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他人に読まれる小説を書くために、我を捨てて個を残す

セルフ出版をはじめてから10年ほど経ちますが、最初の頃はあまり読まれませんでした。読んでいただけるようになったのは「哀しみアプリ」ぐらいからですかね。
哀しみアプリ」を書いたのは、意図的に自分の小説が変わった時期でした。
それまでは、自分が好きな小説を好きに書いていた気がします。とにかく、自分が良いと思えるもの、思いついたものをすべて小説に取り込んでいました。自分のセンスに照らして面白いものなら、他人がどう思うかはあまり考えていませんでした。我が強かったのだと思います。
自分が好きな比喩をたっぷり入れて、かっこいいと思えるセリフをつっこんで、多少流れに沿っていなくても、自分が読みたい小説が良い小説なんだと自分の感覚だけを信じて書いていました。
当然、我流の小説を読んでくれた人全員が面白いと思ってもらえるわけではありませんでした。中には、良いと言ってくれる人はいましたが、多数派ではなかったです。

自分の小説が変わったのは、読者の存在を強く意識し出したときからだと思います。読んでくれる人を想像して、読者も面白いと思ってもらえるものだけを残すようにしました。
考えが変わったのは、Kindleで評価が見えたからだと思います。新人賞に応募して、落選が続いたので、どこが悪いのはわかるのですがどこが悪いのか、どこが良くなったのかよくわかりません。最終選考に残らないと講評がもらえない賞がほとんどですし、もらえる講評もひとりの視点でしかありません。

それに比べて、投稿系のサイトでは、多くの評価がもらえます。時にはレビューコメントも書いてもらえます。なろうでもカクヨムでも良いですが、評価をもらえるところに自作を投稿するのは大事だと思います。
もちろん、小説サークルに属していて、忌憚ない意見がもらえる環境ならそれでもよいと思います。

読者の評判を意識するようになって、読んでくれる人が飽きないストーリー展開を心がけるようになりました。
ストーリーに起伏をつけて、中盤に一度盛り上がり、クライマックスに向けて、加速していく。そういったストーリー作りには映画が参考になりました。
小説の解説本も読みましたが、一番役に立ったのはピクサーの映画制作術でした。ピクサーは映画の脚本を完成させるのに何年もかけます。論理的に定められた映画制作のステップに従って、多数の人が議論をして、セリフや筋をひとつずつ決めていきます。お客がどのように理解し、感情移入するか厳密にチェックして、脚本を完成させます。
そういった脚本作りは、基本的にひとりで書く小説とは違う部分もありますが、お客様のことを考えて制作する姿勢は参考になりました。
小説は読んでくれる人がいなければ成り立ちません。貴重な時間を費やして読んでくれる人が楽しめるものを書くのは当然だと思うようになりました。

こうやって書くと、金太郎飴みたいな小説ばかりができて面白くないと思う人がいるかもしれません。
我は捨てた方が良いですが、個性は残すべきだと思います。
書きたい物語、テーマがあれば、それは作品に残すべきです。ただ、自分勝手ではなく、読んでくれた人が理解し共感するものに昇華させる必要があると思います。
何冊もベストセラーを出されている作家の小説を読むと、読者の共感を獲得しながらオリジナリティを出すのが本当にうまいです。
一冊だけなら、著者の我がうまく時代にマッチして人気になるかもしれませんが、そのやり方だと何冊もヒットさせるのは難しいと思います。
全員ではなくても多くの人に楽しんでもらえるためには、我を捨てながら、それでいて他の作品に埋没しない個性を残すことが大事な気がします。

著者初の単行本形式の小説「夏のピルグリム」がポプラ社より7月18日に刊行されます。「ポプラ社小説新人賞」奨励賞受賞作です。よろしかったら予約してください。善い物語です!


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