見出し画像

【音楽と思い出】バブル崩壊前『勇気のしるし』『モーニングムーン』『これが本当のゴルフだ』『雨の御堂筋』悲しきサラリーマンの記憶

大学を卒業し、社会人になったばかりの頃の思い出である。

時代は昭和から平成に変わったばかり、バブル崩壊前で、景気はまだまだ良かった。

サラリーマンは深夜残業があたり前。
テレビでは時任三郎が「勇気のしるし」を歌っていた。
あれです、「24時間戦えますか」っていうやつです。
上司からも「三日くらい寝なくても死なんから」とか普通に言われていた。
そんなことがあたり前の時代だった。

季節が春になり桜が咲き始めると、職場でも花見が催される。
当然若手社員は必須参加である。場所取りという仕事があるからだ。
仕事もよく覚えていない若造(自分)は青いビニールシートで場所取りをして一人でぽつんと待つ。

会社の宴会は即ち仕事。けれども先輩や上司とのコミュニケーションをとることは大事なことだが酒がないとだめなのかといつも疑問に思っていた。

自分は酒が飲めず苦労した。
鍛えれば飲めるようになると言われ続けたが結局飲めるようにはならなかった。
飲めない体質は変わらない。

話を戻すが、仕事を終えて(花見のために無理やり切り上げて)職場の社員が集まってきた。
若手社員や当時は女子社員もビールを配ったり、酒を注いだりこき使われる。

支店長の挨拶が始まり、だいたい本日は無礼講で楽しもうと言う。
当たり前だが、額面通り受け取ってはいけない。万が一粗相があれば逆に説教されるなど酔った上役の餌食になってしまうしその後もろくなことはない。
宴会とは上役のご機嫌とりのためのイベントなのである。

また、中には宴会が始まると必ず芸をしろ芸をしろという輩がいる。
自分のように苦手な人間もいるから勘弁してほしいといつも思っていた。

上役の太鼓持ちみたいなやつがいて、必ず若手に、てめえ歌えよ脱げよとハラスメントを展開する。

一つ上の先輩が餌食になって嫌々立って歌い始める。もちろんカラオケもなし。手拍子もなし。
歌ったのはチャゲアスのモーニングムーン。誰も聞いていないし、それよりも周辺は人だらけでざわざわして聞こえない。かすかにあーあ午前5時~とだけ聞こえた。終わったのもわからずそれぞれ話し続けている。
自分も指名されたが宴会で歌う持ち歌などなく大学の応援歌を歌ったが誰も聞いていない。
そんな感じであとは酒の補充買い出しをしたり3時間ほどで会は終わった。

会社の寮に戻りほっとしていると、ガンガンドアをたたく奴がいる。
開けると太鼓持ちが立っていて、今からすぐ飲みに行くから準備しろという。
有無も言わせず強制的にタクシーで街に戻る。スナックには営業部門の社員が集合している。

今度は支店長のいない宴会が始まる。ここでのあたまは○○課長、太鼓持ちがやたらに張り切っている。

太鼓持ちはカラオケで必ず吉幾三の「これが本当のゴルフだ」を歌う。
歌の途中で必ず「〇〇さーん(課長のこと)またOBですよ~」と歌を振る。
マイクをもらった○○課長が歌を引き取るという流れ。
そんな時間がだらだらと過ぎていく。だるかった。そしてねむたかった。


時間は午前3時を回っていて、ママさんもいい加減帰れと怒るが一向に気にせずに飲み続けるし歌い続ける先輩たち。
いつ終わるかしれない飲み会によく付き合うなと思っていた。

K先輩が雨の御堂筋を歌った。これは格好良かった。うとうとしながら聴いたがベンチャーズの曲だというのは後から知った。

もういい加減帰ろうよと思っていると、○○課長とK先輩がお互いにビンタし始めた。
二人とも涙を流しながら殴り合っている。
多分酔っぱらって何もわからない状態なのだろう。
その後二人はなぜか肩を抱き合いそこで二次会が終了。
店を出たのは朝の5時近くだった。

一旦寮に戻り、30分程目をつぶる。
そのあと顔を洗いひげをそりシャツを着替えて仕事に向かった。仕事なんか全然捗らない。そんな日々が続いていた。

体を壊さなかったのが不幸中の幸いだった。こんな経験があるからかゴマを擦る部下には、そんなの嫌いだから止めるように言っている。

こんなことを書き残すのはなんだか嫌だなあと思う反面で、解放された今ではすごく冷静に思い出している。
歌には罪はなく懐かしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?