動画たちである。


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