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そりゃそうやろ

彼の口癖

「そりゃそうやろッ!」

わたしが何かを言う度に、馬鹿にしたような口調でこう言ってくる男がいた。

「おかえり!疲れたでしょ〜」
「そりゃそうやろッ!」

「今日は暑くなりそうだね〜」
「そりゃ夏なんやからそうやろッ!」

「このケーキ美味しそう!甘いかな?」
「そりゃ見た目からしてそうやろッ!」

彼と時間を過ごすほどに蓄積されていく「そりゃそうやろッ!」にわたしはもやもやを抱くようになっていた。

ある時、わたしの不満は爆発する。

「そりゃそうやろッ!ってさ、失礼じゃない?」
「言われたら会話を続ける気がないのかと思うわ」

すると彼は
「え、どこが?」
「俺の周りみんなこんな感じだけど」
「普通の会話じゃない?」

と言ってきたのである。

こいつ…まじか…。

しかし、何よりもわたしを失望させたのは、“謝る気のない彼”ではなく、“そりゃそうやろッ!のどこが失礼なのかを説明できない自分”だった。

彼と別れた後もこの悔しさは残り続け、「そりゃそうやろッ!」のどこが失礼なのか、いつか必ず論理立てて説明してやるとの思いを胸に生きてきた。

ちなみに彼はハゲカス(↓この人)です。

今回はハゲカスの口癖「そりゃそうやろッ!」がどうして失礼に値するのかという論破回です。

どうぞお付き合いください。

上から目線

「そりゃそうやろッ!」を丁寧に言うと、
「それはそうでしょうね」となるのだろうか。

考えてみてほしい。

上司に対するリアクションの第一声として「それはそうでしょうね」と言うだろうか。

「お疲れさま。今日はもう終わりにしていいよ」
「それはそうでしょうね〜」

ーおかしくないか?

「それはそうでしょうね」というニュアンスの言葉は、自分と同等以下の相手にしか使わないものなのである。

逆の立場で、例えばプロ野球選手に
「普段から体づくりをされているんですか?」
と聞いた時、「それはそうでしょう!」
と言われても嫌な思いはしないだろう。

本当にそれはそうだろうなと思うし、自分より確実にすごい人からの「それはそうでしょう」は安心感さえもたらしてくれる。

一方で、対等な立場にあるはずの人からの「そりゃそうやろッ!」は、“常に他人を見下しながら生きている”という、その人の人となりがよく反映されたものであると感じる。

言われた側はどうしても
「上から目線だな…」
「わたしのこと見下してるんだろうな…」

という不快な気持ちが湧いてくるだろう。

そのような言葉は、お互いへの尊重と信頼をもとに築いている関係性において積極的に使うべきではないことは明らかだ。

会話が広がらない

「今日は道混んでるね〜」への返答として、
「そりゃ日曜なんやからそうやろッ!」を求めている人はどれくらいいるのだろうか。

わたしは共感されるのが心地いいという典型的な女子脳なので、「ね〜、混んでるね」と言ってくれたら満足だったのだ。

自分の発言に対してあっという間に「そりゃそうやろッ!」と言われてしまっては、閉口せざるを得なくなる。

「そりゃそうやろッ!」は1ターン前に相手が言ったことに対して、「俺はもうそのことを考えていたし、言うまでもないが?」という威圧感を含んだ、会話強制終了のお知らせワードのように思える。

そのような言葉は、お互いへの尊重と信頼をもとに築いている関係性において積極的に使うべきではないことは明らかだ。

言い方

ハゲカスとこのことで揉めた時、彼は
「そんな言い方してない!」
「"そりゃ〜そうや〜ん"って言ってる!」

と言っていた。

言ってねえよハゲ!!!!!

「そりゃそうやろッッッッ!(半笑い)」

お前はこっちの顔も見ずに吐き捨てるようにこのセリフを言ってたわ!!!!!

※「そりゃ〜そうや〜ん」もキモい。

このように相手をバカにするような言い方は、お互いへの尊重と信頼をもとに築いている関係性において積極的に用いるべきではないことは明らかだ。

まとめ

要点をまとめると、「そりゃそうやろッ!」

  1. 上から目線

  2. 会話が広がらない

  3. 言い方がムカつく

という3本柱で成り立っている言葉であり、相手を尊重し、信頼する気持ちがある人は積極的には選ばない言葉である。

その言葉を口癖のように使ってしまうことは、相手を尊重し、信頼する気持ちがないということの証明である。

「相手への尊敬・信頼の欠如」はシンプルに言い換えると「失礼な人」である。

失礼な人から出てくるこの言葉は、失礼な言葉に値する。

ハゲカス君、ぐうの音も出ないんじゃな〜い?

P.S. 反論、受け付けます。

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