新人が考える「職業としての小説家」
まだ2冊しか刊行していないので、自分が小説家と名乗るのはおこがましいですが、小説家という職業について、少しだけわかってきた気がします。
小説家は、楽な仕事ではないと思います。夏の暑い日でも外で働くわけでもないし、他人に叱られることもありません。部屋の中にいて、人間関係に左右されることも少なく、ひとりで作業をすることがほとんどです。
じゃあ、なにが大変かというと、僕の場合、自分の努力と結果までの距離が遠いことです。
どういうことかというと、小説家としての結果とは良い作品を書き、多くの人の手に取ってもらうことです。シンプルに考えれば、傑作を生み出せれば、ベストセラーになり、自分の評価になるわけです。
ところが、自分と読者の間には、出版社、印刷会社、取次、配送業者、書店と多くの企業・組織が介在します。
良いものが書けたと思っても、それが読者に届くまでには多くの人がいるわけで、自分の努力が結果に完璧に反映されるとは限りません。様々な要因によって、結果が左右されます。
もちろん、そんなことを覆すぐらいに傑作を連発できれば良いのですが。
会社員であれば、直属の上司が評価するのが普通です。自分の仕事と成果が近いのです。営業成績で評価されることもありますが、その場合でも自分で顧客と直接対応することが多いでしょう。
個人事業主でも、お店の経営者なら自ら接客するので、努力が結果に直接反映しやすいです。クライアントがいる仕事なら、依頼主の希望を叶えれば評価され、次の仕事に繋がっていきます。
小説家の場合、直接対応する編集者には高評価でも、市場に受け入れられるとは限りません。こういう仕事って、少ないんじゃないですかね。思いつくのは、ミュージシャンとか映画監督などのアーティストに属する人たちぐらいですか。
小説家がやっていることは椅子に座り、PCを動かすというオフィスワーカーと似た格好で作業しているのに、評価方法は著しく異なります。
悪いことばかりではなく、自分から評価対象である顧客と直接対峙しないということは、大勢の人に評価してもらう可能性があるということでもあります。
評判が評判を呼び、自分では接触できないほどのたくさんの人が本を手に取り、ベストセラーになる現象が起こり得るのです(その道はかなり険しいですが、可能性はゼロではありません)。
そのような現象を起こすためには、善い物語をつくり、直接対応する編集者の方に評価してもらい、出版を続けるしかないと思います。
たとえ、努力が結果に繋がらなくても、言葉を紡いで、善い物語を書き続ける。それが小説家という職業なのでしょう。
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