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説明と描写が織りなす長編小説

長編小説は、省略と描写の繰り返しといわれています。長編小説は物語が長いので、作品中に流れる時間軸に起きるすべての会話と場面を描写するとテンポが悪くなります。特徴的なイベントがある場面だけをピックアップして描写して、それ以外の時間を説明で飛ばします。

長編小説には説明と描写のバランスが大事です。説明が多すぎると、小説というよりは粗筋みたいになってしまい、描写が多いと物語がなかなか進まず、読者は飽きてしまいます。

作家によってこのバランスが結構違っていて、センスが問われる部分だと思います。
歴史物や大河小説では、作中に流れる時間が長いので、どうしても説明の要素が多くなります。ともすれば歴史書みたいになっちゃいそうですが、一流の歴史小説家の人は、説明が本当にうまいです。説明文なのに読ませるんですよねえ。古くは吉川英治さんなどは、まるで講談を聞いているように心地よく読めてしまいます。
流暢に流れる説明の中に、パッと光る描写が目を惹き、とても美しいです。長い説明があるから描写がより輝くわけです。

逆に、物語内の時間が短いと描写が多めになります。サスペンスものなどは比較的短い時間の中の物語が多いですよね。
描写が多いと、今度は小説というより台本を読んでいるみたいに感じてしまいます。台本は短いト書きとセリフだけで構成されていて、説明文が少ないと、小説は台本を読んでいるような印象を与えてしまいます。
これもうまい小説家が書くと、描写された風景が鮮明に浮かび、まるでそこにいるかのような臨場感があるシーンを読む(観る)ことができます。
描写のすごい人は多いですが、今思い浮かんだのは、伊坂幸太郎さんです。個人的な意見ですが、伊坂幸太郎さんの小説は描写が多めな気がします(作品によっても違いますが)。
描写の連続なのに、物語がまったくダレることなくクライマックスまで突き進んでいくイメージがあります。

自分を客観的に分析すると、僕は描写が多めだと思います。短い時間軸の話が多いのもありますが、描写が好きだからそのような話を選んでいるかもしれません。
描写が好きなのは、映画みたいな長さの小説を理想としていることもあると思います。長編小説なら2時間の映画に収まるボリュームが適当だと考えているので、連続した描写で物語を進めたくなってしまいます。
とは言っても、映画の台本を描きたいわけではないので、今後は説明も増やして、人の人生の移り変わりなど長い時間が流れる話も書いていければと思います。
面白い説明文なら、読んでいても苦になりませんものね。

7月18日刊行の「夏のピルグリム」で流れる時間は、「ひと夏」です。13歳の主人公夏子がひと夏の間に、絶望と希望の両方を経験する物語です。比較的短い時間軸の話ですので、描写が多めですが、前半は説明で時間を飛ばしているところもありますかね。
でも、やっぱり描写が多いかなあ。ひょっとしたら、今まで書いた中でもっとも描写の割合が多いかも。それだけ映画的な小説になっているかもしれません。

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